実は昨日の27日(土)に「修善寺」に行って参りました。
今日(28日)の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、タイトルが「修善寺」で、でもこれは「修善寺」と言う場所を表しているのではなく、その場所で何が起きたのかですね。
それでも私は思い満足しました。
「なんてタイムリーなのかしら♪」と。
緑が美しい境内でしたが、前日の26日と違ってかなりの夏日。修善寺も暑かったです。
それでも私は、来たかった場所に来ることが出来たので、「暑いね。」ぐらいは連発していたかも知れませんが、本当はさして気になっていなかったのです。「好き」ってそう言うものですよね。
ところで今この街は、と言うよりこの地域は「鎌倉殿の13人」で盛り上がっていました。
そうですよね。今盛り上がらなければ、いつ盛り上がるのだと言う所ですよね。
各名所に、このような物が立っていました。いわゆるスマホでやるスタンプラリーのようなものかと・・・・。
景時殿がいらしたのは「日枝神社」でした。
今回は入口の大木のみの撮影で留めました。
何しろ「伊豆の小京都」と言われている修善寺には、初めて来たので行こうと思っていた場所を優先させたのでした。
「鎌倉殿の13人」の聖地巡礼をしようと思ったら、それは墓参り行脚になってしまうなと、私が友に言うと、
時代劇なんか過去の人の話なので、そうなって当然じゃないと言われてしまいました。
確かに。
そう感心したものの、「でもな~、あのドラマは特に、そういう気持ちになっちゃうな~。」と、やっぱり思ったのでした。
と言うわけで、「源頼家」のお墓参り・・・・・。
手前に見える大きな黒い石は供養塔です。
お墓はその供養塔の隙間からチラリと見えています。
横に階段があるので、そこを上っていき少し裏手から見れば、もっとはっきり見えたと思います。でも気持ちは「お墓参り」でしたので、手を合わせて帰ってきました。どう考えても、この人は無念の塊のような気がしてしまうのです。供養塔が真っ黒なのは、そのせいのようにも思え、ついつい深く祈ってしまいました。
頼家のお墓にある「お伺い石」。
最初に持ち上げようとした時、持ち上がらなくて焦りました。やっぱり邪心が多いから ?
いえいえ、この石は重いのです。
そして政子殿は、やはりここに居ました。
「指月殿」です。
実はご一緒したお友達。まったく歴史に興味がなくて、だから大河ドラマも興味がない・・・・。
本当は頼家のお墓も、来たくもなかったのを来てもらったようなもの。
でも今、修善寺に来てですよ、大河ドラマクラスタでこのお墓に来ないなんてあり得ない事でしょ。
だから私は、「ここで待っていて。」と手前の所で待っていてもらってお墓参りをしたのです。でもその先の道を見つけ、彼女が行きたい所にそこを通る事が分かって、結局彼女もここは見学したのです。
だけどだから次の所を言いだすのはちょっと勇気がいました。
「今回は、止めておこうかな・・・・」とまで思いましたが、次回がいつになるかなんて分からない事ですので、やはり私はここでは友と別れて一人で行きました。
「源範頼」のお墓です。
失礼ながら、私は思いました。修善寺を訪れた人は、この地で何があったのかを知っている人も多いので、頼家のお墓には行ってみようかとなると思うのです。でも今までは、ほんの少しだけ離れた丘の上にある範頼殿のお墓は「まっ、今回はいいか~。」となって来たのではないかと。
だけど今回のドラマの影響で、ここを訪れる方も多くなったのではないでしょうか。
私が思っただけで、真実は分からない事です。
丘の上から見た風景
お友達と待ち合わせをしたのが、「独鈷の湯」です。ここは観光施設で、足湯もダメです。
足湯はすぐ近くにありますが、長くなったので、またこの「修善寺☆旅日記」に続きます。
ただ続けて書くかどうかは分かりません。
またいろいろと他の事を書きたいと思っていますので。大河の感想もその一つ。
次はその感想になると思いますが、今回は「終善児」または「修善児」の回でもありましたね。