世の中で起きた事を数日後に書くと、もう古い話のように感じてしまうほど、毎日いろいろな事が起きますね。
それでも書いておきたい事ってあるじゃないですか。
あの相撲の土俵の上で起きたことは、自分でも覚えておきたいので書いておきたいと思います。
あの市長が倒れてしまった時に、いち早く土俵に上がって何もせずにおろおろして立っていた男の人たちを尻目に、即心臓マッサージをした女性はもとより、それを見て、すわっと言う感じで後に続くように土俵をめがけて走って行った女性たちのカッコ良さはなかったですよね。
ビュンビュンって感じで走って行きました。
ああ、私もかくありたい。このような時にこのように即動ける人でありたいって、とっさに思いました。
そのシーンは、後からのニュースではあまり流されてなかったので、正しき状況を見る事が出来て本当に良かったと思いました。
AED講習なんかを受けたことのある人だと分かると思うのですが、あの心臓マッサージは、マジ疲れますよ。
「まだですか。」って言いたくなるほどの体力使うのが、あの心臓マッサージですよ。
それに素人だと、命を預かってしまうので、出来ればそう言う状況には出会いたくないのが本音ですよね。でも出会ってしまった時、自分の判断で最初の一人目になって良いものか悩むのではないでしょうか。あまりにも多くの人がいた。それゆえに、あの男の人たちは手を出す最初の一人になれなくて、ボーっと立っていた状況になってしまったのかもしれません。その後その女性に指示されてか、男性が引き継いてマッサージをしだしたように見えましたが、どうだったのでしょうか。
あの女性はプロの看護従事者だと言われていましたよね。あのような状況で、そのような方が飛んできてくださって、本当にラッキーで「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と思う所ですよね。
そして続いて飛んで行った女性たちも、倒れた人もそれを助けようとした人も助けなくてはと走って行ったのだと思います。
カッコいいです。
子供たちに見せてあげたいシーンです。
そこまでは。
その後の事は、日本全国津々浦々みなさんご存知の、相撲協会のカッコ悪い「女性は降りて男性が上がって下さい。」のあれですよ。
見るべきものを見るべき行司さんのこの発言もどうかと思うけれど、間を空けて二回も言わせたくせに、それを「若い行司」の一人のせいにして謝罪をする人もどうかと思うよ。いや、そちらの方のほうがどうかと思います
伝統か命かって、そんな比べようもない事じゃないですか。それよりもなぜそのような伝統が生まれてきたのかを、日頃から深く洞察すべきなんじゃないのかしら。まさか、よもや、よもや、マジに、女の神様が嫉妬するからと言う知識どまりってわけじゃないだろうな。←結構イヤミ
テレビを見ていて塩をまく親方たちにも腹が立ちました。
相撲ファンの人の弁によれば、このように塩をまくのは普通の行動だそうですが、それはこの場合、通用しないのでは。あの行司さんの発言の後にシャカシャカ出てきて、チャッチャっと撒けば、清めたように感じるのは普通の感覚ではないですか。
それまで興味もないから考えたこともなかったのですが、あの夜テレビを見ながら、ふと考えてしまいました。
「きっと昔の女性は土俵云々ではなくて観戦からダメだったような気がするな。」と私は夫に言いました。
「それは不浄とか関係なくて、女性を守るためだったと思うの。なんでかって言うと、巨体の格闘技だから危ないって言うだけじゃなくてね、男の裸体を女性たちに見せるなんて、あり得なかったのだと思うのよ。昔の日本はそう言う国じゃなかったかしら。」
そして日本と言う国は、何でもあからさまには語らず物語の中にその本質を隠す・・・・。
もちろん真実は分からない事ですが、もしも上っ面だけが伝わっていきそれを伝統と言うのなら、少しは考えた方が良いと思うのです。
私は例外を除いては、こういう伝統も良いのではないかと思っていました。でもわんぱく相撲で女子が地域で優勝しても、会場が国技館であるゆえに、その女子は全国大会に出られないのだと言う事を知って、少しはではなくて、ちゃんと今の時代に合うように考えた方が良いと思ったのでした。