森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2018年の4月1日は日曜日

2018-04-07 12:06:40 | 梢は歌う(日記)
 
2017年の4月1日は土曜日。
 2016年の4月1日は金曜日。 今年の4月1日は水曜日。 4月1日、火曜日 4月1日、月曜日。今朝実家にて「今日は4月1日だ。」と私が言うと、父はそれには返事もし......
 

上の囲みは昨年の4月6日に投稿したものです。そしてその囲みの「続きを読む」をクリックすると、記事は遡っていき、2013年からのツリーになっているのです。

そこにはまだ生きていた父との会話などを書いており、それを読むといつも父の事や、その頃の父との別れの日々を思い出すのでした。

昨年の記事ー。

>2013年の4月1日。その日の事がそんなにも印象に残るとは思わなかった私は、父と本当に他愛のない噓吐き合戦をしていたのでした。
その年の5月1日には父は居て、6月1日には父は居なかったー。

 

そしてまた、

>大切に生きよう。丁寧に生きよう。

ささやかな暮らしで良いからね。

と言う一年の指針を立てたのでした。

「四月はもう一つの新年だ。」と言うのは、毎年言っているマイコピー。

 

新年と節目である節分の頃と(私の場合は誕生日も兼ねて)そして新年度、自分の暮らしを見直したり目標を立てたり、そして一度立てた目標を修正したりと、そう言う明らかに分かりやすい時に考える事は大事な事だと思います。

 

こんな風に、このツリーのシリーズは、父との想い出、何気ない一年の指針、そして日記を書くと言う、私的には意外と大事なものになっているのです。

 

今年の私の4月1日は、めまいの為に一日中家に引きこもり、お買い物などを夫一人にやってもらいました。夕方からはかなり良くなったので、夕食も普通に作りました。(土曜日は夫殿が作ってくれました。)

それでも自治会の文書を一枚見直して、一つだけ駒を進ませました。

そんな私の楽しみは「西郷どん」を見る事だったのに、ドラマはオヤスミで「西郷どんスペシャル「鈴木亮平×渡辺謙の120日」になってしまっていて本当にがっかりしました。これは見なかったので、きっと見た方は面白かったのではないですか。

だけどドラマだけが楽しみだったなんて、悲しい私・・・。

前日の31日には、wowowで楽しみにしていた「闇の伴走者」の続編が始まって、しっかりと私、見ましたよ。

そして夫殿に言ったのです。

「私さあ、病気になって明日死んじゃうかもねって時でも、面白そうなドラマがやっていたら見るんじゃないかと思うのだけれど。」

「それは言えるな。」と夫。

もちろんそれが叶うには、それ相応の条件は居るのですが。

 

そんな条件が適って父は最後までやりたい事をやることが出来たと思います。

だけどその彼が選んだ選択は、最後に渾身の絵を描き残すことでもなければ、家族に手紙を残す事でもなかったのです。それは引き受けていた自治会の老人会の、またはサークルのもろもろのイベントや仕事をやり遂げる事だったのです。

 

私は桜を見ると父を思い出します。

父が好きな花だったからなどと言うロマンチックなお話ではありません。

この事は、2015年のこのツリーの記事にも書いてありました。

>「みんなは桜の花が咲いたとかまだ咲かないとか騒いだり、咲けば『ああ、綺麗だ。』と言うけれど僕はもう何にも感じないよ。綺麗だと感激もしないし、はっきり言ってどうでも良い。」

その年、父は私にそう言ったのですが、「もう」と言ったのは、死が直前に迫って来たその年だからを言っていたのではないと思うのです。その「もう」は、ここ何年もと言う意味だったような気がしました。いや、それはずっと昔からなのではないでしょうか。

父にとっては、桜の花なんかずっとどうでも良かったのだと思います。

それでも父は「今年の桜を・・」と言う記事の中で書いたことですが、その年の「お花見会」を成功させて、涙を誘う挨拶をしたのでした。

 

人は皆それぞれ、違うものであり、同じ感覚なのだと思い込んではいけないのです。

誰もが心ときめかす、桜の開花。でも父にはどうでも良い事でした。

彼が大事に思っていたのは、それを通しての人との触れ合い。そして更に大事だったことは、自分の力を生かせる場所を持つことであり、そしてそこでの責任を貫き通す事だったのでしょう。

父は相当自分大好き人間で、自分の何でもこなせる器用な能力も愛していました。その自分を大切にする毎日が、結局は人のために役に立って行ったのでした。だからそれは滅私奉公の事を言っているのではありませんが、それでも私は「誰かの為に生きるって、大事な事だな。」と言う事を父から学んだと思っています。

それは見知らぬ誰かの為に何かせよと言っているのではありませんが、私の周りにいる方々では、これなら自分にも出来るなと、偶然か必然かで何かやられている方々は、皆はつらつとしていてすこぶる若く感じるのは、偶然とは言えないような気がするのです。

因みに、孫の世話を押し付けられている方々も、…いや、楽しく第二の母親業をやって居られる方々も、同じかなと思います^^

 

そう言えば父は、紅葉とか菊の花とかがきっと好きだったような気がします。

言うなれば、「秋好むおやじ」だったのかな。

 

生きていれば、「どう?」と言って見せつけたであろう「春は花の祭り」の残りの画像を載せておきます。(4月2日に病院に行ったついでにしたお花見散歩の写真です。)

 

 

これは真っ白な花桃。

 

よそで枝垂桜を見てきた後で、ここに来ると、この公園の枝垂れは結構立派なんだなと気づかされました。

 

公園を出て・・・

もう次の季節が迫っていました。

 

 

向こうに見えるのは

 

梨の花でした。

 

そして

 

長閑な田舎の風景→公園→そして街の中

そんな私のお花見散歩。

ちょっと1万歩を超えてしまいました。

そりゃ、もともとが不調だったのだから翌日クタクタしていても無理はなかったのかしら。

 

そして花より団子タイム。

 

 

 

 

 

 


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