昨日の「八重の桜」、凄く良くて、いつまでも心に余韻が残りました。
私的にはやっぱり、命のやり取りが日常の地獄のような戦国時代より、それぞれがぎりぎりの想いで生きたこの幕末の時代に、なんとなく心が燃えるのです。
桜田門外の変の事後処理の会議でその利発さを見せてしまった容保は、政事総裁職の松平春嶽に白羽の矢を立てられて、京都守護職を拝命されてしまいます。
私なんかは八重と全く同じで、幕府の大きな御役目を拝命したのだから名誉なことだったと、迂闊にも思ってしまっていたように思います。あのように苦渋の決断であったとは・・・。
それを引き受けることは、政事動乱の渦中に飛び込むことであり、また東北から遠くはなれた京都での役目は会津の守りを手薄にするばかりか藩財政も逼迫させる・・・
とにかくも「会津にとって良いことは何もない」という程度の事ではないようです。
断り続ける容保に、春嶽は「ちょっとこっちに来い」←もっと丁寧な言い方ですが、内容的には一緒。
と別室に呼びつけると、
「おたくにはさあ、アレがあるだろ、あれが。」と脅かします。いや、もちろんちゃんとそれなりのセリフがありますが、内容的には一緒です。
アレと言うのは、「会津家訓十五箇条」。
家康の孫であった藩祖の保科正之は正室江の子供ではなく秀忠の乳母の侍女の子供でした。そういえば「江」の中でもそんな話がありましたね。江の嫉妬を恐れて認知されず、隠されて育てられた正之でしたが、その存在を知った家光は大変彼に目をかけます。その兄の気持に、正之は感謝し、どんなことがあっても徳川を守るという会津の憲法のような決まりを作ったのでした。←かなりの省略。
詳しくは保科正之wikipedia→こちら
あああ、おっと・・・今いろいろと検索していたら、なんのことはないです。HPの歴史解説が凄く詳しくて分かりやすい。そこを読むと良いと思います。
と言うより、今から書こうかなと思っていたことも書いてあったので、そっちを読んだらこっちは終了でもう良いかと思ってしまいました。そこは読んだほうがいいですよ。→「会津藩と京都守護職」
何を書こうかと思っていたのかと言うとですね、養子であった容保は会津の藩主となった時に、この会津の人間に心身ともになろうと決意していました。そんな容保にとっては藩祖の遺訓を持ちだされたら、それを無下には出来ないことだったのだと思いました。
「死に場所を京都と定め・・・」との決意のもとに、まさしく背水の陣の覚悟です。
この時の容保、綾野剛さんは本当に素敵でしたね。この人はまさに時の人。あまり派手な感じがしない人なのに、グググと心に食い込んできます。家臣の気持ちを熱く語る人が西田さんなので、そのシーンは本当に見応え充分でした。
この家臣を前に拝命を受けた旨を告げた時、一切言い訳しなかった容保には潔さを感じました。
「私だって、何回も断り続けたのだよ。」なんてことは全く無し。傍に居た側近が、その旨を伝えても西田さん演じる西郷頼母は「なぜそれを貫いてくださらなかったのか。」と詰め寄ります。
この腹を割ったやり取りがあったからこそ、会津は最後まで気持ひとつで戦う事ができたのではないでしょうか。
八重と覚馬のことを全く書きませんでしたが、彼らは彼らでいきいきと、この回も魅力がありました。だからと言ってあり得ないような政治的物語の中心にでしゃばる展開はなく、覚馬は、またも思った意見を進言しますが、それは頼母の意見と同じで、これもまた分相応の扱いです。
こういう描き方の大河がずっと見たかったです。
変な大河だと、八重が容保に意見などしちゃって、その意見に感心した容保がかくの如き動くなんて馬鹿馬鹿しいような展開もあり的な奴もあったような気がしてしまいますから。
というわけで次週も楽しみです♪
あっ、そうそう。可愛い敏姫は疱瘡で亡くなってしまいました。
照姫に「容保様をお支え下さい、姉君として。」という切ない臨終のお言葉。その言葉で敏姫の苦しみを理解してしまった照姫。
オマケのようなコーナですが、綾野さんにはピッタリのコーナーで、なんとなく今後も気になります。