時間でチャンネルが変わる予約視聴にしていた我が家。
「いたちごっこ」
えっ、あれ
でも良く見たら「大河ドラマ」と書いてある。ほんとに一瞬チャンネルを間違えちゃったかと思ってしまいました。
その後今の状況の説明が。
でも、ごめん。笑っていたので聞き逃してしまいました。
私っていい人じゃない?
「ねぇ、見て!」と言う所ををちゃんと見て「ねぇ、笑って」と言う所では笑っているんだから。まあサ、レベル低いと言われりゃそうかも。
でもいろいろ工夫しているんだよな、健気だよな、なんて偉そうに思ってしまったわけです。だって、もしかしたら「天地人」を見るのも今日が最後かも知れないなどと思って見はじめちゃったわけですから。
別に例のスポットライト演出がダメだったわけではありません。
借金も財産のうちと言うでしょう。悪評も評のうちって言うものですよ。さしたる中味のない展開で、話題提供、狙ってやっていたりして。
だけどひとつには兼続のウジウジ路線 が、だめなんだと言うのは確かです。
そのことを昨日の昼間、姉に電話で言いましたら
「あの子は、そうは見えないけれど(だから、常に年齢表示して!)まだまだ子供で少年なんだよ。成長して泣かなくなる。そこが見せ場なんだ。」と、彼女は言うのです。
―そうか、泣かなくなるんだ・・・。
じゃあ、泣かなくなる日まで、ちょっと休もうかなと思ったらラスト、姉の予言どおり
「兼続は、もう泣きません!」と、妻夫木君もすっきりとした顔で言うではありませんか。母の死を乗り越えて少年は大人になっていったと言う所でしょうか。
雨のように降り注ぐ、紅葉の葉を見て、幼き日に母が言った言葉を思い出す。またそれは母が最後に言いたかったことに違いないと悟る良いシーンでした。そんなシーンをNHKお得意の、ゆうれいバージョンで見せてくれました。
別にユウレ~イと言う感じではなかったのですが、蛍を飛ばしちゃったからね~・・。本当に好きですよね。虫と幽霊。
それでも、私の心も晴々としました。また次週からも見ることにします。
すみません、ここで終わりではありません。
今回のメインは、やはり母お藤の臨終と
「紅葉のような家来になりなさい。」と言う言葉を胸に、兼続が新たに立つと言うところだと思います。
臨終のシーン、今回の霊の(例の)スッポットライトシーンでは母、田中美佐子さんの演技が光りました。何時だって微笑みモード、儚げで優しい、素敵なお母さんでした。この人は厳しく叱り付けている時も、儚げで優しいという雰囲気を崩さなかった所が良かったですね。昔、私はこの女優さんがちょっと苦手でしたが、そんなことは過去のことになりました。
その臨終シーン。
もっと早く来ればよかったのにと責める与七に、父が
「臨終に間に合ったのだから良いのじゃ。」と諌めます。
―そうそう。 と、私も思います。
この時代、その時の状況では臨終に間に合うなんてことは稀ではないでしょうか。
その稀なることが、出来たのですから、何が幸いするのか分からない所です。
兼続の母の死の知らせが、景勝に報告されたシーン。
「泣いておるのかの。」と景勝が呟きます。
さりげない一こまでしたが、胸がキューンとなりました。離れてはいても、殿は兼続のことを気にかけていることが伝わってきました。
先週のことなのですが、「たわけ者!」と彼があそこで怒鳴ったのは、へたれであっても役立たずであっても、そんな事は景勝にとっては問題ではなく、ただ自分の側から離れなくてはならない事態を、兼続が自らの心の迷いのせいで引き起こしていまったからだと思いました。
兼続が側に居ないことは、景勝にとって最大級に居心地の悪いものに違いありません。
その兼続を許して遣ってくれと言う直江景綱のシーン。
もちろん、謙信が景綱を「第一の家来なり」と労う所は感動しました。それに加え、兼続のことを「大丈夫じゃ、分かっておる。」と謙信が、お茶目な瞳で言ったことが印象的でした。
完全な我見ですが、謙信は兼続を守ったのだと思いました。とっても、そうは見えないところが辛いのですが、兼続は分析力に優れ、聡明だと言う設定。優れた子供は上杉の未来の宝です。そして後継者のひとり、景勝にとってなくてはならない家来なのです。命のやり取りをするいくさ場で、あのような迷いを持った者が、どのような目に遭うかは必定の未来が用意されてしまうと言うものです。
いくさ場から退け、その成長の時を待ったのではないでしょうか。優れた武将と言うのは、いくさ場の陣形ばかりに気を使うのではなく、「人の城」の築城にも、心を砕いていたのですね。
今回ちょっと長いです。書いておきたい事がたくさんあったのです。先週とは偉い違いです。
最後になりましたが、今回は解説オープニングを抜かした冒頭5分で、引き込まれました。兼続の夢のシーンです。
これもまた、とってもそうは見えないのですが、このドラマは凄いチャレンジドラマじゃないでしょうか。
先週も書いたことなのですが、戦国時代であっても時代掛りの洗脳教育が、上手くマッチしなくて、兼続のような悩みを持つ人がいたのではないかと、前から私は思っていました。それは私の妄想ワールドのテーマでもあったので、ちょっとやられたなと思ってしまったりもします。こういう悩みを持った人は、出来る環境なら仏門に入ったりするのかもしれませんが、武士の家の長男に生まれたり、周りから理解されない場合もあったりで、そうそう、そうはいかないことだと思います。でも、たとえそういう人たちが居たとしても、既に過去の事ですし、ただ想像の世界で思ってあげるばかりかもしくは小説の中に登場させるばかりのように思うのです。
だけど、戦国時代を舞台にするドラマでは、この事は、ある意味タブーだったような気がします。足元から何かが崩れるような気がしませんか。
しかも兼続の夢は
「なぜ人が切れるのですか。なぜ人が殺せるのですか。」と、チョー直球です。
気持ちがざわつきます。
だって、ここまでの直球を投げてしまったら、この先まさか
「兼続は成長し、何かを吹っ切って、人が切れる様になりました。人が殺せるようになりました。メデタシメデタシ」と言うわけにはいきませんよね。
いったいどのように処理していくと言うのでしょうか。
もの凄い見所だと思います。
・・・、でも、まあ、あまり期待しすぎないように、見守って行きたいと思います・・・、弱気。。。
と言うわけで、次週。阿部ちゃん、退場ですか?
「いたちごっこ」
えっ、あれ
でも良く見たら「大河ドラマ」と書いてある。ほんとに一瞬チャンネルを間違えちゃったかと思ってしまいました。
その後今の状況の説明が。
でも、ごめん。笑っていたので聞き逃してしまいました。
私っていい人じゃない?
「ねぇ、見て!」と言う所ををちゃんと見て「ねぇ、笑って」と言う所では笑っているんだから。まあサ、レベル低いと言われりゃそうかも。
でもいろいろ工夫しているんだよな、健気だよな、なんて偉そうに思ってしまったわけです。だって、もしかしたら「天地人」を見るのも今日が最後かも知れないなどと思って見はじめちゃったわけですから。
別に例のスポットライト演出がダメだったわけではありません。
借金も財産のうちと言うでしょう。悪評も評のうちって言うものですよ。さしたる中味のない展開で、話題提供、狙ってやっていたりして。
だけどひとつには兼続のウジウジ路線 が、だめなんだと言うのは確かです。
そのことを昨日の昼間、姉に電話で言いましたら
「あの子は、そうは見えないけれど(だから、常に年齢表示して!)まだまだ子供で少年なんだよ。成長して泣かなくなる。そこが見せ場なんだ。」と、彼女は言うのです。
―そうか、泣かなくなるんだ・・・。
じゃあ、泣かなくなる日まで、ちょっと休もうかなと思ったらラスト、姉の予言どおり
「兼続は、もう泣きません!」と、妻夫木君もすっきりとした顔で言うではありませんか。母の死を乗り越えて少年は大人になっていったと言う所でしょうか。
雨のように降り注ぐ、紅葉の葉を見て、幼き日に母が言った言葉を思い出す。またそれは母が最後に言いたかったことに違いないと悟る良いシーンでした。そんなシーンをNHKお得意の、ゆうれいバージョンで見せてくれました。
別にユウレ~イと言う感じではなかったのですが、蛍を飛ばしちゃったからね~・・。本当に好きですよね。虫と幽霊。
それでも、私の心も晴々としました。また次週からも見ることにします。
すみません、ここで終わりではありません。
今回のメインは、やはり母お藤の臨終と
「紅葉のような家来になりなさい。」と言う言葉を胸に、兼続が新たに立つと言うところだと思います。
臨終のシーン、今回の霊の(例の)スッポットライトシーンでは母、田中美佐子さんの演技が光りました。何時だって微笑みモード、儚げで優しい、素敵なお母さんでした。この人は厳しく叱り付けている時も、儚げで優しいという雰囲気を崩さなかった所が良かったですね。昔、私はこの女優さんがちょっと苦手でしたが、そんなことは過去のことになりました。
その臨終シーン。
もっと早く来ればよかったのにと責める与七に、父が
「臨終に間に合ったのだから良いのじゃ。」と諌めます。
―そうそう。 と、私も思います。
この時代、その時の状況では臨終に間に合うなんてことは稀ではないでしょうか。
その稀なることが、出来たのですから、何が幸いするのか分からない所です。
兼続の母の死の知らせが、景勝に報告されたシーン。
「泣いておるのかの。」と景勝が呟きます。
さりげない一こまでしたが、胸がキューンとなりました。離れてはいても、殿は兼続のことを気にかけていることが伝わってきました。
先週のことなのですが、「たわけ者!」と彼があそこで怒鳴ったのは、へたれであっても役立たずであっても、そんな事は景勝にとっては問題ではなく、ただ自分の側から離れなくてはならない事態を、兼続が自らの心の迷いのせいで引き起こしていまったからだと思いました。
兼続が側に居ないことは、景勝にとって最大級に居心地の悪いものに違いありません。
その兼続を許して遣ってくれと言う直江景綱のシーン。
もちろん、謙信が景綱を「第一の家来なり」と労う所は感動しました。それに加え、兼続のことを「大丈夫じゃ、分かっておる。」と謙信が、お茶目な瞳で言ったことが印象的でした。
完全な我見ですが、謙信は兼続を守ったのだと思いました。とっても、そうは見えないところが辛いのですが、兼続は分析力に優れ、聡明だと言う設定。優れた子供は上杉の未来の宝です。そして後継者のひとり、景勝にとってなくてはならない家来なのです。命のやり取りをするいくさ場で、あのような迷いを持った者が、どのような目に遭うかは必定の未来が用意されてしまうと言うものです。
いくさ場から退け、その成長の時を待ったのではないでしょうか。優れた武将と言うのは、いくさ場の陣形ばかりに気を使うのではなく、「人の城」の築城にも、心を砕いていたのですね。
今回ちょっと長いです。書いておきたい事がたくさんあったのです。先週とは偉い違いです。
最後になりましたが、今回は解説オープニングを抜かした冒頭5分で、引き込まれました。兼続の夢のシーンです。
これもまた、とってもそうは見えないのですが、このドラマは凄いチャレンジドラマじゃないでしょうか。
先週も書いたことなのですが、戦国時代であっても時代掛りの洗脳教育が、上手くマッチしなくて、兼続のような悩みを持つ人がいたのではないかと、前から私は思っていました。それは私の妄想ワールドのテーマでもあったので、ちょっとやられたなと思ってしまったりもします。こういう悩みを持った人は、出来る環境なら仏門に入ったりするのかもしれませんが、武士の家の長男に生まれたり、周りから理解されない場合もあったりで、そうそう、そうはいかないことだと思います。でも、たとえそういう人たちが居たとしても、既に過去の事ですし、ただ想像の世界で思ってあげるばかりかもしくは小説の中に登場させるばかりのように思うのです。
だけど、戦国時代を舞台にするドラマでは、この事は、ある意味タブーだったような気がします。足元から何かが崩れるような気がしませんか。
しかも兼続の夢は
「なぜ人が切れるのですか。なぜ人が殺せるのですか。」と、チョー直球です。
気持ちがざわつきます。
だって、ここまでの直球を投げてしまったら、この先まさか
「兼続は成長し、何かを吹っ切って、人が切れる様になりました。人が殺せるようになりました。メデタシメデタシ」と言うわけにはいきませんよね。
いったいどのように処理していくと言うのでしょうか。
もの凄い見所だと思います。
・・・、でも、まあ、あまり期待しすぎないように、見守って行きたいと思います・・・、弱気。。。
と言うわけで、次週。阿部ちゃん、退場ですか?
「泣いておるのかの」って、心は常に兼続のもとにあったような(笑)
うちの娘なんて「どんだけ好きなん~?」ってツッコンでおりました。
ちなみに、うちの娘は腐女子ではなく、BLが苦手なんです。それにもかかわらず景勝と兼続の間にはただならぬものを感じるのでしょうね。
私たちの(「たち」と巻き込んでもいいのかな?)学生の頃から、何か砦が崩れて社会権を持ったその世界。しかも今ではBLと言ういい安い言葉を得て、本屋さんにもその専門コーナーがある事を知ったのはつい最近のことで、ちょっと驚きです。時代が変わったと言うか・・・。あのコソコソ感も良かったような気もするのですが(笑)
景勝、兼続の二人を見ていると、BLファンの方たちの想像力が膨らむのがわかりますね。
昔は、彼らみたいな関係はむしろ普通だと思うのですが、今まで、ドラマでは無きが如くだったでしょう。雰囲気を醸し出しているだけでも、やっぱりチャレンジドラマかもしれませんね。
なかなか難儀されているよで。お疲れ様です。
こちら、お姉さまと、わりとおんなじのんびり?むーどでしょか。惚れこむドラマは20年に一編でりゃええくらいの感じで。
チョー直球。はい、いいっすね。泣き虫は気にならず。そそと成長して欲しいが、簡単に人を斬って調子こくものにもなって欲しくないという、また別の母の願い通りにも育ってるなぁ・・くらいで。でも8回ご感想の。謙信との迷いの掛け合い?では確かに、んじゃ主君はどなんら?の匂いもありましたね。一応、影影さん達はすでに迷い悩んでおっきくなったと着地しときました。
で「たわけ者!」:聞いた瞬間は”ん?そらねんでね?”。しかしご感想読み、しみじみです。と、上記のお話でふと思う。えぬさんは寧ろ得意だった。ええ、醸しだすのが。今回、コソコソを使えないんですね。思う以上に、難儀なことしてる気、してきたです。長々と、どもでした。
夢。じつはぽりぽりの、見ないか憶えていられないこっち。ほんに読み応えありました。
>惚れこむドラマは20年に一編でりゃええくらいの感じで。
とすると、大河で言ったら、私は「新撰組!」か、それとも視聴率がメッチャ悪かった「花の乱」かなあ。
「ま」さんは如何ですか。
「天地人」は変わらずの高視聴率だそうですよ。私の姉とか「ま」さんのように、少年の涙に寛容で優しく見守ってあげることが出来る人たちが、楽しみにし、支えているのだと思います。もちろん私も毎回欠かさず見ているので、その一人なんですが、男の子二人のおっかさんをやっていると、彼の毎回の涙がちと辛いって言うのも、本音なんです。
毎回じゃなければ良いのよ、ホント。
でも今度の日曜日は、なんたって謙信臨終だから、もう泣くのは当たり前と覚悟しています
>毎回じゃなければ―、あい。お察しいたします。明日も、どきどきしながら待つことにいたします。
大河でいえば、こちらも「組!」と「組!!」です。惚れこんだ、という感覚は、その外でもちょっとすぐに思い出せません。あと大河では、若かったなりにも記憶に残っているのは「風と雲と虹と」です。
と。あえていえば、事務連絡maによると、ことは、つたわって、おります。お気遣いなくっですが、此方彼方をお見守りいただき、ありがとです。
「組!」は心ときめくおのこがたくさんいましたし・・・。あの時代の物語は結構好きですよ。
「風と雲と虹と」もふと思い浮かんだ作品でしたが、20年の枠には入らないかなと思って外したのです(細かいね、私。)その作品で若き日の草刈正雄氏に惚れこみ、撮影日であることを願って、友人とHNKに遊びに行ったことがあります。私と友人だけで彼に付けたニックネームはチョコパフェ。「甘さがくどい」と言う意味でしたが、今のように渋くて甘いマロングラッセのような人になるなんて思いませんでした。今も素敵な人ですね。
おっと、いけませんね。うっかり思い出に浸ってしまいました(笑)