「母上」
家茂がそう言った時、私は不覚にもまた泣いてしまいました。
どうもここの所、毎回「篤姫」を見てはウルウルと泣いてしまいます。泣くと言うことは心を洗い流す意味でもいい事なんですよ。でも、それはうつつの世界では遠慮したいこと。このように物語の世界でハラハラ涙を流し、明日への英気を養いましょう。
こうなってみると、慶福こと家茂が将軍になったことは、家定の
「慶福が未だ若年ゆえに、見識備えた篤姫がその後見になれる。」と思い残した以上のものを、夫は妻に残していったのだと思いました。
家族―処女妻篤姫には望むことも叶わなかった「母」と言う名前。
ハラハラと涙する篤姫を優しく見守る幾島の目にも涙が滲みます。
だけれど、こうなって良かったのだと思ってしまう自分が許せないのだと、幾島は大奥を去ることを篤姫に伝えます。
家定を失って篤姫は、生きていくための希望が必要なのだと幾島に語っていました。
自分の役割を果たせなかった挫折感を抱えて、幾島にも、その後の生きていく希望が必要なのでしょう。その希望は篤姫の希望とはイコールではないのかも知れません。
何時だって傍にいてくれる、どんな時だって去っては行かない、そう篤姫は信じきっていたと思います。そのような者が去っていこうとする時、心の中はきっと大きな風穴が開いてしまうような、そんな気持ちになるかもしれません。
でも、さよならだけが人生さと言っては寂しすぎますが、その別れを乗り越えた時に篤姫は本当の意味でひとり歩いていける道に立てるのかもしれません。
ちょっと思うことあって、感情移入度大です。
今回は男達の幕末物語も熱かったのですが、いつも一時間ぐらいすると、もうあまり心に残っていないのです。困ったものです。
西郷の悲劇は斉彬の手足となって働いていたからばかりではなく、下級武士ゆえに斉彬と言う直属上司を失ってしまったからと言う、土台の脆さみたいなものを感じてしまいました。
「安政の大獄」
ポンポコタヌキの井伊よ、おっみぇはやり過ぎなんだよ、とテレビと会話をしてしまいました。
こんな書き方しているからなのでしょうか。gooのブログ通信簿で、私の性別は「男」になっていました。まっ、いいけどね。
家茂がそう言った時、私は不覚にもまた泣いてしまいました。
どうもここの所、毎回「篤姫」を見てはウルウルと泣いてしまいます。泣くと言うことは心を洗い流す意味でもいい事なんですよ。でも、それはうつつの世界では遠慮したいこと。このように物語の世界でハラハラ涙を流し、明日への英気を養いましょう。
こうなってみると、慶福こと家茂が将軍になったことは、家定の
「慶福が未だ若年ゆえに、見識備えた篤姫がその後見になれる。」と思い残した以上のものを、夫は妻に残していったのだと思いました。
家族―処女妻篤姫には望むことも叶わなかった「母」と言う名前。
ハラハラと涙する篤姫を優しく見守る幾島の目にも涙が滲みます。
だけれど、こうなって良かったのだと思ってしまう自分が許せないのだと、幾島は大奥を去ることを篤姫に伝えます。
家定を失って篤姫は、生きていくための希望が必要なのだと幾島に語っていました。
自分の役割を果たせなかった挫折感を抱えて、幾島にも、その後の生きていく希望が必要なのでしょう。その希望は篤姫の希望とはイコールではないのかも知れません。
何時だって傍にいてくれる、どんな時だって去っては行かない、そう篤姫は信じきっていたと思います。そのような者が去っていこうとする時、心の中はきっと大きな風穴が開いてしまうような、そんな気持ちになるかもしれません。
でも、さよならだけが人生さと言っては寂しすぎますが、その別れを乗り越えた時に篤姫は本当の意味でひとり歩いていける道に立てるのかもしれません。
ちょっと思うことあって、感情移入度大です。
今回は男達の幕末物語も熱かったのですが、いつも一時間ぐらいすると、もうあまり心に残っていないのです。困ったものです。
西郷の悲劇は斉彬の手足となって働いていたからばかりではなく、下級武士ゆえに斉彬と言う直属上司を失ってしまったからと言う、土台の脆さみたいなものを感じてしまいました。
「安政の大獄」
ポンポコタヌキの井伊よ、おっみぇはやり過ぎなんだよ、とテレビと会話をしてしまいました。
こんな書き方しているからなのでしょうか。gooのブログ通信簿で、私の性別は「男」になっていました。まっ、いいけどね。