森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

なぜその夢を見たのか・・。

2021-06-06 00:35:31 | 家族スナップ

ちょっと気持ちも軽い土曜日の夜です。

なぜなら4日の金曜日に妹のスノウさんが退院してきたからです。

そう、スノウさんは5月24日から入院していたのです。

 

21日のラインでの姉妹集会の時にスノウさんは言いました。

「何か膀胱炎になっちゃってさ、病院に行きたくないから市販の薬を買ってきて飲んだら楽になった。」と。

スノウさんは7年前から乳癌・肺がん・脳腫瘍・脳腫瘍の再発・何処かの内臓の癌と闘病中で、今は歩く体力がありません。行きたくないと言うのも分かるような気がします。楽になったのなら良いのかなと、深く考えずにそう思ってしまったのかも知れません。

だけど彼女の目下の懸案は、あまりおしっこが出ないという事だったのです。

漠然と、おしっこがあまりでないのに膀胱炎が治るものなのかしらと思いました。この病気は女性なら経験がある方は多いのではないかと思うのですが、抗生剤も飲みますが、水分もたくさん飲み菌を体外に押し流す必要があるのです。

そもそもおしっこが出ないから膀胱炎になってしまったのではないのかしら。

妹は、病院に行っている時に、この大事な事を医師に伝えているのかしら?

その時、なぜか今は行かなくても、妹は週が明けたら病院に行くのだと思い込んでいました。

 

ところが土曜日の深夜に夢を見ました。

深夜族の私ですが、その日はまたいつも通りに真夜中の2時近くに寝ました。

あっと言う間に深い眠りについて夢を見ました。

実家の親と姉妹で、ワシャワシャと旅行に行っている夢でした。姉妹との旅行にワシャワシャと言うのはまさにピッタリな擬音語かと思います。詳しい内容など覚えてもおらず、部屋でワシャワシャっている夢。

その後、私はホテルのロビーにやって来てフロントで、何かの申し込みの書類を書こうとしていました。ふと振り向くと、背後にスノウさんが車いすに乗っていました。彼女はやけに眩しく光っていました。

「お姉ちゃん、あのね、私、またーーーーー。」

「新しい癌がーーーーーーー。」

ええっ !?

「ちょっと待って、今ちゃんと聞くから。」と私は言い、スノウさんの車いすに置いてある腕に腕を重ねてました。

「私、何のために生きてるんだかわからなくなっーーーーーーーー。」

言葉の語尾がすべて消えていき、何を言っているのかよく分かりません。

これって、夢だけど夢じゃないアレだわ。

そう夢の中で思う私。

夢は自分の脳が見せる映像で、会話は実は自分が作り出しているものだと思います。会話が聞き取れない事も、あまりない事ですし内容が分からない事もあまりない事だと思うのです。なんたってセリフは自分自身が作り出しているようなものですから。

それでも私は言いました。

「スノウさん、それは違うよ。生きているだけでいいんだから。それだけでみんなの為なんだよ。生きて。お願いだから。」

そして私はスノウさんをそっと抱き寄せたのでした。

 

そこでパチリと目が覚めた私は、ムクリと起きて時計を見ました。眠ってからたった40分しかたっていませんでした。

私は怖くなってしまいブルブルと震え、その後眠れなくなってしまいました。

だけど朝になったからと言って、何か変な連絡が来てるわけでもなかったので、ホッとはしては居たのですが、それでも凄く気になって、翌日の月曜日に電話しました。

やはり歩けないから病院にはいっていないとスノウさんは言いました。

「熱とか出ていないんだよね ?」と聞くと、

「ううん、出ちゃった。38度超えちゃったかな。」

スノウさん !

病気になれちゃってると言う感じがしてしまいました。

「あのさ、膀胱炎では熱は出ないんだよ !!

もう、それは別の病気だよ。癌じゃない人もなる病気だよ。高熱が出るよ。今そんな高熱になったら体力的に耐えられるの。今から、病院に電話して!!旦那と娘に頼みなさいよ。 電話、一旦切るから、どうしたのか報告してね。頼むよ、すぐにやってね。」

と言うような内容の事を、もっと長くクドクドとガミガミと言いました。

 

ところでその後、ちっとも報告の電話がかかって来ません。

それで姉の蝶子さんに「煩いと思われても嫌なので、お姉ちゃん、電話してくれない ?」と頼みました。

 

姉が電話すると、

「今、救急車の中なんだ。あっ、今病院着いた。」と言うお返事だったのです。

 

ああ、良かったと思いました。

そしてそのまま入院しました。

その日の夜は、「ありがとう」のスタンプが来て、何やら訳の分からない言葉が送られてきましたが、意味も分からず、たぶん熱でぼんやりしていたのでしょう。その後数日は何も音沙汰もなくて、その間は本当にドキドキしていました。27日あたりからようやく普通の会話が出来るようになってきました。

それまでは、ずっとぐっすりと寝込んでいたようです。

 

彼女が明るく能天気な事を言ってくると、私の心は本当に軽くなって幸せな気持ちになるのでした。

 

25日の私と一番下の妹の名都さんとの会話。

「花ちゃんが電話してくれて良かったな。私やお姉ちゃんだったら、嫌がってる人に病院に電話させることは出来なかったと思うから。」と、彼女は言ってくれました。

「いや、あの夢を見なかったら、私も電話しなかったよ。どうしたって何か意味があるって思うよね。」

「明日、お父さんの命日だから、戻って来ているのかな。夢で教えてくれたのかな。」と名都さん。

 

ああ、確かに、そうかも知れないと私は思いました。

そう言えば、あのワシャワシャとしていた旅行の夢の中で、宿の一室のシーンの片隅に父もいたような気さえするのです。

 

何も確信のない話です。それでも私は父に感謝し、思わず涙が出そうになったのでした。

 

 

 

 

 

 


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