森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

バタバタとバタッの狭間の日々

2008-05-29 12:20:28 | ’08/12/7までの未整理日記
 今朝は北海道以外は、全国的に雨模様ですか。
 昨日の夕方から空は既に薄暗く、冷たい涼しい風が吹き始めていましたね。洗濯物を遅めに取り込んで、目の前の風に揺れる木々を見たとき、なんて緑が綺麗なんだろうと思いました。晴れていないので、緑が輝いているわけではありません。特別に美しい風景と言うわけでもありません。でも、日々の暮らしの中でそういう何気なく傍らにあるものに、改めて気付くということはないですか。

 いつもと同じようにそこにあるもの、そこにあったもの、変わらずに私を見守っていてくれたもの。そういうものに気付く、向き合ってみると言う事が「余裕ある生活」なのかもしれませんね。

 先週の私は、少し忙しかったですよ。お仕事を頑張っていました。日々毎日バタバタと暮らしていました。そして夜にはバタッと倒れこんでいました。でも、そう書くと、どれだけ働き者なんだと言う感じですよね。

確かに昔の私は働き者でしたよ。仕事が趣味だったのです。今の私には真夜中はPC時間ですが、PCのために真夜中まで起きているわけではなく、昔から真夜中まで起きていたのです。でも、その時していたことは仕事です。でも、ある時家族が寝静まった部屋で、いつものようにやるべき事をしていました。その時、ふと「何やっているんだろ、私。」と、私は思いました。
仕事が順調なら精神衛生的にも良い事ですし、人には褒められ、お金も入ってきますよね。でも、これをおばあさんに成るまで止まらずに、走り続けてしまったら私はその時笑っていられるのだろうかと、思ってしまったのですよ。

私はそんなときトルストイの「人にはどれだけの土地が必要か」という話を思い出すのです。子供のときに読んだ本です。読んだときには自分の事を欲深だとは思っても見ないことなので、愚かな男の話だと思いました。だけど記憶の中にあるそのストーリーは、大人になった私に警鐘の鐘を鳴らすのです。

 その本のお話は、興味のある方は読んでみて下さいね。その内容に触れると、この文がまた延々と長くなってしまいますので、機会がありましたらまたと言うことで。


 その後もいろいろ迷いながら、今の私はそんなに多忙ではありません。それなのになぜちょっと忙しくなると、バタバタ暮らすようになってしまうのかと言うと、それは只管「体力不足」なんだと思います。

バタッと倒れて復活までに時間がかかってしまうのです。そして、ギリギリに復活して、なんと言ってもギリギリなのでバタバタになるという悪循環・・・


<おっと、またこんな時間だよ。またも大変なことになってしまうので続きは、また夜ね。>

 

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