「約8年 その1」の続きです。
私のお母さんは、私たちを愛だけで育てた。
そう私が言うと、時に人は誤解して、「素敵なお母さんですね。」などと言われることがありました。
いや、素敵なのはこの私の言い方でしょう。
子供を「愛だけ」で育てられるわけがないのです。
だけど、私たちはまぁまぁいい子に育ちましたよ。よくよく考えるとお母さんの愛には、本当は凄く助けられてましたから。
よくよく考えないと分からないのかと言う所ですが、てんこ盛りで母と娘の話、私には言いたい事がたくさんありますよ。でもそれはまた別のお話。
とりあえず「愛だけ」の母には、子供に対する気持ち的配慮というものがなかったような気がします。
でも昔のお母さんの半分ぐらいはこんなものだったと大目に見て、私はそう思いたいです。
「お前なんか、橋の下から拾って来た。」などと言う、訳の分からない言葉が流布していた昔、その言葉を聞いたことがある人は結構いるんじゃないかしら。
こんな言葉で平気で言っちゃうグループの人の中に母は入っていました。
その母が、面白おかしく楽しげに話す、私が生まれて来た時の話・・・・・
「お姉ちゃんが生まれた時、パパは嬉しくて、毎日毎日仕事が終わると飛んで帰って来たの。でも花ちゃんの時は、お産婆さんが『お姫様ですよ。』といった途端にガッカリしちゃって、毎晩帰って来るのが遅くなっちゃった。」
それを本当に楽しげに話すんです。きっと母にとっては、「まったく~」という面白い想い出なんでしょうね。
吃驚しちゃうでしょう。
でもこの時、私にもその話は面白く感じていたんです。だって、母が楽しげに話すし、それよりも現実的に、自分のポジションが如何に快適なものなのかが分かりかけてきた頃だったからだと思います。
お姉ちゃんがいて、私が二人姉妹の末っ子で、そして母は私たち二人にいつも可愛らしい服をお揃いで着せていました。
良く家族四人で出掛けていました。
疲れたと言うと、父がおぶってくれました。
私は、少々の我儘も許されるチヤホヤされるプリンセスだったのです。
でもそれは、スノウさんが生まれたあの日の朝まででした。
妹は生まれた時から、それはそれは可愛らしい顔をしていました。それがちょっと嬉しかったと思います。
だけどそれもすぐにあまり嬉しくなくなりました。
どんなことがあったのかなんて、詳しくは書かない事ですが、下の子供が生まれたらと言うよくある話です。
早くに結婚した父と母は、今思えば、若く精神的には子供だったのだと思います。
新しい可愛らしい子供に両親は夢中になりました。彼女が新プリンセスです。
私は居心地のいいお城から放り出された惨めな子供に成り下がってしまいました。
そうなってくると、蘇ってくる私が生まれた時の父の話。
「ガッカリして、毎晩遅くに帰って来ていた。」
いつも何かに飢えていた・・・・・。
だけどね、こんな話、実は昔はざらでしょ。
別に父と母が特別に愚かだったわけじゃないし、と言うよりも、これは人類の、いや、別にいきなり大きく出たわけじゃなくて、真実だから言うのだけれど、これは人類の普遍のテーマなんですよね。
「エデンの東」、映画を見て号泣し、また本を読んで滂沱の涙を流しました。
別にクリスチャンではないけれど、アベルとカインの話は胸に突き刺さります。
確かに子供の頃は惨めな自分を感じていたけれど、今思えば、その時の欠落感が今の私の感性を作り出し、知識をかき集めたのかと思ったら、必要な時代だったかもしれません。
でもそれは、今だからそう思えるのです。
私とスノウさんの姉妹としての出会いは、ベストとは言えなかったと思います。
また不定期に続きます。
トップ画像は3月20日の日の朝のスカイツリーです。
※ アクションボタンやコメント欄を閉じているので、なにげにランキングに入る数で励まされています。よろしかったら押してくださると嬉しく思います。