森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

戸定が丘歴史公園その1

2020-07-09 02:26:10 | お出掛け日記

以前松戸の税務署か何かに行った時に、駅にこの場所の案内板が出ていて、こんな場所にこのような所があるのかと、私の中でチェック項目に入れていました。

「2020年の手賀沼の蓮は !!!」の続きです。

 

来たかった場所なので、ちょっとワクワクしました。

最初に「戸定が丘歴史公園」の中にある「戸定邸」の見学をしました。

主に写真日記です。

中は広いです。

 

なんたってここは、水戸藩最後の藩主である徳川昭武が作った別邸。この前行った「旧吉田家」も広いと思いましたが、武家でしかも徳川ですし、また違った趣を感じる事が出来ました。

同じ場所ですが、少しずらすと床の間には・・・

さすが武家のお屋敷 !
 
 
 
ところがこれは
 
 
 
レプリカ。だけど凄いですよね^^
 
右と左はエリアが違います。何気に細かいところが違っていますね。だけど古いお屋敷は、やはりそれなりに楽しいですね。
 
 
 
 
湯殿とか
 
 
 
 
客間の欄間。
 
 
「なぜ蝙蝠なんだろうか。客はある時は味方、ある時は敵に変わるからだろうか。」と私が言うと、
「よくあれが蝙蝠だって気が付いたね。」とルート君。
 
蝙蝠にしか、むしろ見えないけれどね。
 
などと言っていたら、ちゃんと説明のボードがありました。蝙蝠は福を運ぶものとされていたからなんですって。
 
説明ボードがあると言う事は、そこに疑問を感じる人が多いと言う事なのでしょうね。
 
 

そしてあちらこちらの窓から外を見てきました。

 

ここは写真撮影がokなのが嬉しいですね。

 

 

晴れていたら、部屋の中から富士山が見える絶景ポイントもあるのですよ。

「表座敷棟  中座敷棟  奥座敷棟  離座敷棟  玄関棟 台所棟 湯殿  内蔵」が重要文化財に指定されています。

 

 

 

次は庭園をご案内したいと思います♪

 

 

 

 


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七夕の祈り

2020-07-08 13:25:25 | 梢は歌う(日記)
 
かえってきた帽子

最初に「パシフィコ横浜で幸せな夜」と言う「「吉田拓郎コンサート2019-LIVE 73 years-」の記事を、多くの皆様に読んでいただき本当にありがとうございます。幸せな夜は......
 

 

上の囲みは昨年の7月7日に投稿したものです。と言いましても、内容は七夕などには関係もなく、昨年の吉田拓郎さんのライブに行った日の前後の日記です。拓郎氏のライブの記事はこの記事の前にあります。(パシフィコ横浜で幸せな夜)

それを読み返すと、当たり前ですが昨年はまったく今年と違う生活。そして自分自身が、とってもパワフルな人に感じてしまいます。この上の記事の中に

>ちょっとのお仕事と家事と、サークルのあれやこれやだけだったら、たぶん私は

「ああ、最近暇だなあ。」って言うような気がします。

と、書いてありました。

 

今まさに、その「ちょっとのお仕事と家事と、サークル活動をほんのちょっと」と言う生活ではありませんか。

ところが、あんまり「ひっま~ !!」と言う感じもしないものですよね。

遣らねばならない時間が減っても、やりたい事が出来る時間が増えるだけですから。

またどこにも出掛けなくても、家で遣る事はたくさんあるからです。

 

そんな訳で自粛生活もそれなりに楽しく過ごしてきた方だと思うのですが、それでもずっと我慢してきたことは、横浜の実家に帰る事と姉妹たちと会う事だったのです。2月の15日16日に泊まりで実家に行き、そこで姉妹たちに会って、それっきりです。4月に本当は自由が丘で会う事になっていました。でも3月の終わりにオリンピックの延期が決まって、その後にコロナに関しての小池さんの会見がありましたが、やっと本当の事が語られ始めたと言う印象を受けました。

それで4月にみんなで会うのは延期したのでした。

5月のGWがあった事も幸いしたのでしょう。感染者の数が徐々に減っていき、緊急非常宣言が解除された後、私たちはまた会う約束をし直しました。

その時、私は読み誤ってしまったなと今になって思います。解除されても、少し様子を見た方が良いからと7月の19日に決めてしまったのでした。様子を見つつと言うのは、間違えてはいなかったと思います。でももっともっと早い時に実行してしまえば良かったのですよね。2波が来るのは、もっと先の秋の終わりだと思っていたのです。

 

日にちを決めた後になって、毎日東京での感染者の数が増えていき、夕方になってその数を聞くと、私は本当に憂鬱になりました。

ー でも、通勤で東京に行ってる人たちもいるわけだし・・・・・。

などと思ったりもしましたが、とうとう再び3桁の数になってしまいました。

それで私は決意し、姉に相談しました。

確かに東京の人口分の100で、大丈夫よと思えば思えるかもしれません。

だけど「私は大丈夫よ。」と言う確約など何もない事なのです。また私たちがコロナに関わったら、絶対に軽症で済むわけがないと思うのです。

 

それから「夜の街」と言う言葉で攻撃されていますが、怖いのは、そこに行く事ではなくて、そこで再び感染数を増やしていってしまった方々の意識の低さではないでしょうか。病気になってしまった人を攻撃しないと言うのはルールだと思います。だけど「なぜ」「どうして」そうなったかを見極めていく事は大事な別の問題だと思います。

 

またそれは、「夜の街」と言うところに所属していても、ちゃんと知恵を絞ってやられているお店などを守る事だと思います。

それにまた、あまりの「夜の街攻撃」も、考えなければならない視点がぼやけるのではと思いました。本当に怖いのは、意識の薄い方々の昼間の行動でしょう。自覚症状のない陽性の方が、遅く起きてその辺のコンビニやレストランなどをウロウロする・・・・

感染ルートが分からない人がいるのは、こんな所にもあるのでは?

 

結局、7月に姉妹で自由が丘で会うのは延期になりました。

一つ下の妹のスノウさんが地元の人なので、お店に予約をしていてくれたのでキャンセルの手続きもしてくれました。

このお店にしたって、およそ1万円ちょっとにはなっただろう売り上げが消えたわけですよね。

 

ところで私たち四人は、毎週ラインでテレビ電話で集会を開いているんです。でも最近は数分で音声が聴き取れなくなるので、最初の顔合わせをした後、音声だけに切り替えて四人でおしゃべりするのです。

 

やはりその時は、その事が話題になりました。

スノウさんが、

「お姉ちゃんから電話が来た時に、仕方がないなと思ったけれど、ああ、やっぱりダメだったかと思ったら、私、涙が出ちゃったんだ。」と少し笑いながら言いました。

スノウさんは病気。

「これが最後の焼き肉やさんかしら。」などといつも言います。たぶんそう思って、今を生きようとしているのだと思います。

 

それから最後に、姉の20年の長きに渡っての闘病をねぎらって、改めて皆で拍手をしました。

姉が「泣いちゃう・・・。」と言いました。

私も思わずもらい泣きです。

 

だけど私は言いました。

「私、今ももらい泣きしちゃった。だけどさっき、スノウさんが泣いたと言った時も、やっぱり私涙が出たよ。」

姉妹たちも、実は皆同じでした。音声だけの電話だったから、やはり伝えないと分からない事もあると思ったから、私は言いました。それはまた言わずにはいられなかったかもしれません。

毎週、電話で話しているのだから良いのではと言う問題ではないのですよね。

病気で今を必死で生きている人の、ささやかな楽しみを奪うなんて~~~ !!!

なんて言うかジワジワと怒りのようなものが込み上げてきたのです。

そして「頼むよ、君たち !」と誰に向かうでもなく、心の中で言ってしまいました。

 

しかし私たちは単に嘆く人たちではないので、ちょっと自由が丘企画は保留ですが次の約束をしあいました。

次は実家にて、夏の終わりの暑気払いと言うところでしょうか。

 

でもその前に、私は一度横浜には行こうと思っています。

いろいろ考えながら・・・・。

 

これを書き始めたのは、昨日の7日の日でした。

今年の七夕の願いは、「コロナ終息、我らを自由に解き放ちたまえ」そして、「天よ、静まりたまえ」でした。

今のところそれしかないです。

 

イヤさらに考えると、GO TO キャンペーンをやらなくて良いから、もう一回10万円が振り込まれますようにとか、努力しなくても痩せますようにとか、後は今度宝くじを買おうと思うので、その時は・・・・・・・・・って、あー、だからさらに考えるのは止めなさいって、私 !!!

 


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2020年の手賀沼の蓮は !!!

2020-07-07 01:25:04 | お散歩&写真日記

6月17日に「旧吉田邸住宅公園」を訪れた時に、門前カフェにて昼食を頂いたのですが、そこに置いてあったパンフなどを見ていて、なにげに「戸定が丘歴史公園」のそれをルー君に見せると、

「来週は26日しか行けないよ。」と言うではありませんか。

ただパンフを見せただけなのに、急にムクムクと欲が沸き上がってきました。

もう終わりだものね、こんな生活は。(終わりだよね ?)

「じゃあ、26日に行こうか ?」となったのでした。

でも、そこに行く前に、ちょっと寄り道して欲しいと、私は頼みました。

 

ブログ周りをしていると、あちらこちらでの蓮の花情報。手賀沼の蓮は、例年7月の終わりから蓮祭りなどが行われるので、6月に見に行っても仕方がないと思いつつ、1個2個ぐらいの気の早い花もいるのではないかと思い、「手賀沼の蓮」の状況を見に行ってみる事にしました。

 

行ってみて吃驚しました。トップ画像が、その蓮のコーナーなのです。

気の早い狂い咲きなんて期待できるレベルではありませんでした。

「これが、7月の終わりになるとびっちりになるのか ?」とルート君。

私はただ虚しく首を振るばかりでした。

 

本来ならばと言う画像は、2017年の7月20日に見に行った記事にあります。→「手賀沼の風景」

(愛子さんに連れて行ってもらったのよね(;_:)

 

おかしいなと思ったので、家に帰ってから検索したら、

こんな記事を見つけました。→「ハス全滅で寂しい光景に・・・

その記事の日付を見て、またも吃驚しました。私たちがここを訪れたのは26日の10時半ごろだったのですが、同じ日の1時間前に、その記事は書かれていたのでした。

また違うサイトでも、同じような事が書かれていた所があって、もしかしたら上にリンクしたニュースを参考にしたのかも知れません。(日付が同じ)

またこのハス全滅の事は、6月29日の夕方のニュースでも取り上げられていたみたいで、友人が「今やってる !!」とお電話をくれたのですが、電話に出ている間に終わってしまったので見逃してしまいました。

ただ手賀沼は広いです。

見どころスポットのここはダメになってしまっても、地元の人だけには分かっている、地元スポットがあるかもしれませんね。

 

私たちはせっかく来たのだからと、ここをほんの少しだけ散歩して、次の目的地に向かったのでした。

 

ちょっと収穫ありです。

また

  

 

この前来た時には「ヤマボウシ」の花が綺麗でしたが、今回は

 

ねむの木の花が、綺麗に夢心地であるかのように咲いていました。

 

ハス全滅で寂しい光景に… 手賀沼の観光船、コロナとの二重苦
ハス全滅で寂しい光景に… 手賀沼の観光船、コロナとの二重苦
ハス全滅で寂しい光景に… 手賀沼の観光船、コロナとの二重苦 千葉
ハス全滅で寂しい光景に… 手賀沼の観光船、コロナとの二重苦 千葉
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必殺仕事人2020

2020-07-05 13:51:11 | テレビ・ラジオ

なんでか毎回感想を書いている「必殺シリーズ」。毎回書いているので、今回はスルーとはいかないでしょう。

だけど日曜日の夜はいろいろ重なっちゃって、だから録画して火曜日(6月30日)に見ました。

で、感想が今と言う遅さですが、ドラマの感想ってタイムリーでなくても書いておくと、意外な時に読まれることってあるのですよね。例えば「必殺仕事人2021」の前とかね。

と言うわけで、まるっと1週間遅れの感想です。

 

私が「必殺仕事人」の感想を書くのは、きっとOPの物語への導入の部分が素晴らしいのと、後は照明の美しさに惚れ惚れしてきたからだと思うのです。もちろん、本当の江戸時代にはあり得ない暗さと明るさだと思います。でもこれはドラマなので、そんな事は関係のない事です。だけど今回は、まるっきりそこを意識することはなかったのですね。目には止まらなかったのかも知れません。

これって、毎回スタッフの方を追っていけば、理由なども分かる事なのかも知れませんが、そこまでやる必要はない事ですね。私の感性の問題かもしれませんので。←主にそこかな。

いずれにしても、このドラマ、難しく考えたらいけないのです。なんたって「娯楽時代劇」なのですから。

マジメに書いたら、感想もちょっと危ない人のブログになりかねませんよ。なぜなら彼らは人殺し集団なのですからね。

「好きだわぁ」って、怖い人みたいになっちゃうでしょ。

でも、それでも少々怖い事を言ってしまいますと、リュウのコロシ方ってスタイルが毎回違っていて、彼だけが必死の殺し屋家業なんですよね。セリフだけは毎回決めるのだけれど、要するに決め技が無いんですよね。相当危うい感じで返り討ちにいつか遭いそうな気さえしてしまいます。だから「私はもう新人ではありません。」と言うけれど、そっと涼次が物陰で待機している・・・・。

 

涼次も決め技があって、小五郎は剣の達人で、結局のそれらのシーンは現実味がないので笑ってみていられるのに、リュウのシーンは、本当に必死に殺してると言う感じで、私はむしろ怖いんです。彼にも何か決め技を見つけ出して、ある種のマンガ的にしていただきたいと思っている私ですが、同じような事は皆さんは考えないのかしら。

もしくはこれは未来のドラマの哀しい伏線になっていくのかしら。登場してきた時と同じように。

 

さて、今回は反グレとオレオレ詐欺(グレ者と親だまし)がテーマでしたね。

だいたい登場人物が出そろった段階で、ひどい目にあってしまう人と酷い目にあわせる人とに分かれるわけですが、前回のように良い人で頼み人であった人が酷い目にあわせる方にまわることもあるので、ズバッと分けるわけにはいきませんね。

新生塾の塾長がどっちにまわるかが、ちょっと気になる所でしたが、ああ、やっぱりねの展開でしたね。

彼が一人で人を惹きつけるような話し方の練習をしている所はツボでしたね。

 

引き籠りだった新之丞、最後は悲しかったですが、いろいろと面白い人でしたね。引き籠り中にやってたことは赤飯の中の小豆の数を数えたりとか。これって前にツイッターで何かの数を数えている人に感心したことがあったのですが、ライターさんはよくそう言うのを拾っていますね。この新之丞と接するリュウの姿勢には、凄く感心してしまいました。否定せず褒める。大事な事ですよね。

それに比べて新之丞のお父さん。とりあえず、人の話を聞きましょうよって思いませんでしたか。

この人の息子だからなのか、「初めての友だ。」とか言ったくせに、リュウの話をちゃんと聞こうとしなかった新之丞。悲劇の誘因するのは自分のうちにあるのかも知れません。

たけもいろいろ迂闊でした。お金がもうすぐ溜まると誰彼に話してしまうような女性で、涼次がそれを注意する優しさは印象に残りました。

このたけがグレ者たちにお金を返せとすがる時に「私は奉行所の者につてがある。」と言ってしまうじゃないですか。これってそうとうマズイ言葉らしいですよね。

もう今となっては記憶も定かではなくて不確かになってしまった事ですが、連続婦女暴行殺人事件の最初の犠牲者は「私の父は警察官だ。」と言ったがために第一の犠牲者になってしまったと、どこかで読んだことがあるのですよね。

「私は警察に知人がいる。」と言うのは犯人を追い詰めて、更にこちら側を窮地に追い込まれてしまう可能性もあるので、言ってはいけないセリフだそうです。

たけもハッタリでもなく、新之丞も本当のことを言っていたわけですが(つてがあるとか父であると言う部分)、悪いやつらと語り過ぎですよね。

 

復讐しても心は救われず、だけど寂しいもの同士が寄り添って生きていくと言う最後の落とし方は良かったですね。

タピオカってあまり好きになれないので、涼次の「タピ、タピ・・・」の話はスルー。←してないか(笑)

 

また「必殺仕事人2021」をお待ちしています。

HPはこちらです→ここです。

 

以前の感想は (結構文句ばっかし言ってます(^_^;))

『必殺仕事人2019』

必殺仕事人2018

必殺仕事人2016

必殺仕事人2015

必殺仕事人2014

必殺仕事人2013

必殺仕事人2012

必殺仕事人2010

「当たりまえだのクラッカー」と世界の片隅で呟いてみる←この記事の中に「必殺仕事人2009」の感想を再掲しています。

 

2009年は毎週金曜日に放送されていたみたいですね。


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「ポーの一族」秘密の花園 Vol.2

2020-07-03 09:50:22 | 漫画・マンガ・まんが

他の漫画を読まないからと今回からは買うか買うまいかと悩み、結局我慢できないで買う事にしました。そして今はまた漫画を読む習慣が戻って来たので、他の漫画も徐々に読もうかと思います。

しかし今、発売日になって「やっぱ、買おう。」と思っても、地域の本屋さんの一件は移転のために閉店中で、もう一件の大きな本屋さんは漫画雑誌は元々置かないお店。「やっぱ、買おう。」となったら、ネット注文しかなかったのでした。ここからは言い訳でしかありませんが、発売日から元々遅れて届いたわけですが、それをすぐに読んでも、月末の土日は、いろいろな事(テレビの最終回や特番など)が重なり過ぎて、なかなか感想などを書けなかったのでした。

つまり「タイムリーな記事じゃなくて、すみません~。」と言う話です(^_^;)

 

しかし1年と1か月後の連載の再開と言うのも凄いですね。

だとしたら私たちはエドガーのように永遠の命は持ち合わせてはいないので(作者様もそうですがコソッ)、様々な事に注意し、また心を強く持って生き抜いて、このテンポで進むこの物語の最後を見届けなければと、たった今思いました !

ひとつ前のお話の感想はこちらです。→「ポーの一族」秘密の花園 Vol.1

 

ポーの一族の秘密が、ここに来てポツリポツリと分かってきましたね。いつも唐突に眠くなってしまったりしていたアランでしたが、3日以上眠っているのなら「眠りの時季」なのだとシルバーから伝えられます。それはふいにやって来るので、安心して眠っていられる場所が必要なのです。ポーの村のような。

シルバーの言葉、大人の社会では子供は無力。生きていくには無理がある。赤ん坊のミルクを手に入れるのも難儀していた。

そこで懐かしい「リデル」の名前が出てきましたね。ちょっと胸がキューンとなります。なんだかね、私たちは・・・・いや、すぐに皆さまを巻き込もうとする私、いけない癖ですね・・・・私は、このリデルのようなものではないかと自分の事を感じてしまうのです。アランとエドガーと同じ時を生きて、そして置いて行かれ一人老いて行った私自身・・・・・。

 

訪ねて来たシルバーとは決裂します。アランと引き離そうとするのは無理な事なのだと、彼らは理解しないのでしょうか。ただ私は彼らの言っていることも少々わかるような気がするのです。もちろんこの時のリーダーのクロエは、その後を知っているので何とも言えない事ですが、決まりや掟に例外を作っていくと、絶対にその掟は緩んでいくのですよね。だからその掟自体を考えなくてはならないと思うのです。

あっ、ちょっと待って。ふと脳内に「憲法」なんてものが浮かんできてしまいました。私は改憲派じゃないから、ここはあまり触れない事にします。

しかし、シルバーとの決裂で、アーサーがますますエドガーの味方になってくれようとします。

「明日、うちの主治医に見せよう。」と言う、その言葉にエドガーは決意したのでしょうか。

自分の秘密をアーサーに暴きつつ、彼を自分の手のうちに取り込んでいく、その夜のシーンにはゾクゾクしましたね。

ゴシックホラーと昔は言われていたのですよね。

 

水の中でずっと息が続くエドガー。私はあの椿館での物語での「水魔 !」と子供が叫ぶシーンを思い出してしまいました。

それは「エヴァンズの遺書」でしたね。

 

アーサーは学生時代には凶暴さと非情さで「鬼のアーサー」と一目を置かれていた・・・・・

きっと、それは彼が恐れる所の「優しさ」ゆえに。

彼の心の中にいる、青い瞳のドミニクとは。

 

次回が楽しみですね。

次回は7月28日ごろ発売の9月号です。

 

因みに

 

「エヴァンズの遺書」、「リデル森の中」も「ランプトンは語る」も収録されているこの巻は、読むと新作の奥行きが広がると思います。

 

 

 

 

 

 

・・・

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20年 !

2020-07-02 01:35:30 | 梢は歌う(日記)
 
「チェックチェック♬」をチェックする。

 今日から7月になりました。 年の初めに「チェックチェック♬」「チェックチェック♬その2」「チェックチェック♬その3」  と言う記事を書きました。だいたいの一年の目当ての様なものを......
 

 

上の囲みは昨年の7月1日に投稿したものです。

一年の後半に突入して、年の初めに立てた目標をチェックしたと言うものなんです。

今年は思う事があって、目標などを敢えてブログには書き込みませんでした。しかしよもや2020年が、このように疫病でてんやわんやの年になるとは思いもよらない事でした。書きこんでいても、このような自粛生活の年では、あまり意味のない記事になっていたと思います。だけど7月に入って今年後半の、今の生活で出来る範囲の目標などを見直すのは良い事なのではないかと思います。

※      ※     ※

 

今日は(もう昨日)本当は「ポーの一族」や「必殺仕事人」の感想を書こうと思っていたのですが、やはり「ついたち」と言う日には、違う事を書きたいかなと思って予定変更です。

7月1日の出来事を、時系列関係なしで思いついたまま簡単に書きます。

今日からコンビニなどでもレジ袋が有料化になりましたね。

私はバイト帰りにコンビニによってパンを買ったのですが、うっかりエコバッグを持参し忘れてしまいました。だけど今日はお天気も良くなかったので、大きめの合皮のバッグを持って出かけていたので、そこにポイポイと入れる事が出来たので、セーフでした。

いつもブログを書くのに時間がかかるのは遅筆だからと言うばかりではなく、途中で興味がムクムクと沸いてきたことに、検索などに走ってしまうからと言うのにも一因があると思います。ちょうど今は「バイオマス」のレジ袋について調べていて、また時間が開いてしまい日をまたいでしまいました。

レジ袋有料化に、何も文句などない事ですが、なんとなく引っ掛かる所もあるのも確か。ドラマや漫画の感想ばかりを書いてないで、マスクの話やこのようなレジ袋のお話なども書いておきたいですね。あの時、私は何を思っていたのだろうってね。

 

ついたちの昨日は風が強かったので、録画消化をしながら家の中でずっとお片付けをしていました。

なんだか夕方になったら、クタクタでした。

遣った事の一つには、今はショップなどで服などを入れてくれていた袋も有料化されたので、以前貰って取っておいた袋などを使い易く畳み直しました。

その時思ったのですが、子供のころ、こんなに綺麗なデザインのビニールの袋を貰ったら、大切にして、持ち手などが伸びて切れてしまうまで何回も使っただろうになと言うことでした。なんだかそんな昔が愛おしいです。

お片付けにも疲れを感じたのですが、本当は「録画消化」の部分に疲れの原因があったように思います。

 

そして昨日は、姉の蝶子さんの10年目の乳癌の定期検診の日でした。乳癌は10年間は定期的に検診を受けていかなければなりません。そして今日がその最後の日だったのです。結果は異状なし。これからは市のマンモなどの検査を受けてねと言われたそうです。やっと一つの戦いが終わったと言えるのだと思いました。♪♪♪

だけど蝶子さんの戦いは10年ではなかったのです。さらに遡ることその10年前に、姉は乳癌になってしまいました。まだ若かった私は、癌イコール死の宣告に感じてしまい、電話でその報告を受けると、廊下で泣き崩れ、姉に「大丈夫だから」と逆に励まされてしまったあの日を忘れる事は出来ません。そしてその癌の10年目の最後だと思った検診の時に、また癌が見つかり新たな10年を歩まなければならなかったのでした。

ちょっと凄まじい話だと思いませんか。その時の姉も不安そうに待合室で待っている人たちを見て、「大変だなぁ。でも私はもう終わり。」のような事を思っていたと言うのです。もうそのような傲慢な気持ちは持たないとも言いました。それを傲慢な心とは思いませんが、姉は、何も考えずに無心で昨日と言う日を迎えたと言っていました。

トータルで20年。

凄いなぁとしみじみと思いました。姉の20年を想うのと同時に、それと共に過ぎた私自身の時間もしみじみと思いかえしました。

ラインで「異常がなかった。」と報告を受けましたが、声を聞きたくて電話をし喜び合いました。

 

その電話を切った時、ふと「太陽は動かない」に出てくる風間の言葉を思い出し、そっと呟いてしまいました。

 

「良く生きて来たね。」と。

 

 

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水無月だったから水無月を食す

2020-07-01 01:06:51 | 梢は歌う(日記)

今日6月最後の日は、終日雨でしたね。ダラダラとその最後の日の日記です。

前にも書きましたが(朝飯前。)自分の言った言葉に縛られて、雨が降るとなんだかベランダに出て何かをしないわけにはいかないと言う精神状態になるのでした。

だけど今日は、バイト先の雇い主様とランチの約束をしていたので、お昼にはいそいそと出掛けてまいりました。

お仕事の話のあれやこれやは、意外と楽しいのですよね。

 

だけどこのカルビ丼、ちょっとお肉の量が半端なくてー。

 

このお店、量が多いと分かってきたので(最近のお気に入りで何回も来ています。)、ご飯は減らしてくださいと最初から言いました。そしてご飯は適量だったのですが、お肉の量も減らしてくださいと言う人っていないと思うのですよ。ちょっと食べきるのにふぅふぅと言ってしまいました。ある意味、嬉しい悲鳴だったかしら。それにほとんど聞き役に回っていたのは、このお肉を食べるのが大変だったからかも(^_^;)

だけどここで、いろいろと雇い主様のお話を聞きながら、私もいろいろな事を考えさせられました。

近頃あまりお仕事もなくて、情熱みたいなものが失われつつあったのですが、ちょっとヤル気が蘇えってきました。

 

それから家に帰って来てから、和菓子の「水無月」を作りました。

25日の日に銀行回りをしたのですが、その時にこの和菓子を1度お店から買ってきたのです。

その時、お店には6月30日に頂くお菓子と書いてありました。

つまり

6月30日は水無月食べる日です。 京都では1年のちょうど折り返しにあたるこの日に、この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。 この「夏越祓」に用いられるのが、6月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。】

なるほど~と思いました。意外とこれ、美味しかったのですが、じゃあ25日に食べてもなぁと思ったりもしたのです。

だからと言って、今日の早くから買いにも行けないし、だったら作っちゃえばいいのではと思い付いたと言うわけなのです。

本当は上新粉と小麦粉とお砂糖と甘納豆で作るらしいのですが、買い物に行かないので家であるもので作りました。

上新粉の代わりにだんご粉、甘納豆の代わりにゆであずきです。レンジで5分も含めて10分ほどで出来ますが、冷やすのに2時間かかります。

 

出来ました。

いかにも手作り風。だけど美味しかったです♡

帰ってきた夫に、京都の習慣らしいよと告げると

「ああ、恵方巻のようなものか。」と言いました。確かにそうかも。関東人は地方発祥の面白そうなことに飛びつくのが好きと言えるかも。

ああ、京都の方は関東人に「地方」などと言われたら気分を悪くするのかもと、ふと思ってしまいました。つまりこの「地方」は、自分の県以外のところと言う意味ですよ。

(などと、見えない誰かに気を使う私^^)

 

そしてこの和菓子の水無月を冷やしている間に、やっぱりベランダに出て、飾っておいた紫陽花のお世話をしました。

家の中の紫陽花づくし」の中にアップした、インスタントミニ池の中の紫陽花の補充をしたり(トップ画像)、挿し木をしたりしました。

 

雨も強く降っていて、風も吹いていました。それでもベランダでの作業は楽しくて気持ちが良かったです。

ベランダもゴシゴシ洗いたかったのですが、夕方からこの雨風の中をバイトに行かなければならないので、体力を残すと言う意味で、そのゴシゴシと洗う事は次回の予定にと言う事にしました。

紫陽花の挿し木は、「こうやってやるのよ。」と教えられてやってみたのですが、あまり得意ではないので自信がありません。

 

だけど、今流行りの豆苗を育てるのだけは上手くいきました。上手くいったと自分では思っていますが、窓のないキッチンで育てているので、もっと綺麗に育てている人が見たら「違う !」と思われてしまうかもしれません。

 これは2回目。

そして、また今日、・・・・・・書いている間に日付が変わって昨日になってしまいましたが、またも収穫して温サラダに使いました。

 ふとこれは何回まで収穫出来るものかしらと、今検索してみたら、ずっと読んでしまい、戻ってくるのに時間がかかってしまいました。

結論を言えば、これにて終了だそうです。栄養価と根の衛生面からだそうです。

でも私の事だから、後からヒョロヒョロと伸びてきたものをハサミで切って、みそ汁などの最後にぱらっと入れるなどしそうです。

 

そうそう。これは6月の最後の日の日記でしたね。

 

その後は夕食を作り、雨の中をバイトに行き帰ってきました。

 

最後にこれは27日に届いた、母からの毎年の贈り物のサクランボです。

この母からの贈り物が届く6月を、この先も何年も続けられることが出来ますようにと祈りつつ、6月最後の一日を見送ったのでした。


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