最初に「パシフィコ横浜で幸せな夜」と言う「「吉田拓郎コンサート2019-LIVE 73 years-」の記事を、多くの皆様に読んでいただき本当にありがとうございます。
幸せな夜は、その日からずっと続いています。
《この記事を書き終えて、ツイッターを覗いたら、通知が大変な事になっていました。あの「ありがとう」と叫んだ方からリプを頂いていました。繋がれる幸せを、今私は感じています。》
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タイトル。
別にボウコちゃんが「お母さん、ただいま~。」と帰ってきたわけではありません。
私の事ですから、またやらかしたのです。しかも拓郎さんのコンサートに行く途中で。
この記事は、3日と4日の単なる日記で、それゆえだらだらと長いです。しかも拓郎さんの事は以下はほとんど何も書いていません。気が向いたらお読みください。
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先日、マンションのサークルの集まりの時に、トルコに行って来たと言って、お土産としてはささやかすぎたかなと思えるチョコなどを配りました。その時、ある方が
「忙しいのによく行ったね。」と言いました。
「いやいやあ・・・」と曖昧な言い方をしていた私ですが、ちょっと不思議な気持ちになりました。
忙しいのはトルコに行っていたり、コンサートに行っていたりするからではないのか?
ちょっとのお仕事と家事と、サークルのあれやこれやだけだったら、たぶん私は
「ああ、最近暇だなあ。」って言うような気がします。
だけど流石に3日の午前中は、ワタクシ頑張りました。
前日の夜家事をサボってしまったのでテキパキとやり、出掛ける支度をしたわけですが、コンサートの後はラッタさんとも会うし実家にも帰るわけで、お土産などをチョイスし包んだりもしました。これをこう書くと、そのぐらい前もってやっておかないのかと首を傾げられそうですが、ギリギリウーマンなので、前もってなんか遣りませんね(キッパリ)
(あらッ、もしかしたら、やっぱり私忙しかったりするのかしら(^_^;))
と、ここまでは別に頑張ったわけでもなく普通の事だと思うのです。
ただ私、自分でもよくやるよと思うのは、お昼から出かけるのに午前10時からのサークル活動には参加したりすることなのですよね。
色褪せた紫陽花の花のお手入れは好きな作業の一つです。
すべての花の頭を落します。色褪せた紫陽花の花を落した紫陽花は、すっきりとした緑が美しく、そして真っ盛りの夏を待つのです。
その後落とした花をゴミ袋にぎゅうぎゅうと詰めて片付けました。
だけどそのゴミ袋の中から、まだ花の色がぎりぎりセーフの物を拾ってきました。
近頃、近所のおばあさんとお話する機会があって、その方の影響で、昔ながらの押し花を始めました。
昔ながらと言うのは、摘んできた花を紙の間に挟み、上から重い物を重ねて置いておくと言うシンプルな作り方をする押し花です。
こんな感じ。
これは確か6月の初めに作ったモノだったかな。同じくサークルで春の花を片付けた時に、捨てられる花の中から拾ってきたのです。
この花を今後どうしようかなは考え中です。昔ながらの作り方なので、その色の寿命も短いかと思いますが、それはそれで全く良いのです。今の所、ただ眺めてニヤニヤしています。
で、拾ってきた紫陽花も、チョキチョキといくつかの花を切り落として押しましたが、時計を見ながらいくら何でも、今日それをすることはないんじゃないのと思い直し、残りは風通しの良い所に吊るしたり、小さな花瓶に入れ飾りました。
←その時吊るした紫陽花。先程撮影しました。
イイ感じに乾いていましたが、これは乾いてこういう花の色になったのではなくて、元々がこういう色なんです。
予定ではその後、買っておいた蒸しパンをかじって簡単なお昼ごはんにしようと思っていたのですが、日曜出勤だったルート君が代休を突然取ったので、12時になって(なってしまったわけですが)一緒にランチに行きました。予定していた所がお休みだったので、まだ一緒に行ったことがなかった「ブロンコビリー」と言うお店に行きました。
ここはサラダバイキングがあって
メインでしょ。
しかも4周年だとかでケーキ付でした。
その日は夕飯も遅くなると分かっていたので、この量は助かるなと思いましたが、お食事時間終了が1時を回ってしまいました。
「帰ったら、お米をといで洗濯物を取り込んで荷物チェックをして、1時50分に出掛けます。」と言うと、
「それ、30分の仕事じゃないよな。じゃあ、俺が米はやってやるよ。」などとルート君は言いました。
まあ、なんていい子なんでしょうとは思いましたが、洗濯を取り込むとは言っていても、片づけると言ってないので、実は楽勝なんですよね。だけどお母さんはやって頂きました、オホホ。しかも不燃ごみを半分持って行ってもらって、私が残りの資源ごみを持って行き、家でのミッション終了と言う事で、彼の車で送って行ってもらって、予定の電車よりも早く乗り込み横浜に出発したのでした。
なんだか妙な充実感と達成感があって、電車に乗り込むとまた余計な欲が出て来て、あれも出来る所までやってしまおうと思いました。あれと言うのは、ラインで友達と作っているトルコ旅行記のアルバムです。二人で800枚ぐらい撮って来たのではないかと思っているのですが、枚数が多すぎてなかなか終わらないのです。
でも作り出すと楽しくて夢中になってしまいました。そしてふと顔をあげると、電車は既に止まっていて、「秋葉原」と言う文字が目に飛び込んできたのです。しかもアナウンスが「つくば行きは・・・・・・」と、もうすぐドアが閉まる雰囲気。
「ヤッバーイ!!!」と、心の中では思いましたが、おもむろに静かに立ち上がった私は、何事もなかったかのように済ましてその電車を降りて行ったのでした。
ああ、セーフ。うっかり帰ってしまう所だったわー。
だけどJRの改札で、私は思わず呟きました。
「母さん、僕のあの帽子、どこに行ったのでしょうね。」って。
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そりゃあね、数分間は落ち込みましたよ。
そして乗り換えた電車の中で、忘れ物した場合の検索もしました。
「ここに電話をすればいいんだな。」と思った後は、その帽子の事は忘れる事にしたのです。
トルコで一緒に汗まみれになって来た帽子だったので失いたくはないけれど、このまま無くなってしまったら、それは運命だと思う事にしようと思いました。
だってこれから先は、「吉田拓郎」に集中ですよね。
この先は「パシフィコ横浜で幸せな夜」に続きます。
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これはラッタさんと一緒に頂いた遅い夕食。
母に渡したお土産は、さっそく玄関に飾られました。
本当は朝一で帰って、家でブログとか書きたいなと思いましたが、外はザンザンブリの雨で駅に着くまでにぐっしょりと濡れてしまいそうな雰囲気でした。それで午後からゆっくり帰る事にしたのです。
これは母と頂いたランチ。
家に帰りつくまでに本屋に寄るのとスポーツ新聞をゲットすると言うミッションを自分に与えたのですが、時間的にスポーツ新聞GETは結構危なかったです。本屋には目当ての物がなくてそれらはネットで買ったのですと言うのは余計な話ですね。
つくばエクスプレスの忘れ物センターには、朝食の後に、本当にすっかり忘れていたのですが、タイミングよく思い出し電話を入れました。
ちゃんと帽子ちゃんは、秋葉原の駅で私を待っていてくれました。
そして駅で、その帽子を受け取って、そんな途中のアクシデントなんか一個もなかったかのような顔をして、私は家に帰ったのでした。
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ついでながら、5日の日記。本当は次は藤原竜也の「ダイナー」を5日に見に行きたいと朝から頑張っていましたが、なんだか体が熱く熱を測ったら、6度9分ありました。それが37になってしまうか6度8分に下がって行くかは、その後の生活にも寄るなと映画は諦めて、家事に専念しました(夜はバイトでした。)
じゃあ、6日の日に11時からの御用の前に行こうと計画を立てましたが、朝方夢の中の私の声が言いました。
「楽しい事は1個ずつ。」
その声に従って、ピアノの発表会の受付に専念して楽しむ事にしました。
退屈かと思った受付でしたが、意外と会話も人との触れ合いも多く楽しかったです。
その後星子さんとお茶を飲み、充実の一日でした。
で、今日は、一日ボーっとしています。
(「いだてん」、凄く良かったですね。良すぎて感想が書けるかしら。)