森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「声をあげて泣いていた・・・。」

2019-11-10 02:25:38 | 同じ時代の船に乗る
 
10月の東京散歩は「おばあさんの原宿☆巣鴨」と
考えてみれば、「おばあさんの」と冠をつけるとは失礼なこった。前から興味あったけれど、なんだか行き辛い場所ではありましたよ。だけど行ってみれば、違和感ナシ。既にそんな年頃に私......
 

上の囲みは昨年の11月5日に投稿したものです。

巣鴨と言う地名を聞くと、私はあの人を思い出します。いつかその街が好きだと言っていたkさんに案内されて、賑やかにその街に行ってみたいと思っていました。思う事があってしばらくは会えないと思っていました。でもいつかまた何事もなく普通に会えると思っていました。「サイゼで集合ね。」と電話を掛けたら、普通にね。

でもそれはまだ先の時間にと思っていたのです。だから昨年の巣鴨には別の人たちと行きました。

だけどいつでも普通にあると思っていた「先の時間」と言うのは無くなってしまいました。

今年の11月5日にお友達と一緒に4人で彼女の御霊前にお花を供えてきました。

 

※          ※

 

先日、別の友人と会った時の会話ですが、

「だからそれがどうしたの ?」と言う話の内容でも、人はそこに意味とか意義とかを見つけ出してしまうものなのではないでしょうか。

ある人が、郵便料金が上がることを癪に思って、上がる前の最後の日に郵便が届くようにと、今まで手紙など出したことなどなく、それどころかずっと連絡もしてなかった弟に手紙を出したら、その手紙が届いた日にその弟さんの亡くなった連絡が来たという話。郵便料金の値上げの件はタダのきっかけで、本当は弟さんの事が気になっていたのではないでしょうか。

そういうのを「虫の知らせ」と言うのかも知れないねと、友人が言いました。

 

それならば、あれもそうかもしれないなと私は思いました。

先日、がん闘病中に脳こうそくを起こし、その後亡くなってしまった友人のKさん。その彼女と最後まで定期的に電話で連絡を取り合っていたSさん。

Kさんが亡くなったその日、もちろんSさんは、それを後にご家族から連絡が来るまで知る由もなかったのでしたが、その日に彼女は私にお茶でもしないかとメールをくれたのです。そのメールに私は夕方まで気が付けず、結局は翌日に会ったのでした。

こう書くと、何だか普通の奥様ランチのお誘いじゃんと思うかもしれませんが、私とSさんはこの数か月、いえ、もしかしたら年単位で会っていなくて、そして「今日、今から会おう」と言う仲でもなかったのです。やっぱり彼女は、その日は分けも分からず気持ちが落ち着かず、誰かと電話をしたり会いたかったのではないでしょうか。

 

※         ※

お花を供えに行ったその日、Kさんのお連れ合いからいろいろと話を聞いてきました。

ー最後まで決して弱音を吐かず愚痴も言わなかった。

 

そうだったんだ。凄いなと私は単純に思い胸を打ちました。すると後からMさんが

「私の知らない彼女の話を聞いているみたいだった。彼女がそんなに強い人だと思わなかった。」と言いました。

「そうなの ? 私はそう言う人だと思っていたよ。」と私は言いました。

 

Mさんに対して、ちょっと言葉が足りなかったかもしれません。今度会ったら、付け加えておこうと思います。

KさんはMさんの事が大好きで、だからいつも本当の弱い自分を見せていたのだと思います。そして愚痴などを聞くのも彼女の役目だったと思うよって。

そしてその顔は私には決して見せない顔だったのですよと。

 

また彼が語った別の話で、病気の告知を受けた時の彼女の一番最初の発言が

「仕事を止めなければなりませんか。」で驚いたというもの。

ああ、胸が痛いと私は感じました。それが彼女の一番の未練だったのだと思いました。

彼の話はいろいろと本当に心に残るものが多かったです。

短い時間で、夫婦で語った話や医師の叱咤や、最後に姉妹にかけた電話など・・・・・。

彼女の最後の日々が目に浮かんできました。

そして癌の治療でもうやることが無くなって治療終了が告げられた時、その時一緒に居たお嫁さんが後から言っていた事を彼は淡々と言いました。

「声をあげて泣いていたって言ってました。」と。

 

それを聞いた時、一瞬花びらがハラリと落ちるようなスピードで、治療終了を今日が明日になるように受け入れた愛子さんの姿や、詳しい話を聞かされず「花ちゃん、これはその死に至る病なんだろうか。」と聞いてきた父の姿が脳裏に浮かんで消え、私は唸るような声を出しそうになりました。

 

彼女の家を去った後、私たちはいつものサイゼで遅いランチを頂きました。

だけどちっとも人の話が耳に入って来ません。

「ゴメンね。私の意識はあの家のあの部屋にまだいるらしいの。それでね、今、私、頭の中で全部の会話をリピート中なんだ。」

あまりにもぼんやりとしてしまうのでそう言い訳すると、何を話したのか忘れてしまうとSさんは言いました。

「大丈夫。私が覚えているからね。」と、私は言いました。

 

※         ※

その翌日、ふとメールを開いて昨年の巣鴨の記事のお知らせを見て、

「ああ、きついなぁ」と思いました。私たちの仲間うちでは「巣鴨」と言う言葉はKさんに結びつくものだったから。

Kさんは愛子さんと同じ日に亡くなって、そして昨年の10月10日に愛子さんへのレクイエム記事である「rest in peace」書いたのだけれど、その同じ今年の10日にその死を知って、そして5日の日には「巣鴨」の記事・・・・。

いや、そこには何も意味などないのかも知れません。

だけど、「だからそれがどうしたの ?」と言う話の内容でも、人はそこに意味とか意義とかを見つけ出してしまうものなのではないでしょうか。

 

分かったよ、Kさん。

 

Mさんの紹介で、私はSさんを知りあなたを知った。

あなたは友達。だけどやっぱり友達の友達と言う距離感があったと思う。

ある時はその距離が近づいた時もあったけれど、やっぱりどうしても友達の友達という距離があったと思うの。

それでも悔いは残るよ。

「桜の花が今年も綺麗に咲いたね。」「今年の夏は殊の外暑いね。」とかメールを送れば良かったな。

まったく弱音もはかず愚痴も言わなかったあなたも素敵だけれど、声をあげて泣いて、脳梗塞の後遺症でまだちゃんと話せなくても、お姉ちゃんに電話をして、そしてその人に看取ってもらったあなたが大好きです。

これは絶対と言えるのだけれど、その最後の日々で、あなたは私の事を1秒だって思い出さなかったと思うよ。

そんなの当たり前だよね。それで良いんだ。

でも、

大丈夫。

私が覚えているからね。

 

 

 

 

 

 


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