今日あたり、
「あの人(私の事)~どうしているかしら~♪」と、訪問してくださった方の中には、たぶん私が「鑑識米沢守の事件簿」に行きました、とか、「ムサシ」の記事なんかを書いているんじゃないかなと思って来て下さった方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
確かに今日映画には行く予定だったのですよ。
でもパパさんに「めまい」の症状が出てしまったので、来週に延期です。夫婦で揃って同じ持病持ちになってしまって、私達って変なところで仲良しこよしなのよね。(涙)
今日は来年度にやる自治会の会合があったりで、何気に忙しかったので「ムサシ」の感想ももっとゆっくり書こうと思います。
―昨日見た夢―
我が家のワンコが死んでしまった夢。
我が家のワンコ、ココちゃんの話ってあまりしないけれど、ボケ老人犬なんです。もう私の事なんか分からない犬。3メートルも歩けない犬。食べることだけがすべての犬。
書き出すとたくさん書きたいこともあって、でも今はあまり書きたくない・・・
でもそのココちゃんが死んでしまった夢。
夢の中で私はその犬を新聞で包んでいます。包み終わると、それがまるで傘のように細いのです。私は夢の中で泣いて泣いて、本当に大切なものを失ってしまった悲しみに声を上げて泣きました。
でも心のどこかで、
「私はココちゃんが死んで、こんなに泣くんだな。」と冷静に思っている自分がいたのです。
死の夢は、悲しみの確認・・・
ずっと前というほど前ではない前(なんじゃろ、それ)、我がお姑さんが、さりげなく
「犬は元気?」と聞くので
「元気ですよ~!今、あの犬はなんにも我慢することがなくてストレスがないの。前より元気になったみたい。」と答えましたら、
「困ったものね。そうなっても生き続けるんだから。人間も犬も。」と、サラッと言うのです。
「なんてことを!!」と、ここでひどいことをいう人だと思ってはいけません。
「そんなことないよ。そうなっても私は生きていて欲しいし、死んだら私は寂しくて泣くわ。」と、私はゆっくり答えました。
これはお姑さんへの優等生的反論ではないのです。彼女への意思表示。
ここに歳が少し行った人との会話の難しさがあると思います。彼女の言った「人間も犬も。」の「人間」の中には、自分の事は入っていなかったかもしれません。でも、私が彼女に追随しようと「そうですよね~。」なんていった途端に、突然そうなってしまうかも知れない仮定の自分がいきなり含まれて、きっと不安な気持ちに襲われるのではないかと思うのです。
それに私の耳には、やっぱり姑は、自分の事を言ったように思えたのです。
ただ一瞬でありながら、私は前とはぜんぜん変わってしまった犬に、優しかった姑の別人のようになってしまった想像の姿が重なり、心の奥底では気持ちが揺れました。そうでなくても、先に人生を走っていく犬は私にいろいろな事を教えてくれているような気がするのです。
「姿が重なり」・・・、いつも老いた犬の姿に自分には来て欲しくない未来が重なって、やはり様々なことを考えてしまうのです。それは自分にとって、自分ではどうすることも出来ないゆえに本当に「困る」ことなのですね。
まあ、ちょっと重い話なのではこの辺で辞めておきますね。
とにかくですが、朝目が覚めてもちょっとウルウルしていました。
テレビで映画の「マーリー」のCMを見ていたら、またジワーッと来てしまいました。いつもなら動物で泣かす映画はねとあまり興味もないのですが、今日は「王様のブランチ」での、その特集なんかも熱心に見てしまいました。
注:ココちゃんが死んだのは夢のお話で、実際は元気です。
これを書きながら、思い出したのですが、彼女(メスなので)が家にやってきたときに、私は彼女の目をしっかり見て、こう命令したのです。
「いい!あなたは15年は必ず生きるのよ。15年は死んではいけないの。分かった!?」
そうか・・
それで彼女は頑張ってくれているのかも・・・
なんて思ったら、また涙が出てきちゃった。
ボケ老人犬なんて書いてしまったけれど、ココちゃんはそんなに高齢ではないんです。13歳と9ヶ月・・・
もう「お座り」も「待て」も分からないけれど、私の最初の命令を継続中・・・
お気楽にブログパーツを張ろうかなと思っただけだったのに、結構重い記事になってしまいました。それこそ予定は未定・・
しかもUP時間が遅くなってしまい、「今日」「昨日」がずれています。あしからず。
「あの人(私の事)~どうしているかしら~♪」と、訪問してくださった方の中には、たぶん私が「鑑識米沢守の事件簿」に行きました、とか、「ムサシ」の記事なんかを書いているんじゃないかなと思って来て下さった方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
確かに今日映画には行く予定だったのですよ。
でもパパさんに「めまい」の症状が出てしまったので、来週に延期です。夫婦で揃って同じ持病持ちになってしまって、私達って変なところで仲良しこよしなのよね。(涙)
今日は来年度にやる自治会の会合があったりで、何気に忙しかったので「ムサシ」の感想ももっとゆっくり書こうと思います。
―昨日見た夢―
我が家のワンコが死んでしまった夢。
我が家のワンコ、ココちゃんの話ってあまりしないけれど、ボケ老人犬なんです。もう私の事なんか分からない犬。3メートルも歩けない犬。食べることだけがすべての犬。
書き出すとたくさん書きたいこともあって、でも今はあまり書きたくない・・・
でもそのココちゃんが死んでしまった夢。
夢の中で私はその犬を新聞で包んでいます。包み終わると、それがまるで傘のように細いのです。私は夢の中で泣いて泣いて、本当に大切なものを失ってしまった悲しみに声を上げて泣きました。
でも心のどこかで、
「私はココちゃんが死んで、こんなに泣くんだな。」と冷静に思っている自分がいたのです。
死の夢は、悲しみの確認・・・
ずっと前というほど前ではない前(なんじゃろ、それ)、我がお姑さんが、さりげなく
「犬は元気?」と聞くので
「元気ですよ~!今、あの犬はなんにも我慢することがなくてストレスがないの。前より元気になったみたい。」と答えましたら、
「困ったものね。そうなっても生き続けるんだから。人間も犬も。」と、サラッと言うのです。
「なんてことを!!」と、ここでひどいことをいう人だと思ってはいけません。
「そんなことないよ。そうなっても私は生きていて欲しいし、死んだら私は寂しくて泣くわ。」と、私はゆっくり答えました。
これはお姑さんへの優等生的反論ではないのです。彼女への意思表示。
ここに歳が少し行った人との会話の難しさがあると思います。彼女の言った「人間も犬も。」の「人間」の中には、自分の事は入っていなかったかもしれません。でも、私が彼女に追随しようと「そうですよね~。」なんていった途端に、突然そうなってしまうかも知れない仮定の自分がいきなり含まれて、きっと不安な気持ちに襲われるのではないかと思うのです。
それに私の耳には、やっぱり姑は、自分の事を言ったように思えたのです。
ただ一瞬でありながら、私は前とはぜんぜん変わってしまった犬に、優しかった姑の別人のようになってしまった想像の姿が重なり、心の奥底では気持ちが揺れました。そうでなくても、先に人生を走っていく犬は私にいろいろな事を教えてくれているような気がするのです。
「姿が重なり」・・・、いつも老いた犬の姿に自分には来て欲しくない未来が重なって、やはり様々なことを考えてしまうのです。それは自分にとって、自分ではどうすることも出来ないゆえに本当に「困る」ことなのですね。
まあ、ちょっと重い話なのではこの辺で辞めておきますね。
とにかくですが、朝目が覚めてもちょっとウルウルしていました。
テレビで映画の「マーリー」のCMを見ていたら、またジワーッと来てしまいました。いつもなら動物で泣かす映画はねとあまり興味もないのですが、今日は「王様のブランチ」での、その特集なんかも熱心に見てしまいました。
注:ココちゃんが死んだのは夢のお話で、実際は元気です。
これを書きながら、思い出したのですが、彼女(メスなので)が家にやってきたときに、私は彼女の目をしっかり見て、こう命令したのです。
「いい!あなたは15年は必ず生きるのよ。15年は死んではいけないの。分かった!?」
そうか・・
それで彼女は頑張ってくれているのかも・・・
なんて思ったら、また涙が出てきちゃった。
ボケ老人犬なんて書いてしまったけれど、ココちゃんはそんなに高齢ではないんです。13歳と9ヶ月・・・
もう「お座り」も「待て」も分からないけれど、私の最初の命令を継続中・・・
お気楽にブログパーツを張ろうかなと思っただけだったのに、結構重い記事になってしまいました。それこそ予定は未定・・
しかもUP時間が遅くなってしまい、「今日」「昨日」がずれています。あしからず。