先週の日曜日には、ちゃんと視聴できなかったので録画してあったものを連休明けに見ました。
龍馬が武市半平太の文を久坂に届けるために松下村塾にやってきました。
〈なんだか懐かしい名前です。〉
その龍馬の松陰先生はどんな人だったのかと言う彼の問いに、切々と答えていく文の言葉に、思わず涙しました。
「もうちぃときつく叱りゃあ良かったのか。」
「どうすればよかったのか。」
「寅兄は消えておらんようになってしまった。」
文の言葉は、龍馬が知りたかった答えではなかったかもしれませんが、それでも「どんな人だったのか」と言うのがなんとなく伝わってきたように感じたのです。
神童とも天才とも言われ、藩主にさえも「寅次郎は藩の宝」と言わしめた男。
だけれど、奢らずに書物を読みながらも家の仕事の手伝いをしていた寅兄。
家族もそんな彼を普通に接して、彼の突出した才能ゆえの寂しさを埋めていたのが伝わってきました。それでも彼は逝ってしまったのです。
悲しみの言葉を語る文に、龍馬は
「フリーヘイド」?←なんて言っているのかイマイチわかりません。
要するに龍馬は松陰が「何物にも縛られない『自由』」になったのだと告げるのでした。
なんかワタクシ、ここで
「フリーダム!!!」と叫んで死んでいく映画を思い出しました。
それってメル・ギブソンの映画だったかな。
死は時には、その肉体の器に収まり切れない人にとっては、魂の解放ともいえるのかもしれません。
などと、綺麗にまとめた所で、家族の喪失感なんか早々埋まるものではないですよね。
父と母に笑いが戻った時、それは松下村塾に塾生が戻って来た時。
息子が残していったものが機能しだすと言うのは本当にうれしい事だと思います。
だけれどそこは舵取る船頭をなくした船のようなもの。
だけれど新しい時代を切り開こうとする熱だけは冷めやらず、時代は彼らを次の流れに押し出そうとしていたのです。
どんな道を選択しても、分かってもらいたいのは家族。
久坂にとっては
「俺にはお前しかおらん。」はまさしく言葉通りで、ラストの二人で寄り添う姿に胸が痛みました。
次週以降
「君の志は何ですか。」と松陰の物まねをして、しみじみとしている場合ではなくなっていく塾生たちが描かれていくのだと思います。
あと
「草莽崛起」と言う言葉を覚えました。
「「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。」ウキペディアより抜粋。