またも遅れつつ感想を書いてます。
なんとなく謎めいたさっぱりわからな~いと言う良い感じで始まり、ラスト近くでは思わず涙ぐみ・・・だけど終わってみれば、どうも犯人さんの気持がイマイチわからなかったという回でありました。
そんな理由では人は殺さないと思う・・・私は・・。
殺人事件なんて起きなければ、この犯行は単なる反抗の儀式・・・って、何気にオバサンギャグ・・・・わかってくれた?
少年の儀式はお騒がせだけれども、小説チックに考えたらちょっと切ない成長の通過点で、ある意味美しかったかもしれないと感じました。それを台無しにするのはいつだって一番分かって欲しい親だったりするのですよね。
「よね。」と断定的に書いてしまったけれど、心のうちに誰だってひとつか二つ、そのような親との確執の過去の想い出ぐらいあると思うのですよね。普通はそれを子供は、ちょっと親から遠ざかったり、軽蔑してみたりするのだけど、それを総じて反抗期と言い、やがて
「そうは言っても、お母さんだってひとりの弱い人間で女なんだよね。」と思えてくるものだし、その先は「なんだか可哀想だな。優しくしてあげたいな。」なんて気持にもなってくるものだと思います。
それが実は反抗期の終わりというか・・・
まあ、これは自分の経験の話なんだけれど、 そんな気持を忘れないで自分の子供とは向き合って来たからか、今では
「オマエナ、いったい、誰に向かって口を利いてるのじゃ。」と言いたくなるようなフレンドリーな親子関係になってしまったというかなったというか・・・って、そんなことはさておいて、この犯人さん、本当に好きくない。←昔この言い方流行ったよね。
私、実は途中で、ちょっと目に涙が浮かんでしまいました。だって、可哀想じゃないですか。
子供をひとり失ってしまった、それだけでも号泣モノなのに、そんな時こそ家族でまとまっていかなくてはならないと思うのに、何も考えないバカ親父のせいで更に家はバラバラ。ひとりで待つ寂しい夕食の食卓。それでも子供のために集めたキャップを渡すお母さん。
それなのに、子供は他所の家で、自分にはすっかり見せなくなってしまった笑顔を取り戻していたのですよ。
ああ、家に帰ってさめざめと泣きたくなる所です。でも消火器でしたっけ、そんなものを意思を持って振り上げて、子供に笑顔を取り戻させてくれたかもしれない人を殺してしまうとは、あまりにもな展開・・・・。
愚かだ・・・いや、愚か故にその一線を超えてしまうのかもしれません。
愚かでなかったら、一体どういうことが起こっていたのか調べようとするはずだし、自分が殺意を抱いた相手がどんな人なのかを、せめて知ろうとするはず。
それなのに、この人分かってしまった後は、スッキリした顔をして
「罪を償ってから・・・云々かんぬん」と抜かす。
人の人生のその後を安易に奪っておきながら、その発言か・・・って気に入らないのでした、私。
そして右京さんまでが意識を取り戻した子供のことを、カイトが「大丈夫でしょうか。」と聞くと、何の根拠もないのに「大丈夫だと思いますよ。」などというものだから、首がツツツと、横にかしいてしまいました。
大丈夫であるわけがないのです。
意識を失っていた間に、自分がとっても大切と思っていた人が殺されて、その犯人が母なんですよ。しかも大きくその理由を考えて見るならば、自分の行動に原因があったかもしれないのですよ。
普通の物語ならば、逆にココから始まるんじゃないのかっていうくらい重いラストを、カイトのこれからも顔を出すと軽く流して終了させたなという感じがしました。
だけど中園参事官の子供を思う気持ちは、ちょっとハートがほっこりするような感じがしましたし、カイトと暇か課長との会話にもほほえましい感じがしました。
果たして右京さんはチョコレートをどのくらいもらっているのでしょうか。
幸子さんからは一個は確保出来そうな。環さんからも送ってきてくれるかしらなんて、ちょっとだけ妄想。
右京さんの微妙な顔から、まあ数は多くはないと思われました♪
ちなみに今回の作家様は、「相棒」初参戦の酒井雅秋さん。なんと「おじいちゃんは25歳」も4作書いている方なんですよ。