※ 横浜の散歩記事を書いていたので、遅くなりました。
「麒麟がくる」のお休み中の特番「麒麟がくるまでお待ちください」で、ついでながら私も過去の大河の思い出を語ってしまおうと言う記事です。思い出が中心なので、テレビの内容には、あまり触れていない場合もあります。
今回は1996年(平成8年)の作品「秀吉」でした。
ワタクシ、この作品を考えると、どうしてもある事はスルー出来ないような気がしてしまいます。
つまり、えーと、その・・・・・アレですね。
だからアレです。劇中で彼の何かが昔の下着の間からチラリと見えてしまったと言うアレ。
何もそれを一番にあげなくてもと思うかもしれませんが、いや、サッサと語って次に行こうと思ってるからなのです(本当かしら)
何を語るのかと言うと、つまり「何々だから、それはあり得ない」と言う考えはダメと言う事ですよ~。
私、そのシーンはもちろん一瞬だったのですが、「あれっ?」と驚き思いつつ、天下のNHKがそんなミスをするわけがないから、見間違えだったんだと思ったのです。また自分は穢れているなとも思いました。だけどその週に美容院に行ったら、その事が女性週刊誌に載っていたのですよ。「竹中直人の何とか」と言う見出しで。もちろん「何とか」と言うところには別の言葉が入るわけですが、私、ちょっと学びましたね。もっと自分が見たものを信じようっと。また「天下のNHKだからあり得ない。」と言う思い込みはダメなんだと言う事も。
しかし自分が見たものを信じようと言うのは良いけれど、この場合、あまり映像的には思い出したくない事ですが(^_^;)
サッサと語ったので次ですが、私は主役の竹中直人さんの秀吉も好きでしたが、ライバル役の村上さんの光秀も大好きでした。「麒麟がくるまでお待ちください」を見ていましたら、村上さんが出て来て「今までの逆賊のイメージを払しょくさせたいんだ。」とプロデューサーに言われたとか。
私は「国盗り物語」の近藤さんの光秀も好きでしたが、この村上さんの光秀が今までの中では一番心に残っているんです。
このドラマで、すっかり忘れていたのですが「心配御無用」と言う言葉が流行ったのですね。
ところが我が家では、しばらく
「母上、お腹が空きました。」「我慢なさい。」と言う言葉が流行っていたのでした。この時一緒に居たのは「たま」だったのでしょうか。とにかくセリフが「お腹が空きました。」しかなかったようにさえ感じました。
だけど子供に「お腹が空きました。」と訴えられても、父も母も「我慢しなさい。」しか言えないなんて、なんて切ない言葉でしょう。光秀の家族の窮した状況をよく表していたと思いました。
この「秀吉」では渡哲也さんが信長で、凄い人気を博していました。それゆえに出場回数を最初の予定より2話増やしたそうですね。
私は渋谷のNHKスタジオパークに遊びに行った時、たまたま撮影をしていてしばらく見学出来た事があったのです。
それが信長と家来のひとりが、何でだか忘れましたが秀吉の小さな家を訪ねていくシーンでした。セットで作られた狭い道を何回も歩いて家の中に入って行きます。ただそれの繰り返し。
放送された時、そのシーンは一瞬だけで、
撮影って本当に大変なのねとしみじみと思ったのでした。
因みにNHKスタジオパークは、2020年の今年の5月に閉館されてしまいました。寂しい事ですね。
書きだすと、いろいろなシーンが思い出されてきます。
おねの流産のシーンとか。そしてその秘密を知っているのは秀吉の弟の秀長のみだったことも。
また石田三成が真田広之さんでしたが、本能寺の前に光秀が徐々に追い詰められていく姿に、何気なく「謀反あり」と読んでいた所が凄いと思いました。いざと言う時に京へ飛んで帰る準備を怠りませんでしたよね。
それから…と本当にキリがないのでした。
の割には、「秀吉」の信長は本当に良かったのでしたが、何でか「本能寺」の回をまったく覚えてなかったり、光秀の母が人質になったのに、信長によって見捨てられたりして、光秀の裏切りは仕方がないと思いながらも、その母の処刑シーンはまったく思えていなかったのでした。
ゆえに今回の特集で選ばれたシーンなどは、まるで初めて見たかのように感じさせるものが多くあって楽しかったです。
さて次週からは、また違う番組になっていましたね。
麒麟はもうしばらくの間待たねばならないようです。
「母上、お腹が空きました。」
「我慢なさい。もう真夜中ゆえ。」
本当だ。もうこんな時間でしたね。