森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

約8年 その12

2022-08-05 00:14:55 | ランダム自分史

(2019年秋・十月桜)

 

・「約8年 その11」の続きです。

意外と何でもブログに書いてきたように思っていましたが、読み直してその時の事などを思い出すと、そうでもないなと思えてきました。

自由が丘に行きました。その3」の記事の中には、姉妹と別れた後に、なんとなく気持ちが落ち着かず、上野に満開前の桜を見に行ったことなど書いていませんでした。ただあった事だけを書いた行動記録であっても、その行動には微妙な訳があり、その時は踏み込んだ事を書きたくなかったがゆえに省いたのだと思います。

だけどスノウさんは更に元気になっていき、そして秋には春には来ることが出来なかった蝶子さんも含めて、再び自由が丘で4人集合しました。

→「自由が丘に行きました。その4」

他愛のない事がそこには書いてあります。スノウさんが元気だったので、私もすっかり油断していました。

実はこの日も、みんなと別れた後途中下車して東京散歩をしてきたのです。でもそれは春の時とは違います。私に生クリームは天敵なのです。だけど普通に長距離のバスになどに乗っていなければ、別に問題はないので自由が丘のピーターラビットカフェでも、しっかりとデザートを頂いてきたのでした。

帰り道、またも電車の中で腹痛に襲われた私でしたが、「あっ、そうだ。行ってみたい所があったんだわ。」と、途中下車したのです。

さながらその「行ってみたい所」が目的であったかのように。

昔、勤めていた会社があった街をウロウロして、その変化にまたも凄く寂しい気持ちになってしまった私・・・・。

その時の気持ちを詩にしました。

→「歩いていた

その詩は、別にスノウさんの事を詠ったものではなかったけれど、今読み直すとと、ちょっと辛いものを感じます。

 

だけどあの日が来るまで、私たちはみんな能天気もイイ所です。

あのライン集会で、彼女が「頭が痛いから午後から病院に行くんだ。」と言い、「あらッ、風邪とかひいちゃったのかしら。」とみんなで言ったあの日。

でもその痛みは脳腫瘍によるものだったのでした。

→「自由が丘に行きました。その5

上にリンクした記事にその時の事を詳しく書きました。

2019年12月16日に入院して、そして20日の日には手術を終える事が出来たのでした。あっと言う間の1週間でした。

12月17日には姉妹揃って病院に駆けつけ、翌年2020年の1月3日には母も交えて、また病院にお見舞いに行きました。

「自由が丘に行きました。その6

 

それでも私たちは信じていました。

彼女が病気に打ち勝つことをー。

 

だけど「微塵も疑っていなかった。」などとは、それは書けない事です。

他の姉妹はどう思っていたかは知りません。スノウさん自身も。

 

私は12月13日のライン集会までは、たぶんそれを100信じていたと思います。

だけど年が明けた後、私は心の奥底で違う事を考えていたのだと思います。

 

 


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