今年は大河の感想を書こうと思ったのに、早くも三回で挫折・・・っていうのも日記の三日坊主みたいで嫌なので、なんとなくまとめて書いておこうと思います。
最近更新がなかなか出来ないで、これでは想いの発散どころか記録帳としても成り立っていないので、少々頑張ることにしました。
ちょっと時間を置いてから感想を書くことは、実は良い面もあるのです。なぜかというと細かいところを忘れて印象深かったところだけが脳裏に残ってるからです。
では何が一番残っているかというと、うらという女性の存在だったかと思います。
なんと松蔭じゃないのかと突っ込まれそうですが、もちろん彼の存在も重要ではありますが、今の正直な思いだされる順を書くと、私的には
「うら→八重→松蔭→覚馬→容保→井伊→尚之助→山川大蔵」、そんな感じです。もっと本音を言うと八重さんは実は6番手辺り。でも主役特権というところです。
なんでタイトルのもなっている松蔭よりうらが印象深かったかといえば、それは私も女性だからなのかもしれません。
この物語はハンサムウーマンと呼ばれた女性の一生を描こうとしているドラマだと思うのですが、うらという人は、いっけんその真逆のような人なのかと思っていました。
西だか東だか知りませんが、そっちを向いていろと言ったら良いと言うまで向いてるような女と描かれています。そして八重が今の政治的な状況についてどう思っているのかと問うても、
「表向きのことは旦那様がちゃんと考えている。」と自分の意見など持とうとしません。隠しているのではなく持っていないのです。でもだからといって決して悪く描かれているわけではないのです。
姑の佐久が「うらのやることは一つ一つ心が篭ってる。」と褒めます。
野菜の苗などにも話しかけながら植え、女性としてとっても優しい細やかな心の持ち主なのだと思われます。そして夫の一大事には命をかけ守り、そしてそのせいでお腹の中の子供を失ってしまっても、申し訳なかったと頭を下げるうら。
この時代のまさに女性の鏡なのだと思います。
そして素敵な女性だと思いました。
時代というのは、いつもその道を極めるものと、そして新しき道を切り開くものとの連携で先へ先へと進んでいくものかもしれませんね。
腹の子供を失っても気丈にも振舞おうとするうらですが、自分の言葉に耳を傾けて素直に近づこうとしている義妹と義弟の前で、心の緊張が解けてしまったのか、涙するうらにもらい泣きしてしまいました。
いい事も悪いこともあって家族は本当の家族になっていくのかもしれません。
だけどこの人は・・・ってこのうらについても先の話が気になります。
吉田松陰の話。
高校生の時に姉と山口にある松下村塾に行き、すごく真面目な顔をして写真を撮ったことを忘れません。
この小さい塾から大きな人たちをたくさん出したのだと思うと、とてもピースなんて顔で写真は撮れなかったのです。
だからなのか小栗くんの顔が可愛すぎて、とても「松蔭せんせーいぃぃぃ」と言う気持ちになれなかったのでした。だけど、知っ祭に吉田松陰は満29歳で亡くなったわけですから、実はほぼ等身大だったのですね。
ちょっと偉そうな言い方をして申し訳ないのですが、彼、お芝居が上手くなったように感じました。白洲の場での独擅場のシーンでは周りの武士が、ハッっと距離を置くところは不自然で笑ってしまったのですが、ジいいっと見入ってしまいました。なのに時間が空いたら、内容をあまり覚えていなくて・・・アセアセアセ
だけど辞世の句がそのシーンのまとめになるかと思われます。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちるとも 留め置くかまし大和魂」
この時代の変化は凄まじいものがありますね。
桜田門外の変の暗殺シーンはいつ見ても恐ろしいシーンです。籠の中に居ながら死が迫ってくる恐怖。井伊はどれほど無念と恐怖を感じていたことでしょうか。
また実行犯の脱藩浪士たちもどれだけ暗殺の理由を挙げ連ねることが出来たというのでしょうか。
歴史の事実は分からないことですが、彼らは違う思惑に踊らされたようにしか感じません。
その後の水戸藩への対処の会議で、容保は会議の流れを変えてしまうような重要な発言をしてしまいます。それは藩内では却下されてしまった覚馬の考えと同じ様なもの。下級武士の意見は上に伝わらなくても、上のものは同じ考えだったというところも良かったところでした。この容保の発言が明日の第6回へと繋がっていくのだと思います。
というわけで、明日も楽しみです。
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