ああ、ナルホド。だから「猛き」なんだなと思いました。
「森の中」の続編「猛き祈り」。
最初タイトルになんかピンとこなかったのです。というか、「猛き」の後に「怒り」のような言葉が続くようなイメージがあるからです。
「祈り」というものはその祈りがどんなに深くても平和色。言葉というのは音楽と一緒でなんとなく属性があるような気がして、ある意味このタイトルは違う属性のものが結びつくことによって、一言で登場人物たちの気持ちを補佐し現していたのかなと思ってみたりしました。
まあ、これは私の感覚の問題なので、もしもまんがいち、タイトルをつけた人が上の文章を読んだりすることがあれば、
「えっ、そうなんだ。えっと、『こんなんでいいじゃん。』って付けたんだけど。」って言うかも知れませんが^^
ちなみに「猛」の漢字の意味は(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/218392/m0u/)から
いったい何が森の中であったのかさっぱり分からなかった前回。
「相棒」ファンの皆さまは、結構やってるんじゃないかなと思うのですが、いわゆる右京さんと勝負、つまりライターさんとの勝負です。何処らへんで、事件のことがわかるか否かって。
これって結構難しかったですよ。
右京さんが森の中で頷いているシーンで、実は私もわかりました。って、かなり遅めで自慢もできないことですが、聞こえなくなった鈴の音、部屋にあった竹筒、勝手は犯罪経歴があっても今はそんなに悪そうではない人たち。守りたいのは姿を見せないおやじさん。
ああ、分かった。あれだって。
だけど少女の首に付いていた絞められた後。そして締めたというカイトの記憶は一体どうなってるのって、なかなかひねってあって見応えがありました。
カイトに何があったのかというより、この良さげな人達に何があって、あのような暴行に及んでしまったのか非常に不思議な気がしていましたが、納得が行く展開になりました。
この世の平和を祈るために即身仏になる。
それに意味があるのか否かは「信」あるか否かによるものだと思います。
―森の中の住人たちは、血の繋がりのない人々でした。老人と男と女、それより少し若いやはり男と女、彼らはそれぞれに過去に何かを背負っていました。彼らの森の中の「まろく庵」での生活はまったく描かれてはいませんでしたが、信頼で彼らは結ばれていました。他者を排除しても、仲間を大切に思い、自分を受け入れてくれた人の思いを成就させてあげようと強く強く祈っていたのです‥‥・・・・・と、なんと不思議な世界観。
そして、まろく庵のオヤジさんがカイトの前に現れた時、思わず頭の中で「チャカチャンチャカチャン」と「世にも奇妙な物語」の音楽が鳴り響いたのでした。これって「相棒」なのか~って。
「幽霊屋敷」の心霊写真の件も回収されなかったし、カイトは何気にオカルト体質だったのですね。
幽霊に会ったカイトを何気に右京さんは羨ましがってるような気がしました。
そのうち彼も幽霊に会えるという回があるかも知れませんね。
ホラーチックな展開だったので、まろく庵の庵主は見つからないだろうというのは想定内でした。きっとテレビ前で多くの人が頷いたことと思います。
というわけで、次回は元日ですね。
「アリス」、楽しみです。