森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「カメレオン」観ました

2008-07-10 11:05:12 | 映画

映画ブログ「近未来二番館」のお知らせです。

7月7日、七夕に友人と藤原竜也主演の「カメレオン」を観に行ってきました。

 松田優作の亡霊をスクリーンの中で見たと友人に言いましたら、彼女は驚いたように頷いて、ダブって見えたというよりも、少しずれて二人いるような気持ちになったというのです。(わかり辛い文かもしれませんが、オカルト話ではありません。)

 脚本は、彼の「処刑遊戯」の前に書かれた未発表作品で、その世界観を大切に作ったものだと思われます。この映画に「奥」とか「中味」とか「深み」とかを求めることが無粋と言うものです。

 

ひたすらカッコイイ、B級映画の醍醐味をご堪能あれ。

 

                        

感想は→コチラです

 


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篤姫「徳川の妻」

2008-07-08 19:26:49 | ドラマ (大河)
 次週は絶対にハンカチまたはタオルが必要。もしくはテッシュの箱を抱えて見ようと思います。なぜなら、予告編で既にボロボロ泣いてしまったのです。でも、そんな人は私だけではないと思います。

 でも私、次週を待たずして今回の「徳川の妻」でも、篤姫同様ずっと涙を瞳に湛えていました。

幾島がどんなに吠えようが、篤姫の言動は君主たる響きがありました。
滝山の持ってきた井伊を大老に押す嘆願書に、対応する篤姫は見事だったと思いませんか。

前例なきがゆえに御台所の自分は名を連ねることは出来ないが、聞かなかったことにするので滝山は自分の思ったとおりのことをせよと一任するのです。


 家定と篤姫は、井伊と斉彬らが大老に推す松平慶永、双方に会うことにしました。この時の二人並んで彼らに会っている時の姿を見たときに、私はふと篤姫が最初に語っていた、
「昔、夫婦のネズミが居りました。」の話を思い出してしまいました。あの話はアレから一言だって出てこなくて、続きはどうしたんだ、気に成るじゃないかと思っていたんですよ。変なことに拘るな、あれは関係ないんだよとは思いますが、話が途中で終わると言うのは、なんとなく気持ちの悪いものがあるのです。でも、私は思ってしまいました。
ああ、家定と篤姫の物語があのネズミの話の続きなんだな、と。

 二人で並んで井伊と慶永の話を聞いている姿は、本当に微笑ましかったですね。


だけどこのシーン、私はちょっと気になってしまいました。まっ、分かりやすいのが「篤姫」の良いところなんですが、慶永様のご発言の、まあ、ご聡明でないこと。大老にまで押されている男の、あんなしゃべり方ですよ~。説得力ないではないですか。
上様と言うのは、その時代においてはとりあえずであっても形的には絶対君主で、しかも中央は同族会社で成り立っているようなものなのに、その絶対君主にへらへらと自慢げに議会政治を提唱するってどういうことなのだと思ってしまうわけです。
「あくまでも徳川家を中心に。」とか「中央に力が集まるように・・」などと云々かんぬんと、新しき考えを披露するのが普通じゃないのかなと思ってしまうわけです。

なので新しき考えなどに敏感そうな篤姫の心さえ、父の名を出されても尚響くことはなかったみたいです。

インディには「みーんな許してあげる。」と寛容な私ですが、どうも篤姫の物語にはそうはなれない私です。
だいたい井伊を選んだ理由もね・・・って、止めておきますね。何処からかザルが飛んでくるといけないので。

でも私、そんな事言っていますが、この家定が家族を守りたい、すなわち篤姫を守りたいから井伊を選ぶというシーンでもウルってきてしまいました。


 ところで、場所が変わって帯刀は斉彬に謝っていましたね。冷静になってみるととんでもないことを言ってしまったと悔いていました。そうですよね~。先週も書きましたが、あのシーンは凄いなと思っていました。斉彬が篤姫に、手紙を書かねばならないと思ったきっかけにもなったかもしれません。君主を信じている家臣と、家臣の心を受け止める君主。ガチンコ勝負と言った良いシーンだったはずです。でも、でもですね、瑛太さんだと一途とか純粋とかは伝わってくるのですが、こういうシーンで江戸の篤姫達に負けないインパクトを持てる「何か」を、この先得ていって欲しいものだと思ってしまいます。


「とんでもないことを言ってしまった。」と大久保に打ち明ける帯刀でしたが、先々週から鬼になってしまった大久保は、微妙な変化を見せていました。帯刀が「アレッ?」と言う感じで、それに気がつくと言う細かいシーンなど、碁石並べのように石が置かれていくテンポいい物語の展開に時間はあっと言う間に経っていってしまいました。


思い通りにならない篤姫に、幾島は斉彬の手紙を読ませようとします。

その時、夫が言いました。
「また手紙を読んで、心がぐらつくんだろ。」
私、
「そんなわけ無いじゃん。だって斉彬は先週『た・て・わ・き~』って言っていたじゃない、優しい包み込むような顔をしてさ。その手紙には『・・・・』と書いてあるんだよ。」と言いました。『・・・』の部分はHPの次回のあらすじにも書いてあるので、書いても良い部分かも知れませんが、まあ一応ね。内容についてはビンゴでしたが、期待通りの内容であっても次週まで持越しとは、なんとも心憎い演出でしたね。

今回は書くことがたくさんあります。
近頃うざい幾島ですが、その幾島の涙にもしみじみするものがありました。幾島からしてみれば篤姫は自分の主人であると共に、そのまた上の主君に仕え、同じ使命を持った同士のような気持ちであったのかもしれません。
費やした年月は・・・と言う所で、彼女は彼女なりの大きな挫折感があった事でしょう。
と、ここでも彼女は篤姫の前で号泣です。
気持ちストレートな方ばかりですが、それだけこの長い年月で信頼しあっていると言うことなのでしょうね。


篤姫が表の家定に会いに行く所は、もちろん良かったのですが、やっぱり最後のシーンにはかないませんでした。
家定が、前には生まれ変わったら鳥にと言ったけれど、今は自分のままが良い。篤姫に会えたからと言うようなことを言うと、私もそう言ったのは、同じ理由でしたと言う篤姫。日本一の男に嫁げたと言う篤姫には泣けましたね。

そっと抱きあう二人・・・・

嗚呼、もうだめです・・・・

だから、次週はハンカチもしくはタオルを用意して、テレビの前に正座してみることにします。












コメント (4)
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英語は勉強した方がいいよ~<SONO4>

2008-07-06 02:43:49 | ’08/12/7までの未整理日記

 間が開いてしまいましたが、

「英語は勉強した方がいいよ~<SONO1>」
「英語は勉強した方がいいよ~<SONO2>」                             「英語は勉強した方がいいよ~<SONO3>」
の続きです。

 

これからの受験には英語が要と言われて反発を感じ、これからは英語が話せなければ困ると言われても、そんな事はないよと生きてきた私。  確かに選んだ人生では困った事は一度もなかったと思うのです。それはそれは長い間です。  

 

 だけれど、ある日・・・・。  

 

  話が変わってしまうようにみえますが、私は如何に退屈な映画でも、映画館で寝てしまったことはありません。数秒意識が飛ぶ事はあるかもしれませんが(オイオイ)「ああ、寝てしまった~」と思う程のことはなかったのです。

 だからこれは、唯一の映画館で寝てしまった映画といえるかもしれません。  それは、「シン・レッド・ライン」。 この映画は私には二重の意味で苦しい映画でした。

 

シン・レッド・ライン(1998) - goo 映画

物語などは↑でチェック。

 

 映像は環境映画かと思うほど美しいのです。ガナルカナルの美しい海に惚れ惚れしますが、そこは戦場なのです。外国の戦争映画はヘルメットをかぶられると、本当に辛いです。誰が誰だか分からず、物語または登場人物に感情移入することが出来ません。

それは実は「プライベートライアン」でも「父親達の星条旗」でも同じことです。もちろん「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスぐらいは分かりますが、戦闘シーンで人の顔が判ってくるのには、かなり時間がかかるのです。そうなると、激戦のシーンでは登場人物寄りに見方が偏ると言うことは皆無です。

 「プライベート・ライアン」では、戦争の悲惨さがダイレクトに食い込んでくるのに、敵が日本人だとそれだけではない感情が沸き起こってくるのです。信じがたいような激戦の様子が長い間映し出されると、ガナルカナルで死んでいった日本人の人たちへの鎮魂の思いというか・・、なんていったら良いのかわかりませんが、私の中のナショナリズムが鼓動すると書いたら、そんな言葉遊びをするなと言われてしまうかもしれません。

 

 でも、映画を見ていてそんな気持ちになったのは初めてでした。敵である主人公達が憎くさえあるのです。そうなってしまっては映画を作品と見ることも出来ず、退場と言う手段もあったかも知れません。一人で行ったのならばです。でも友人と一緒でした。その友人も途中で寝ていました。美しい環境ビデオ的映像に負けてしまったのだと思います。何かに耐えながら見続けていたとき、前に座っていた老夫婦が席を立ちました。しばらくすると、小さな声で「すみません。」と言いながら、私たちの膝を抜けながら、年配の夫婦が去っていきました。

 

 途中で人が帰るという光景を、私は今まであまり見た事がなかったので驚きました。いったい彼らはどんな気持ちで席を立って言ったんだろうななどと、余計なことを考えていました。

 

  でも、世の中に無駄と言うものは無いんじゃないかなと、そう思ってしまったのもこの映画です。この映画のラストを見ていて、私は今まで思っていた英語に関しての考えを元から捨ててしまいました。

 

 その物語の終わり・・・
主人公は仲間とはぐれて一人山の中。その時日本兵と遭遇してしまうのです。日本兵は数人で彼を囲むが、声を荒げて
「お前は誰か、お前は敵か、」と大きな声で繰り返すのです。その顔には憎しみのと言うよりは恐怖の表情がありありと伺えたのです。

 

 この日本人達はこの目の前の予想外に出会ってしまったアメリカ人が怖いのだ。彼を殺したくないのだ。そう私は思いました。その解釈が今となっては正しいのかは分かりませんが、その時はそう感じたのです。そして、主人公の彼も。何とかしてその場も逃れたいし、部隊も守りたい。だからといって、逃れる術もなくてそこで銃弾に倒れてしまうのです。

大きな声で言う、「お前は誰か。」と言う日本語が分かったら、彼は殺されなかったかも知れません。日本兵の中に一人でも英語がわかるものがいたら、彼らは彼を捕虜にすることが出来たかも知れません。

 

「言葉」の壁さえなければ、人はもっと近づけて、理解しあえることもあるかもしれないと、私は思いました。

 

前の<SONO3>あたりで、言葉は英語でなくても、大きな声ではっきりくっきり言えば、意外と意思の疎通が出来たりするものだみたいなことを書いたと思います。でも、それは相手が耳を澄まし聞く耳を持っているからだと思います。

耳を澄まして聞く気持ちになれない場合も、多々あるのです。そんな時、お互いに相手の国の言葉を一言でも発することが出来たなら、思わずハッとして耳を澄ますかもしれません。

「おかあさん。」「Mother!」とか。

― I have aged mother who is waiting for me. You must be so.

 

一期一会。この映画は二度と見る気にはなれず、見たのは一度だけですが、貴重な出会いだったかも知れません。

    

      ※     ※      ※     ※     ※

 

 自分の子供には聞かれたことはありませんが、多くの子供たちが一度は口にする、「なんでこんなの勉強するの。本当は必要ないよね。」と言う言葉。私はそんな時、決して「受験では・・」なんてバカなことは言いません。

 

でもそれは英語に限ったことではなく、社会も理科も数学もみんないろいろ教科で言ってきます。さすがに国語はないのですが、特に多いのは数学かもしれません。そんな時私は自分の辿った経験を世間話のように話してあげます。

英語を含めてどんなことを言うと、子供が「そうか~」というのか中学生のお子さんがいるお母さんなんかは興味があるかもしれませんね。
(「そうか~」ばかりではなく、時には「ふ~ん」「へ~」と納得していない場合もあるかも)

でももう深夜なので、このお話の続きはまたいつかと言うことにします。


 


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続けて藤原竜也<好きなものがある幸せ3>

2008-07-02 17:02:25 | ’08/12/7までの未整理日記
  藤原竜也×白石加代子 身毒丸 復活 特別版

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先日、赤坂ACTシアターにて「かもめ」を観に行った時、予定通りと言いますか「身毒丸」のDVDを買ったのですよ。
でも、まだ封も切っていません。だってですね、怖いんですよ。頭の中がまたそれでいっぱいになってしまったら、またぼんやりしてしまうじゃないですか。今度また雨が降って、何もやる気も出ないときにでもゆっくり見ることにしましょう。

 

  そんな事言っている割には、夕べ夜中にYouTubeで、なんとなく彼の動画を検索していたんですね。彼の「ハムレット」なんか、本当に凄いんですよね。PCの狭い画面に引きずり込めれてしまいますよ。

 それで、朝また誘惑に勝てなくて、見ていたんです。そうしたら、見つけてしまいました。「天保十二年のシェイクスピア」の動画なんですが、もう吃驚ですよ。

全篇観たくなってしまいましたよ、これ。井上ひさし作、蜷川さんの演出で、2005年の作品らしいです。

 2005年の9月頃、私は何をしていたのかなぁ。でも、その頃の私に4時間の上演時間で1万7千円近いお金を出して、お芝居を観に行くという発想があったか否か、それが問題だ。

 

  貼るのは、竜也君がレレレのおじさんのようなステップで踊るMondaiSongでも良かったと思うのですが、インパクトで行ったらこれでしょう。ちょっと好きずきがあるかもしれませんね。

私ですか?

夕ご飯作りながら口ずさまないように気をつけましょう。

 

  どんなに、観たかったなあと思っても過去には戻れませんね。来年の「ムサシ」には行く予定です。「ムサシ」も井上×蜷川なんですよね。しかも藤原竜也君と小栗旬君とでは、チケットを取るのが大変そうな予感です。 でも、来年の事より数日後の事ですよね。「カメレオン」に観に行きますよ。

    

   

 

 Uwakimono Tatsuya Fujiwara

 

 

天保十二年のシェイクスピア

ポニーキャニオン

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