森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

次の季節

2012-04-16 18:10:28 | 家族スナップ

「季節」と言う言葉が入っているのに、画像がないなんて寂しい限りですが、土曜日は雨で日曜日の昨日は散歩に行きそびれてしまったので、イメージしていた画像を撮りにいけなかったのです。

イメージしていた画像とは、それは新緑の木々の写真でした。

雨の街を車で通り過ぎた時、街路樹は既に美しいフレッシュな若葉色に着替え始めていたのです。

待っていた季節は、あっという間に通りすぎていこうとしているのです。

春を・・・、
春を感じることが出来ましたか、皆様。

先日の「天空では風が吹いているに違いない」と言う記事の中で、なぜ人は地球の公転自転から起きる現象に、人生を重ねあわせたがるのだろうかと言うようなことを書きましたが、近頃のような待ちに待った暖かい陽気の、いかにも春という日がやって来ると、やはり私も同様に、重ねあわせてしまったのでした。

暖かい春風に
「なんて良い季節が来たのだろう。」としみじみとしました。でも続けて思ったのは、
「こんな良い季節はアッという間に過ぎてしまうのだわ。」

そう。
アッという間に、春の暖かい季節は過ぎていってしまう。それは単なる自然の事実なのですよね。だけどそう感じた私の中では、なぜかそこには人の人生の春夏秋冬が重ね合わされてしまっているのです。

青年たちよ。
君たちの季節は、まだまだ寒い早春の春。
だけど必ず、優しい春風の吹く、そして花々が咲き乱れる素敵な春は必ずやって来る。
でもそんな季節はアッという間に過ぎてしまうのだよ。
惜しめよ、今という時を・・・

などと思っても、その春の中にいる人は次の季節を思うことは、あまりないのでしょう。

次に来る、汗を大地に吸い込ませながら、それでも守るべき者たちのために働いて働いて、ただ働いて、そんな熱く長い季節が来ることを、そんなには意識しないのではないかしら。人生の夏は、本当に「暑い」わけではないので「熱い」と書きました。誤字ではありません。

じゃあ私達はどうなんだろうか。

この朱夏と呼ばれる季節が終わったら、静かな静かな白い秋の時代がやって来るのですよね。

今、「分かってる人には分かる」的な書き方をしてしまったので、少し補足させていただくと、人生を季節と重ね合わせるのは大昔からの人の傾向で、それ故、青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉が存在するのです。

この言葉を知ってると、人がどう思おうと自由だよと思いながらも、60のオヤジが「青春」とか言っていると、少々気持ちが萎えたりもするのです。

朱夏という時代は、人生の骨格をなす良い季節だと思います。
確かに苦労も多いし、悩みも多い時代です。でもその悩みは具体的で、曖昧な何が悩みかわからない悩みで悩んでいたという青春時代とは違うものがあり、確かな手応えのある時代といっても良いと思います。

そして今の世の中、その朱夏という時代は、60代はもちろん、70代のはじめでも次の季節の白秋ははやって来なくて、最も長い季節なんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

この記事、カテゴリーは「家族スナップ」。
例のごとく、今までのは本文より長い前置きです。

 

土曜日の朝、いつものようにまったりとしていましたら、背後でカチャカチャと音がします。
何かしらと思ったら、夫殿が食洗器の中の食器を片付けています。

ああ、何かがなくてそこから出しているのかなと思ったら、勢いづいたのか、まだ洗っていない食器などをゆすいでその中に入れている彼。

そして昨晩の洗っていない鍋などを洗い出す彼。

私は金曜日は夜まで仕事で、その後夕食の支度やあれやこれやで体力的にも限界なので夜家事はやりません。

だからと言って、それで文句言われる筋合いもないので長年の習慣です。

でも、夫殿にそんな事をされると、なんか嫌味を言われているような気分になってしまうのです。

←久しぶり「何をしてるの?」

「暇だからさ。」

そうです。土日の夫殿はお暇です。

365日お休みナシの主婦業とは違います。
じゃあ、やってもらうかと思っても、続けてマッタリもするわけにはなんとなく行かず、やろうと思っていた仕事をはじめる健気な私です。

ところが、お昼・・・・

また片付け始める夫殿。

だから私は、やっぱりお仕事を。

そしてまた夜。

またも彼はお片づけを・・・。

「何か、今までの私に不満でも?」

「いや、綺麗だと気持がイイなと思ってさ。やりたいからやってるだけで、ママは気にしなくてイイよ。」と申します。

うちら夫婦は同じB型人間で、あまり裏というものがありません。

「やりたいからやっているだけ。」と言うのは、多分本当のことで、他意はないのだと思いました。はっきり言って助かります。

ところが翌日の朝、また彼が片付け始めると、思わずワタクシ言ってしまいました。

「来るべき時代の練習でもしているんですか?」

「いや、別に。」

※    ※     ※

私も空気読まずという人ではないつもりなので、日曜日の昼食は、ビューンと片付け終了。これ以上やっていただくのは、なんとはなしに居心地が悪かったのです。まあ貧乏性なのです。それと後から威張られそうな予感もしたものですから。

で、彼のブームも去ったのか、夫殿は夜は知らんぷりしていました。

 

「来るべき時代」と言うのは、リタイアした後の時代です。

※     ※     ※

今日は友人たちと久しぶりにランチです。私の友人たちはほとんどが年上で、いろいろ参考になります。その彼女たちの旦那さんの二人が定年を迎えました。その体験談・・・・・。
思った通り何もしない旦那さんたち。
三食の食事作りを苦痛に感じる彼女たち。

当番制‥‥・って訳にはいかないんだろうな、世代的に・・・。

そこで、私はある意味自慢話でもあるこの話をしたくなってしまいました。

「自慢‥自慢‥自慢・・・」

←友人「あなたのうちの旦那が、そんな事をするから、明日から天気が崩れるんじゃないの。やめてくれないかしら。」

「そうか・・・、明日の天気の悪いのは、うちの旦那のせいだったのか。それはすまぬことを・・。」

すると、友人は

「うちの旦那がそんな事をしたら、槍が降るわ。痛いよ、そうなったら。」

と言いました。と、その時私はろくでもないことが頭に浮かんできてしまいました。

「槍じゃなくて、カラスのフンが降るんじゃないの?」

そうなのです。友人はカラスのフンの直撃を2回も受けてしまった稀なる人なのです。

頭の中で、カラスのフンの雨が降る図を想像した私・・・・
あな恐ろしや・・・。

 

だけど季節が変われば何かが変わる。
他所様のおうちはともかくも、私のうちではどんな季節が来るのかしら。

そんな事を考えると、白秋の未来であっても少々楽しみになってくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする