ワタクシ、吃驚しました。
松浦亀太郎は松陰の肖像画を描いた人、それで終わりかと思っていたのです。
まさか松下村塾の塾生の中で一番早く命を落としてしまう人であったとは。
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昨日、上記の所まで視聴後すぐに書き込んで手が止まりました。次に何を書いて良いのか分からなくなってしまったからなんです。
でも一晩たったら書きたいことが山のように出てきました。出来ましたら、最後まで読んでくださると嬉しいです。
夫殿が視聴し終わってからしばらくして
「これはこれで面白かったね。」と言いました。
何か自分に言い聞かせたような言い方。
そう、面白かったんですよ。でも、夫殿がそういったのは分かるような気がしたのです。
我が家は6時からBSで見ていることが多いのですが、8時台の地上波の時、ツイッターを見ていたら相当荒れていました。私は「花燃ゆ」が好きなので、その荒れっプリには悲しいものを感じつつ、今回に限っては少々分かるような気がするのです。
このドラマは男たちを前面に出しながら、実は女たちの物語なんですよね。ここを見間違えていると、非常なる違和感を感じるお話だと思うのです。
男たちは自分の思った通りの道を突っ走ります。そうすることは、下級武士だったりするものが多い松下村塾の面々の家計圧迫に繋がっていくわけですが、そこを女たちが手を組んで乗り切っていくと言う姿を見せたのは、斬新だったと思うし、今までにない視点だったと思うのです。
「だけどもうちぃと丁寧に描かれんものだったか。」と文さんのマネ。
困窮→結託→復活
男たちを自由に働かす女たちの底力をもう少し感動的に描いて欲しかったような気もするのです。
高杉の奥方は高杉とは割れ鍋に綴じ蓋的な似たもの夫婦な感じで魅力的でした。
でも彼女の登場によって焦点がぼやけました。
はっきり言って夫の久坂にくだらない事をしゃべらせ過ぎたのも、私的にはドボンでした。
「こいつはダメなやつだな。」と見ている途中で夫が言ったのです。
私はびっくりして
「えええ、久坂が?!」
「嫌なやつだ。」ともう一度夫が言いました。
このドラマで久坂玄瑞をダメで嫌な男と言う印象を受けてしまったら、かなりドラマ自体のダメージじゃないかなと私は思いました。だから少々の事は目をつむりたいような気がするのですが、要するに、妻の家族の前で金の無心を露骨にしたシーンは、日本人の心の中にちゃんと存在している美学に反しているのです。
例えば・・・・
真夜中に ずっと写本をしている久坂をたしなめる文に
「京では金が金が必要なんじゃ。」とか
文が彼の書斎の棚を開けると、書物が一冊もなくなっていて、問いただす文に
「京では金が金が必要なんじゃ。」とか
そのような展開があって、文は思い悩み、父の読んでなさそうな本を売ってしまい、それを母に土下座して謝ると
チョーのんき母は「世話ない。」と笑いながら言うのです。
と、いうような物語を妄想してしまいました。確かにべたかもしれませんが、母から渡されたお金を夫に渡すと言う、なんとも気持ちの悪い展開よりは良かったような気がしてしまうのです。
こんな展開があってこそ離れていても、夫と妻は共犯者。待っているだけの人ではないと感じる事も出来ようと言うものです。
まあ、ダメ出しをするなど偉そうな感じになってしまうのでもう止めますが、前回のラストに書いた
「草莽崛起」と言う言葉。
その意味をよく見ると、それって市民革命の事じゃないですか。
やっぱり松陰って凄いですよね。
その市民革命への風穴を魚屋であった亀太郎が開けたって言うのが、今回のドラマのツボだったような気がするんです。
もっと前に出せ――――。
あっ、またも〈ダメ出し〉言っちゃった('◇')ゞ
そんなこんなと言いながら、次回も「花燃ゆ」、楽しみにしていますし、応援もしますよ。
えっと、後ですね。
今朝、ちょっとアクセス解析の検索ワードを見ていたら「フリーヘイド」もしくは「フリーヘード」の検索多数。
そりゃそうよ。
あれ、分からんよ。
なんでnhkのHP、解説しないのよって思いましたよ。
で、朝から検索・・・・。
だってですね、「フリーダム」と「フリーヘイド」はやっぱりどう考えたって、音が遠くないですか。
ムムム。
と、私、閃きました。
この頃の知識人は、まず最初はオランダ語よね。
「自由」をオランダ語に変換すると、「vrijheid」。
やったー!!!
って、私、思いました。
「vrij」の部分は「フリュウー」みたいな発音。
これが正解かどうかは分かりませんが、私的には満足です。
と言うことでまた次週。