うつけバージョンの家定にさえも「ええええ~~~」と言わしめた「篤姫は何時だって篤姫」的爆睡。
上様はうつけか否かで頭がいっぱいになりながらも、婚礼の日を迎えた篤姫でしたが、家定の上手だった篤姫。だけど、自覚あるのでしょうか?
ちなみに私も続きが聞きたかったです。
「昔々、夫婦のネズミが居りました。」
いったい、どんな話をするのだろう。ワクワク、・・・・が、篤姫はスヤスヤ。予想外の展開に家定の叫びには、爆笑&共鳴してしまいましたよ。その後、お酒を飲むと言う展開に、私はやっぱり家定はまともなんだなと思ってしまいました。篤姫の寝顔を見ながら、家定は何を考えていたのでしょう。
ドラマなんだから、そんなに真面目に考える事ないのさと言ってしまっては、こんな感想なんかも書く意味もないので、その真面目に考えるという事で、つい深読みをしてしまうのです。どんな事かというと、篤姫の無意識の計算力の高さです。計算高いというとあまり良い意味ではないような気がしますが、無意識の計算と言うのはその人の勘の様な、または本能のような思考から来る行動なので、大事な部分だと思います。
ああ、そうでした。この「無意識の計算」と言う言葉が世の中に実際にある言葉かどうかは知りません。これは私が普通に使っている私の造語みたいなものですから、あしからず。
家定にとって篤姫は政治によって押し付けられたものであって、決してたった一人の妻ではなく、大奥千人の新しい一人のようなものだったと思います。これといって興味がなければ、その意識はなかなか彼女に向けられないものですよね。でも、婚礼の夜にこのようなインパクトを与えたら、かなり印象深く残るのではないでしょうか。少なくても深酒するほど、篤姫の顔を眺めていたわけですから。
また、物語の途中で話を止めると言うのも、古来の千夜一夜物語のシュエラザードに習ってかと思いました。続きは、また明日と言うわけです。本来なら上手い作戦です。
が、この物語の中では私の深読みはただの徒労、家定は翌日からちっとも渡ってきません。なんだぁ、つまらないの、それなら「婚礼の夜」と言うタイトルにあまり意味がないじゃんと、ちょっと不満だったりして。
でも、篤姫は渡りがない間も自分の事は棚に上げて家定の暗愚であるか否かばかりが気になっています。 だけどこれは当たり前ですよね。自分の夫はいかなる者か、興味がないほうがおかしいと言うものです。 幾島の話などもありますが、つまらないので省略。
やっぱり今回はこのシーンしかありませんよね。家定がうつけか否かを自分で確かめるべく、共にアヒルを追いかけてひっくり返りそうになったとき、家定の目がキラリ・・・
「危ないではないか。」
かっこ良かったですよね、まともバージョン家定。ちょっと胸がキューンです。
今週の尚五郎は
―想う人 共に見上げる 遠き月―という感じでしたね。
「だんな様」と声をかけるお近様に違った意味で胸がキューンとしてしまいました。
次回は「篤姫は何時だって篤姫、ストレートに尋ねるの巻」でしょうか?
ちなみにワタクシ、ホワイト家族のお父さんの次ですが、アフラックダックに胸がキューンとなります。どうせなら白いアヒルでいって欲しかったよなと思ってしまったのは私だけではないはずだ!!
ここにブログパーツを貼りたかったけれど、ダメみたいなのでもうひとつのブログに貼ってしまいました。よろしかったら、へえ、見てやっておくんなさいまし。<「おせん」はもう今日ですね・・>
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