なんとなく「かもめ」の劇評なんかをブログで拾って読んでいました。どの方も良いようなことが書いてありましたが、その合間に一部では意識がとんだ、ちょっと寝たという文を見つけて、ちょっとニマ~っと笑ってしまいました。
一緒に行った姉も休憩でトイレに立った時に、「ありえないことだけど、意識がとんでしまったわ。」と言いました。
一部の終わりのほうで、トリゴーリンがニーナに有名になっても付き纏う作家としての苦しみを語るところは、作家チェーホフの作家としての本音だと思います。なるほど~としみじみ思う所でもありますが、本音を言えばちょっと退屈で、ちょっと長い。それともニーナの棒読み芝居の所かしら。
私はどうだったのかと言うと、実は最初から覚悟して行ったのです。だいたい「チェーホフ」と言う名前からして格調高い感じがしてしまいますよね。いえ、別に格調高そうな名前だから覚悟して行ったわけではなくて、昔、文学座でチェーホフの「ワーニャ叔父さん」と言うお芝居を見たことがあったからです。
若き日の私は、「チェーホフのお芝居」と聞いただけで緊張しましたよ。ロシアの人のお名前って、それだけで緊張させる何かがないですか。イワンぐらいだったら別にどうって事ないのですが、ラスコーリニコフとか、ドフトエフスキーとか・・・
そして、劇場から頂いたチラシの裏側に書いてあったあらすじを読んだ時、私はさらに場違いな所に来てしまったような気持ちになってしまいました。あらすじを読んでも、そのストーリーに何の魅力も感じないのです。
これは、「チェーホフが・・」と言う問題ではなくて「私が・・」と言う問題なんです。今回の「かもめ」についてだったか、ちょっと忘れてしまって不確かなことですが、藤原竜也君も一回目に本を読んだ時にその良さが分からなくて、二度三度読むうちにどんどん好きになって言った作品だ。だけどそのことを蜷川さんに言ったら、本を読み込む力が無いからだと叱られたということを何処かで言っていたように思うのです。
若き日の私の理解力は、まさにその読む力不足そのものだったと思います。その頃の知識の引き出しは、ピカピカで滑りは良いのですが、意外やその中味はスカスカしていたりするものです。
お芝居が始まってみても、登場してくるのは俗物ばかりで感情移入がしにくいのです。チェーホフの群像劇は辛口コメディだと思うのですが、日本人が感じるユーモアと外国人が感じるユーモアとでは、違うことは良く言われることですが、もともと理解力不足の私には、やっぱり何処が面白いのかさっぱり分かりませんでした。
ただ、演劇と言うのは映画を見るのとは同じではないなと、しみじみ思った場面があったのです。それはそれまでぜんぜん感情移入できないで、好きになれないワーニャ叔父さんが真夜中に居間で報われない愛の想いを、一人切々と語るシーンでした。素晴らしい熱演でした。私は鳥肌が立ちました。そのシーンが終わった時嵐のような拍手が起きました。もちろん、私も惜しみの無い拍手を送りました。そのシーンは何時までも心に残りました。今思うとどなたが演じていたのでしょうか。
このお芝居の事は、他の登場人物のことをチラチラとは覚えていますが、全体的にどんなお話だったのか忘れてしまいました。その時は最後まで、そのお芝居の良さが私には分からなくて、いつもは饒舌な私が、その後はしばらく静かなことだったでしょう。
でも~、でもなんですよ。そのあらすじを下の方に載せておきますね。goo映画から映画のストーリーをお借りしてきました。映画と演出の違う演劇とは見せるところが違うとは思いますが、あらすじとしては分かりやすかったのでお借りしたのです。
それを今読むと・・・・。
なんか結構面白いじゃないですか。
私の知識の引き出しは、もうガタガタ言ってスムーズには開かなくなってしまったけれど、昔よりはいろいろなものが詰め込まれたのかも知れません。自分の事ばかり考えている男や女の俗物たちを嫌悪するばかりではなく、優しい目で見ることが出来るようになったと言うことでしょうか。
この夏、本で読んでみるというのもいいかもしれませんね。
<あらすじ>goo映画
一九世紀の末のロシア、限りなく寂しい灰色の空虚感にみちみちた時代。義兄滋兄の老教授セレブリャコフ(W・ゼリージン)が大学を退職して、若く美しい後妻のエレーナ(E・ミロシニチェンコ)を連れて田舎の邸に帰ってきてからは、それまで規則正しかったこの邸の生活は一変してしまった。昼顔に起きだしたり、突拍子もなく夜中にベルを鳴して召使を呼んだりする教授の気ままな生活態度を見続けているうちに、ワーニャ(I・スモクトゥノフスキー)は今まで義兄のためと思い領地の経営に専念してきた自分の生き方に疑問を抱き始めていた。ワーニャの知的生活の光明であるはずの老数授への不信が、生きる目的の喪失を招いたのである。この暗然たる気分からのがれるためにワーニャは酒を飲み続けるようになった。今この領地で働いているのは姪のソーニャ(E・クプチェンコ)だけであった。ワーニャの古くからの友人の医師のアーストロフが老教授の診察を兼ねてこの邸を訪れた。貧しい人々の病気をなおしながら乱伐の続くロシヤの森の将来を気づかうアーストロフもまた酒で気をまぎらわす日々を送っていた。このアーストロフを尊敬し、ひそかに恋しているソーニャは喜々として彼をむかえるのだった。しかしアーストロフの気持は、老教授の後妻エレーナに向いていた。一方ワーニャもエレーナにひかれていた。アーストロフへの愛を胸に秘めて若しみ悩んでいるソーニャは彼の自分に対する気持を聞いてくれるように頼んだ。しかしその結果をソーニャに伝えることはできなかった。ある日、突然老教授が家族全員に集合を命じた。集った人々を前にして、彼はこの土地を売却して、その金で別荘を買い、都会にもどって生活することを提案した。借金だらけだったこの家の財政を、自分の青春をも、才能をも犠牲にして立て直し、二十五年もの間にわたってせっせと教授に金を送り続けていたワーニャの努力は完全に老数授に無視された。今こそ、セレブリャコフの俗物ぶりに気がつき怒り狂ったワーニャは彼を射殺しようとピストルを乱射した。数時間後、騒ぎはおさまった。教授はエレーナと一緒に、都会へ帰っていった。アーストロフも帰り、以前の静けさがもどってきた。残された人生をじっと堪え忍んで生きていかなければならないワーニャ伯父さんを、失恋の痛手に悩むソーニャがそっとなぐさめる。
かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫) チェーホフ,神西 清 新潮社 このアイテムの詳細を見る |