そりゃ、あなたね、自分の母親にだって言いたいことはいっぱいあるのですから、ましては元は他人で、言っては何だけれど、うちの母より数倍気が強くて自分中心で、自分偉いの(言いたい放題(笑))姑には、いろいろ心の中では思っていることもあるわけです。
だけどですね、99歳まで元気でボケもせずに、お洒落に生きてきたとなれば、もう私になどは全く勝てる気がしません。
なのでいつも「ははぁ」と言って傅いてしまうのです(笑)
言いたい放題冒頭に書きましたが、一応仲良しなので安心してくださいね。
義母と私の誕生日は、ほんの数日しか離れていないのです。
このことに関しても、私の闇の扉の中ではうごめく感情が、実はずっとあったのです。
だけど「99」と言う数字‥‥とてもスルー出来ません。
99歳でするお祝いが「白寿」だと知ったばかり。
きっと本当の100歳(百寿)になったら、義兄が何か企画をするのだと私は思っているのですが、昨年転んで骨折し長く入院した後、今は家の中で前よりも元気もなく過ごしている姑に、今この時に何かしたいなと思いました。
で、家族で「誕生日会」という名の「お食事会」をすることにしました。ここに「義母と私の」にしたのは、私の闇の扉の中の感情を説得しなだめるためです(笑)
どうせ企画しリサーチして予約したり、はたまたブラックなお仕事のルート君に「この日曜日に仕事を入れるんじゃないよ。」と脅かしたり、横浜にいるラッタさんに連絡を取ったりと、ふぅふぅと働くのは私なのですから。
私的にはラッタさんも横浜からやって来て、家族そろってお食事と言う、ただそれだけでも幸せ。
しかもですよ、彼は私と義母にプレゼントも用意してきてくれたのです。
義母のものは大きくて、彼女を迎えに行く時に渡したので、車で待っていた私は見ることが出来ませんでしたが、枕だったのですって。
ラッタさんは、中身が何かと言うことを私には伝えてなかったけれど、店員さんが言った事だけは教えてくれました。
だから私はその言葉を義母に伝えました。
「それ、10年は使えるそうですよ。」と。
お食事の後買い物をして、彼女を送っていきました。別れ際に子供たちに手を振る義母はとっても幸せそうないい顔をしていました。
その顔を見て、「あーー、やって良かったなぁ。」と心からしみじみと思った私でした。
私へのプレゼントは
お洒落なフルーティなお酒です。
「じゃあ、お母さん、夜な夜なちびちび飲んで楽しもう。あっ、キッチンドリンカーになっちゃうかも。」
なんか余計な事、言ったか、私 ?
で、義母へのプレゼントにルート君も乗ってきたので、その会話からその枕の値段を知ってしまった私と夫は、驚いて思わず
「ラッタさん、自分のために貯金してね。」と水差す私。
夕食は、久しぶりに我が家で4人で鍋を囲みました。
いつも3人でお鍋をするとき、ラッタさんは横浜で何を食べているのかなと思う私でした。
お鍋って、家族団らんの象徴のような食べ物だと思っているからです。
だから久しぶりの寄せ鍋は、それを4人で食べたと言うだけで、私は嬉しかったのでした。
ラッタさんを駅に送りに行った時に、私は声を掛けました。
「今日はそれなりに楽しかったね。」と。
「うん。」と答える二人。
2月4日は、そんなささやかな幸せの1日でした。
御料理。