帯に「祝!連載25周年!!」と書いてありました。
私は全巻読んでいますが、その途中からの参戦です。
文庫で読んでいるので、今は一年に一回のお楽しみになってきました。
これには本当に熱い思い入れがあったりもして、大好きな作品なのです。
以前は、物語の冒頭の導入の部分が、何とも言えないような美しさがありまた儚さもありで、心惹かれていました。ただいつも(私には)その冒頭から物語に入って行く部分の流れが分かり辛く、最初の方だけ読み直すのが必至でした。しかしまたいつの間にかそれが無くなっていたなと感じていたのです。
ところが、今回もやっぱり分かり辛さが・・・・・。
それは最初の部分にではなく、むしろクライマックスにそれを感じてしまい、やはり私には読み見直しは必須でした。
最近の、いやもしかしたら最近ではないかも知れませんが、クライマックスで複数の場面で絡み合って起きていることが描かれているように思うのです。
頭の中で映像化すると、かなりの迫力が有り恐怖を感じます。その複数場面での出来事は、時には主人公でさえその真実を知らなかったりして、後で単に起きていた事として知らされるのですから。
ただこれは長々とこの物語に付き合っているから、脳内映像化が叶うのではないかと思うのです。
ここまで正直に書くのはどうかと、本当は悩みました。だけどこのブログは、私の感想を書く場所であり、別に世間の代表意見でもない事なので、今この時にどのように(私が)感じたのかを書いておきたいと思いました。
何を感じたのかと言うと、せっかくのクライマックス場面は、要はページ数が足りないに過ぎず、コマワリに読む者が分かりやすい絵が配置されていないにすぎないように感じたのです。
しみじみと想う事は、作品がありそこに名を残していくのは作者のみですが、本当はそこには読み手からは姿が見えない妖魔のような編集さんがいるのですよね。
もっと恐ろしくて強い妖魔さんと、この先もずっとずっと30周年、35周年を目指して頑張っていただきたいと思います。
その頃、律は流石に大学生から院生ぐらいにはなっているのでしょうか。
さて今回のお話は、
「誰かがつけた鈴の音」
もしかしたら遺品整理屋さんには開さんのような人は必要かもね。この仕事って、これからは凄く需要がありそうだし、だけど鉄道の事故処理の人よりも、かなりきついだろうなって、本当に思います。不動屋さんに遺品整理屋さん。開さんの需要は意外とあるのかも。
「首くくりの系譜」
『私が全部持って行く・・・』と言う言葉で、リアルで怖い話を思い出し震えました。そのお話聞きたいですか ?
でも怖くて書けないから、無理かも。
あのね。。。。。。私の周り、少々不思議な人たちが居て・・・・・だから私はこの物語が好きなんだと思います。
「あやかし達との一夜」
微妙に怖くて微妙に面白い。だけど不思議な力を持つ一族でも、遠く離れた所にわけも分からずに居る一族のひとりは、それゆえに怖さも増しそうです。
「潮流の果てより」
一番怖かったです。水脈さんの一族には、またいろいろな事があって、切なく悲しい物語でもありました。こんな事なら伶と水脈さんは離ればなれにならない方が良かったのでは、ふと思ってしまいました。
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