森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

人は眠りの前に何を思い、何を望むのか<その1>

2010-09-23 02:48:12 | 梢は歌う(日記)
数日前のお話。タイトルとは程遠い所から始まるのが私流・・・

【墓参り&敬老の日】

20日の日は「敬老の日」。
ワタクシはすっかり忘れていました。と言うより、忘れたい。
誕生日や父の日母の日、いろいろあって、みんな自分には何もないか大した事もないのに、自分はあれやこれやと考えなくてはなりません。
時には、軽い皮肉もこめて、みんな「姑の日」とかひとり呟いても見たくなるのです。
でも実を言えば、日ごろの感謝もありますし、プレゼント選びはそんなには嫌な事でもありません。

だけど、この「敬老の日」は苦手です。長い間、スーパーばあちゃんゆえに無視してきました。でも、さすがに80を越すと、それはないんじゃないかなと思うようになりました。だけどよっぽど私よりも元気な義母に何かを贈るのって変な風に照れちゃって・・・と言うか、はっきり言うと「敬老の日」に何かを贈るのって好きじゃないんですね、きっと。心の奥底に「敬老の日」ってなんじゃい。日々変わらずに感謝&親切が普通じゃないのかなと馴染めないものがあるんです。

それでも、
「まっ、一応世間は『敬老の日』みたいだからさ。」とか言って、花なんか贈った事もあったかも。去年はどうしたかなと、ブログを読み返してみたら、一緒にユニクロに買い物に行ったときに彼女の買ったものをレジで奪って、お支払いを私がしたと言う、喜んでは貰ったけれど、やっぱり準備不足丸見え・・・

で、今年は一緒にこの日に映画に行く約束なんかを、たまたましました。
この時は、20日が何で祝日なのかなんて意識していない訳ですが、たぶんチケットを私が買って終わりになってしまったと思います。
そんな安上がりでいいのかと思うかもしれませんが、良いんですよ。
これはね、分かる人には分かっていただけると思うのですが、元気な義母は、まだ気持ち的には「してあげる」側の人間なのですよ。結局は返って来てしまうので、金額的なことはあまり関係がないのです。

ところが映画の約束をしていた時に、例の如く、私はまた余計な事を言った訳です。
「墓参りより映画が先でいいのかなぁ。」

いや、ふと、あっ、しまったかなとは思いましたよ。でも嫁として、映画優先の自分で良いのかと、自分の中の後ろめたさが言葉になってしまったのですよ。

折り返し電話がありました。
お天気を調べたら23日は雨。だから、予定を逆にしてと言うものでした。
でもなんかトゲトゲ・・・。ちょっと、私はズキズキ。
でも、一緒に暮らしていないと言う事は良い事ですよ。
しばらくしたら、「まっ、いいか。」ってなものですよ。

そして、墓参りの時、義母はその間に合ったお食事会で
「嫁さんに言われッちゃった~。」と、先の言葉をみんなに言った事を、笑い話のように私に言いました。でもそれって、もしかしたら「まったく~」的な嫁話だったかもで、そうやってちょっと感じたイライラを解消しているのだと思います。

20日の日も、途中で小雨がパラリと来ましたが、そんなに暑くもなく、墓参り日和でした。綺麗な花が飾ってあるお墓がいくつもあって、やはり映画よりこちらを先にして良かったと私は思いました。そして、それは母も感じたらしく、「なんかホッとした。」と言いました。


帰り道、お茶を飲んで帰ることになりました。私は払う気満々です。お茶でお茶を濁す算段で、もちろん自己満足のためです。
「あら、お墓に行ってくれたりしてるのに、私が出すわよ。」と義母。
「ううん、今日はワタクシが。」と言ったら、間髪いれずに
「今日は敬老の日だから、払いたいんだよ。」と旦那。
ああ、敢て、その祝日名を出されるとお茶代でうやむやにしようとしているワタクシとしては、ちとマズイものが。
「だってね、『敬老の日』って今朝気がついたものだから」とムニャムニャと言っていると、義母はニコニコしながら言いました。

「何言ってるの~。こんな風にいつも気を使ってくれて、嬉しく思っているのよ。『敬老の日』に感謝したいのは私のほうなの。」


この話は、ここで終わりです。


私は私であって運が良い。
義母がその人であって運が良い。
そんな関係を築いてくることが出来て運が良い。

そして、刹那、私はそう思ったのでした。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ちょっとだけ、おしゃべり ☆... | トップ | 真夜中におしゃべり☆ »
最新の画像もっと見る

梢は歌う(日記)」カテゴリの最新記事