※画像は11月13日、日が落ちる直前に出掛けた散歩の画像です。
ああなって、こうなって、ああ、いろんなことは皆からみ合って、日常は単体で存在することはないんだなあという「赤羽、気を付けてその1」の続きのお話です。
だいたい友人が電車が気持ち悪くて乗ることが出来ないと言ってるのに、私は乗って赤羽に行くよと言うのも、何か嫌味のように文だけ読むとそう感じるかもしれません。でも実際はそうでもないのです。だいたい家族同士だと話が唐突に始まるように、20歳代からの長きお付き合いのお友達だと、エスパーのように話も飛ぶのですが、だいたいちゃんと通じるものなのです。
省略なしの日本語で言うと
「電車に乗ると何かを感じるというのは、それはあなた特有の、つまり特異の性質だと思うわ。だから私にはそれはないわ~。ああ、だから私は明日電車に乗って出かけるよ。えっと、赤羽に行くんだ~♪」となるのです。
って、そんなふうに話す人、居るのかい?
問題は彼女が間髪入れずに
「赤羽、気を付けて。」と言ったところにあるのです。
少しでも間があれば、
「フーンだ。ちとムカついたから嫌味言ってやろう。」というのも有り得る話なのですが、とてもそうは感じることが出来なかったのです。
「ええ!? なんで? なんかイメージしちゃったとか、一瞬何か見えちゃったとかしたわけなの?」と私。
「いやいや、なんでもない。」と友人。
いや、もう否定しても遅いわ。気になっちゃうじゃないの。
と言うか、もう私の脳裏にありとあらゆるロクでもない光景がフラッシュバックしました。
電車とホームの間に落ちるとか(経験あり)、誰かに押されてホームとか階段から転落するとか、果てはニュースで見た秋葉原で起きた恐ろしい事件のシーンまで。
それでなくても唐突に胸が苦しくなって倒れるとか、目の前が真っ暗になるとか・・・・・・
普段はお気楽脳天気でポジティブ人間であるワタクシも、実はネガティブポケットは持っているのです。ひとたびそのボタンを外して中を覗いてみたならば、溢れ出てくるネガティブイマジネーションなのでした。
「いやいや大丈夫。私と一緒というわけではないので何もないと思います、はい!」と友人が言ったので、それでオシマイになってしまいました。
この事は、後でトイレに入ってゆっくり考えてみると・・・・って、何もトイレで考えなくても良いのですが、なんでだかあの場所って考え事にぴったりな場所だと思いませんか。
で、それはともかく、彼女はやっぱり一瞬で何かのビジョンを見たのだと思います。もちろん見たのは脳内にてですよ。もしくは過去に赤羽にてろくでもない経験をしたのかもしれません。その記憶が一瞬に蘇っての発言かも知れません。いずれにしてもそれは彼女の問題に終始するのではないかと思い直しました。だから私が怖がることはないのだと。
あっ、もしかしたら、この話ってそんな話だったのかと思ってる方もいらっしゃるかしら。
いや、これ、特別な話じゃなくて、結構、私の日常なんだー。
私が怖がる必要はない事でも、彼女の「赤羽、気を付けて。」は私には何かの暗示に聞こえました。なぜなら、鉄板の熱で顔を火照らしたのが良くなかったのか、どうも血圧が急下降してしまったみたいでふわふわとした感覚になってしまったのです。私は今、究極的なふくよかモードの人なので、見た目には高血圧っぽいのですが、実は低血圧の人なのです。血圧がいきなり下がっていくと眩暈がしてふわふわとしてしまうのです。
これは・・・・
「あかーん!!」と心の中で叫びたいような気持になりました。
何がって、翌日の「赤羽」がピーンチ。
翌日の赤羽にはネットで知り合った人たちとのオフ会だったのです。もしかしたら行けなくなってしまうかも知れません。それなのに私、この時まで参加する人たちのリアル連絡先を知らなかったのです。そんな事は今までに一度もありません。ただ出会ったネットの共通の場所が禁止ワードに厳しい所で、一度連絡先を送るのに失敗したらめげてしまって棚上げにしてしまっていたのです。それにその時までは行く気満々でしたので、ちゃんと行けば誰かにちゃんと会えるだろうと呑気に思ってしまっていたのです。
でも彼女の暗示・・・・。
―そうよね。
最近めったに私も電車に乗って出かけませんが、たまに東京方面に行くと、いつだって人身事故の為に電車は遅れているのです。たまたまかも知れませんが、本当に毎度です。
―今回だってそう言うことがあるかもしれないじゃん。
と言うわけで、友人たちとの楽しいお食事会から帰ってきた私は、もう一度翌日会うことになっているお友達の連絡先を知ろうとチャレンジしたのです。
この上の部分は更に上に書いた怪しげな話以上にちょっと理解しにくいのではないかと思います。個別連絡が難しい所もあるんですよ。
それで最初からそうすれば良かった事、つまりこのブログのメッセージ欄に書き込んでもらったのでした。
夜になると昼間のふわふわ感は取れたものの、ズキズキと頭痛がしました。でも行くか行かないかの判断は連絡先さえ分かったら明日にしようと思いメッセージ欄直結のメールを開いたのでした。
メールチェック、マメではありません。
だけれどこのような経緯があって、
「そしてその時にいつもgoo が送ってきてくれる去年の記事を読んだ・・・。
ああ、そうか。昨日は父の誕生日だったんだ。
お父さん、ごめんね。
私、忘れていた。
お父さん、85歳の誕生日だったんだよね。」
と「十月桜ですよ。」と言う記事に続くのです。
不思議な事に、その後連絡の取れた友人とメールのやり取りをしていたら、さっきまで酷かった頭痛も治ってしまったのでした。
すべてはそのメールを開かせて、昨年の記事を私に読ませるために物事が進んだように感じてしまいました。
ブログ的には、ああなってこうなってそしてここにたどり着いたと落とすと綺麗にまとまると思うのですが、実は私的には府が落ちなかったのでした。
父は私如きが彼の誕生日を忘れてしまっても、それを悲しむような人ではなかったからです。
私はいろいろ考えました。
そして「ああ」と悟ったのでした。
私が父の生存中に心の中で密かにしていた約束は、父がきっと生きたかった84歳の誕生日のその日にはみんなで代わりにお祝いをしようと言うことと、父の代わりに行きたかった父の田舎のお墓参りに行くと言うものでした。たった二つの約束はもうすでに果たしてしまいました。
父が最後に願っていたことはたった一つ、「みんなずっと仲良く」でした。
だから父は私に、また新たにみんなと約束をし直せと言ったような気がしたのでした。私たち女姉妹は皆苗字が違います。父母がそれを許してくれたから、私たちは何一つ思い悩むこともなかったのですが、家族の結束は固いのです。父の誕生日を私たち家族の日にしようと私は思いました。その日に会える者は会い、会えない者はそれなりに連絡もしてくるでしょう。とにかくこの日には何かをする日にしたら良いんじゃないかと思ったのです。
そして今朝、私はその事を姉に電話で伝えました。
姉の話によると、母は12日には具合がすこぶる悪かったのに13日には父の誕生日だからとすき焼きの肉を買いに行き、そして家にいる者たちで祝ったのだそうです。それを聞いて、やっぱり自分のアイデアは悪くないなと実感しました。もしも家族の日と捉えて、みんなの温度差がなかったら、母は無理をしなくても役割を分担することが出来たからです。
「やっぱり真夜中に父の伝言メッセージを間違えて流してしまったのも、あながち偶然とは思えないな。」と私が言うと、姉が
「お父さん、私には何もメッセージをくれない。」と寂しそうに言いました。
「いや、それは違うよ。私だって本当にお父さんが目の前に立っていたら恐怖のあまり手あたり次第なんか投げつけちゃうよ。」
本当に出てきてしゃべったら怖いよ!!
―死者は語らず。
事象現象に耳を澄まして、知恵と想像力で会話するしかない。
私はそう思っているのです。
この長い話の始まりは・・・・
仲の良かった旦那さんを亡くした友人の家に向かう途中、
「寒くなってきたな。こんな日は鉄板で焼くお好み焼きなんかも美味しいよな。」と思いながら、そのお店の前を通ったところから繋がっていったのだと思います。
ああなって、こうなって、ああ、いろんなことは皆からみ合って、日常は単体で存在することはないんだなあというお話でした。
秋の日の散歩道で―。