森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

英語は勉強した方がいいよ~<SONO4>

2008-07-06 02:43:49 | ’08/12/7までの未整理日記

 間が開いてしまいましたが、

「英語は勉強した方がいいよ~<SONO1>」
「英語は勉強した方がいいよ~<SONO2>」                             「英語は勉強した方がいいよ~<SONO3>」
の続きです。

 

これからの受験には英語が要と言われて反発を感じ、これからは英語が話せなければ困ると言われても、そんな事はないよと生きてきた私。  確かに選んだ人生では困った事は一度もなかったと思うのです。それはそれは長い間です。  

 

 だけれど、ある日・・・・。  

 

  話が変わってしまうようにみえますが、私は如何に退屈な映画でも、映画館で寝てしまったことはありません。数秒意識が飛ぶ事はあるかもしれませんが(オイオイ)「ああ、寝てしまった~」と思う程のことはなかったのです。

 だからこれは、唯一の映画館で寝てしまった映画といえるかもしれません。  それは、「シン・レッド・ライン」。 この映画は私には二重の意味で苦しい映画でした。

 

シン・レッド・ライン(1998) - goo 映画

物語などは↑でチェック。

 

 映像は環境映画かと思うほど美しいのです。ガナルカナルの美しい海に惚れ惚れしますが、そこは戦場なのです。外国の戦争映画はヘルメットをかぶられると、本当に辛いです。誰が誰だか分からず、物語または登場人物に感情移入することが出来ません。

それは実は「プライベートライアン」でも「父親達の星条旗」でも同じことです。もちろん「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスぐらいは分かりますが、戦闘シーンで人の顔が判ってくるのには、かなり時間がかかるのです。そうなると、激戦のシーンでは登場人物寄りに見方が偏ると言うことは皆無です。

 「プライベート・ライアン」では、戦争の悲惨さがダイレクトに食い込んでくるのに、敵が日本人だとそれだけではない感情が沸き起こってくるのです。信じがたいような激戦の様子が長い間映し出されると、ガナルカナルで死んでいった日本人の人たちへの鎮魂の思いというか・・、なんていったら良いのかわかりませんが、私の中のナショナリズムが鼓動すると書いたら、そんな言葉遊びをするなと言われてしまうかもしれません。

 

 でも、映画を見ていてそんな気持ちになったのは初めてでした。敵である主人公達が憎くさえあるのです。そうなってしまっては映画を作品と見ることも出来ず、退場と言う手段もあったかも知れません。一人で行ったのならばです。でも友人と一緒でした。その友人も途中で寝ていました。美しい環境ビデオ的映像に負けてしまったのだと思います。何かに耐えながら見続けていたとき、前に座っていた老夫婦が席を立ちました。しばらくすると、小さな声で「すみません。」と言いながら、私たちの膝を抜けながら、年配の夫婦が去っていきました。

 

 途中で人が帰るという光景を、私は今まであまり見た事がなかったので驚きました。いったい彼らはどんな気持ちで席を立って言ったんだろうななどと、余計なことを考えていました。

 

  でも、世の中に無駄と言うものは無いんじゃないかなと、そう思ってしまったのもこの映画です。この映画のラストを見ていて、私は今まで思っていた英語に関しての考えを元から捨ててしまいました。

 

 その物語の終わり・・・
主人公は仲間とはぐれて一人山の中。その時日本兵と遭遇してしまうのです。日本兵は数人で彼を囲むが、声を荒げて
「お前は誰か、お前は敵か、」と大きな声で繰り返すのです。その顔には憎しみのと言うよりは恐怖の表情がありありと伺えたのです。

 

 この日本人達はこの目の前の予想外に出会ってしまったアメリカ人が怖いのだ。彼を殺したくないのだ。そう私は思いました。その解釈が今となっては正しいのかは分かりませんが、その時はそう感じたのです。そして、主人公の彼も。何とかしてその場も逃れたいし、部隊も守りたい。だからといって、逃れる術もなくてそこで銃弾に倒れてしまうのです。

大きな声で言う、「お前は誰か。」と言う日本語が分かったら、彼は殺されなかったかも知れません。日本兵の中に一人でも英語がわかるものがいたら、彼らは彼を捕虜にすることが出来たかも知れません。

 

「言葉」の壁さえなければ、人はもっと近づけて、理解しあえることもあるかもしれないと、私は思いました。

 

前の<SONO3>あたりで、言葉は英語でなくても、大きな声ではっきりくっきり言えば、意外と意思の疎通が出来たりするものだみたいなことを書いたと思います。でも、それは相手が耳を澄まし聞く耳を持っているからだと思います。

耳を澄まして聞く気持ちになれない場合も、多々あるのです。そんな時、お互いに相手の国の言葉を一言でも発することが出来たなら、思わずハッとして耳を澄ますかもしれません。

「おかあさん。」「Mother!」とか。

― I have aged mother who is waiting for me. You must be so.

 

一期一会。この映画は二度と見る気にはなれず、見たのは一度だけですが、貴重な出会いだったかも知れません。

    

      ※     ※      ※     ※     ※

 

 自分の子供には聞かれたことはありませんが、多くの子供たちが一度は口にする、「なんでこんなの勉強するの。本当は必要ないよね。」と言う言葉。私はそんな時、決して「受験では・・」なんてバカなことは言いません。

 

でもそれは英語に限ったことではなく、社会も理科も数学もみんないろいろ教科で言ってきます。さすがに国語はないのですが、特に多いのは数学かもしれません。そんな時私は自分の辿った経験を世間話のように話してあげます。

英語を含めてどんなことを言うと、子供が「そうか~」というのか中学生のお子さんがいるお母さんなんかは興味があるかもしれませんね。
(「そうか~」ばかりではなく、時には「ふ~ん」「へ~」と納得していない場合もあるかも)

でももう深夜なので、このお話の続きはまたいつかと言うことにします。


 


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