森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「コロー展」に行きました。

2008-07-23 17:44:47 | お出掛け日記

 以前書いた「それ、ルーヴルで見たわ。」と言う記事に、ネットのお友だちのまーこ♪さんが下さったコメントに「コローが好き。」と言う一言がありました。

 それまで私はコローと言う画家に何の興味がありませんでした。なかったがゆえに突然興味が湧きました。調べてみると、この夏上野の西洋美術館で「光と追憶の変奏曲 コロー」と称してコロー展が開かれることが分かりました。これは行かないわけにはいきません。

 

 開催を楽しみにしていましたが、なかなか思い立って出かけていくことが出来ませんでした。三連休実家に帰ったついでですが、その帰り道に上野に降り立って見てくることにしました。

 

    

 

 絵葉書も数枚買って来ました。

 

 私がやはり一番気に入ったのは彼の代表作でもある「モルトフォンテーヌの思い出」や「幸福の島」などで、またヴィル=ダヴレーの森を描いた風景画の全ては、私の心を捉えて止みませんでした。人が森の木々と向き合い、森の息遣いが伝わってくる作品を私は拒むことが出来ません。

そして何枚の絵かに同じ構図の女性が描かれていたように思います。手を高く上げて木の実を収穫している女性。道の真ん中で片手を上げている女性。

 それはまるで森の中に立つ人が木と同じように腕を広げ、枝のように天に向かって伸びている、つまり森の中で人は自然に同化しているというか、そんな感じがしました。

 

 一番上の画像はコロー展のお知らせチラシですが、「真珠の女」と言う作品です。その構図、また神秘な表情から19世紀のモナリザ、またはコローのモナリザと言われています。

私はこの絵が見たくて出かけたようなものだったのですが、この絵はちゃんと見るのに少し苦労しました。混んでいたからと言うのではありません。この絵は不思議なことに光ってしまうのです。片方の目がちゃんと見えなかったり、少し割れた髪の部分が金粉を散らしたようにキラキラしてしまったりで、人の頭を避けながら、ぴったりちゃんと見える場所を探すのに苦労しました。

コローはこの絵を愛して生涯手放すことはしませんでした。当初は胸の所もこんな風には肌蹴ていなかったものを、後に手を加えたと言われています。意志の強そうな唇と瞳、確かにこの絵の女性はドラマチックな神秘の香りを放っていると思いました。

 

 その他の女性達の絵なども、その衣服の素材が伝わってくるようでした。

 

19世紀の写実主義といわれた彼の絵は、その後の印象派の画家達に大きな影響を与えました。この作品展にはコロー以外の作品としてモネやシスレーがその比較として展示されています。面白い企画だと思いました。

  コローの詳しい解説や他の絵などは、こちらのサイトで見ることが出来ます。→こちら

 

8月31日まで

 

 

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篤姫「天璋院篤姫」

2008-07-23 11:11:40 | ドラマ (大河)
 思えば篤姫は実の父の死もすぐには知らせてもらえなかったのですよね。愛する者が既に亡くなっていた事を知る悲しみを痛いほど分かっていた篤姫は、母の本寿院、側室お志賀の方にも家定の死を伝えようとします。

 先週は「おのれ~」と本寿院を怨みましたが、今週は彼女に泣かされました。
「家定殿、なぜ母より先に逝く~」

やり場の無い悲しみを篤姫にぶつける本寿院ですが、理不尽な怒りと分かっていても彼女の気持ちと行動は分かるような気がしてしまいます。会わせない様にするなんて言うことには、絶対に共鳴できないのですが、この愚かな母の行動は私もやりかねないよなと寛大になってしまいます。
「よもや毒殺したのではあるまいな。」
この姫の後ろには政治的な策力が控えていると思ったら、全てが信じられなくなるのもムリもないことです。
「子を失うことの悲しみを思うならば、それはいかばかりのものか。」と言う篤姫の言葉に、物を投げつけていた本寿院の手も止まります。

いつか篤姫の前から去っていく彼女は、その時は冷静になって共に同じ者を愛した物どおしとして、手を取り合える日が来るのではないかと思います。


 側室お志賀の方も篤姫を責めます。無理をさせて寿命を縮めたのだ。傍にいて体のご様子に気がつかなかったのか。痛いセリフばかりです。
「お怨みいたします。」


NHKなので、なにやら格調も高かったのですが、もの凄い大奥絵巻でした。もの凄いセリフを丁寧語でズバズバ語る側室。御台に上座から物を投げつける母。何でもありなんだなと心の片隅では思いながらも、そこはそっと蓋をして、涙ぐんだりしていたりしました。

もともとお志賀の方は気が強い方だったようで、そんなご様子が表れていましたが、去り行くときに
「愛されていたのは御台様だけでした。」と切ないことを告げて行きました。


短い夫婦の時代でしたが、その「愛」が篤姫の残りの人生を支えるのかと思うと胸がいっぱいになってしまいます。
その「愛」に応えようと家定が残していったとおりに、慶福の後見として生きようと歩み始めます。

新たなる敵は、一筋縄ではいかない井伊か。




 新たなる生きる道を探していたのは篤姫ばかりではなく、西郷も斉彬を失って道を失っていました。その彼に命を預けろと言う月照とのシーンも良かったですね。新しき使命を受けて西郷も動き出します。
 帯刀も忠教の信任を受け、動き出します。


23歳の若さで落飾し、篤姫は天璋院になりました。
「上様は温恭院、わたくしは天璋院。なにやら近づけたような気がします。」と言う篤姫にも、涙を誘われてしまいました。
落飾の日まで、自らの手で篤姫の世話をする幾島。
「そなただけはずっと傍にいてくれるのでしょう。」と言う篤姫の問いかけにも言葉を濁す幾島。井伊に毅然とした態度を取る篤姫を優しく見守る幾島。

また、新たな別れの時が近づいているのでしょうか。
 
コメント (2)
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