森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ちゃんとチェックしています♪

2021-02-17 11:40:03 | 梢は歌う(日記)

お芝居・映画・ドラマ好きな私。

好きな俳優さんはたくさんいます。でもその中で一番誰が好きかと問われたら、迷わず「藤原竜也」と答えます。

最近「推し」と言う言葉を覚えましたが、ちょっと、なんとなく気恥ずかしいので使いません。「ご贔屓」と言う言葉を以前は使っていたと思いますが、イチオシと言う意味では変わりませんね。

だけど近頃ちっとも、彼の記事を書いてません。

書かなくても、ちゃんとチェックもしているし、諸々楽しみにしています。

チェックしている彼の事は、また下の方に書きます。(すでに皆様の知っている事ばかりです。)

 

ちょっとだけ「推しは尊い」と言う話をさせてくださいね。(「推し」、使ってるやん。^^)

最近、奥様ランチをする機会が、こんな時代と言いながら、むしろ逆に増えてしまったように思います。だけど時々思うのですが、やはり「こんな時代」なので、みなさん、溜息つくことが多いのですよ。

溜息をつきっぱなしで嘆きっぱなしの人もいますが、そうじゃない人もたくさんいます。

「ほんとうに先が見えないようで不安だよね。」「閉じ込められた空間に投げ込まれたようで、息がつまるよね。」

そう言いながら、

「私、死ぬまで働くんだ。」と言う人もいれば

「こんな事を始めたんだ。」と言う人、

溜息はつく。だけどその先がある事が大事なんだと思います。

中には、「いつかまたドームでのコンサートに参加する願いを込めて、これを持ち歩いている。」とルピカライトを見せてくれた人もいました。この方の溜息の数は半端ではなかったのですが、その彼女を支えていたのは「東方神起」。

この私も、藤原の竜也殿がですね、次から次へと先の新たな予定を出してくると、それを楽しみにするわけですが、好きな事や好きなものが多い私なので、先の楽しみというのが、けっこうあったりもするのです。

あー、因みに、みなささやかなものですよ。映画の公開とか舞台がどうしたとか漫画の発売日がとか(笑)、そのようなものが多いのです。(または旅の夢を見ていたりして)

私持病持ちだし、一応シニアの入口に立っていて、友だちだって既に鬼籍の人だっているし、病気で寝たきりになってしまった人、または怪我をして記憶が保てなくなってしまった人とか、能天気な私でも大変な年代に突入してしまったんだなと思ったりもするのです。

だけどね、私の好きな人たちが頑張っていたりして、かなり先の予定などを出してくると、私は強く思い、自分を鼓舞します。

「おちおち死んじゃ、いられねーや !」ってね。

 

と言うわけで、以下は竜也殿のあれやこれやです。

☆ 「フジタツ猪突猛進撃!!」

見ました~!「三回道」の豪華版みたいな感じがしました。サッカーなどはあまり興味がなかったのでしたが、竹内涼真さんともども、かなり真剣にやっていたのも面白く、いい勝負だったのも興味深く、そして彼らが語る自己ナレーションがかなり笑えました。なんだか秘密を知ったような気持ちにもなりましたね。

「青のSP―学校内警察・嶋田隆平―」

早くも6回が終了してしまいました。時々内容的にツッコミを入れたくなる部分はありますが(舞台が学校なんで)、毎回楽しみながら何か考えさせられています。と言っても、難しい事はちょっと置いておいて、アクションなんかも楽しんでいます。特に前回のいじめの回のアクション、見ごたえがありましたね。

今回の#6は、ちょっと最後に問題がすり替わっていたようにも思うのですが、個人的制裁よりも更に大きい問題に踏み込んだと言う事なのですね。しかしあのいじめ教師たちには、いつか何かしらの罰が与えられて欲しいものですね。

「てにあまる」は太っ腹wowowで、舞台が公開中だったのに、放送して頂きました。ところが、何せ舞台を家で真剣に見るには、それなりの時間確保が必要なのですが、今、「今日見よう。」と思うと、夫殿が帰ってくるので、いまだに未見です。まさに「先の楽しみ」になっています。

「太陽は動かない」

いよいよ3月5日に公開ですね。夫も「それまで見たい映画がない。」と言っているので、たぶん見たいのでしょう。一緒に行ってあげようっと^^

「渦が森団地の眠れない子たち」

なんと4月2日から全国の劇場で公開されます。

一応、舞台視聴はしています。その感想は→「渦が森団地の眠れない子たち」を観てまいりました。

そしてwowowで放送してくれたものを録画してあります。

だけど大画面でもう一回見てみたいかも。

その情報は→こちらから。全国21劇場の情報があります。

☆そして新作のお芝居情報が来ましたね。

「終わりよければすべてよし」

5月21日から29日まで。

「彩の国さいたま劇術劇場」。ぜひ行きたいと思います !!

一応、ホリポロさんのチケット情報は→ここです。

「藤原竜也のラジオ」

時々聴いてます。既に109回。さらに続いて欲しいですね^^

 

と言うわけで、皆さま、今日も一日元気で楽しく過ごせたら幸せですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青天を衝け 第1回「栄一、目覚める」

2021-02-15 16:33:35 | ドラマ (大河)

いまだ「麒麟がくる」の余韻を引きずっているのに、間も開けず、次の大河が始まるのは結構きついなと思っていましたが、最初に徳川家康が出て来て、なにげに嬉しくなりましたね。

家康が自慢げに260年続いたと言った時、彼の背後に思わず光秀の影を探してしまった私です。

「麒麟は来ましたね。」と彼に言いたくなってしまった人は、その日多数いたと思いました。

さて新しいドラマの感想ですが、その前に、ワタクシは近い将来に、この人に袖にされながらも恋い焦がれていくのではと言う予感はするのですが、今の時点で渋沢栄一と言う人をあまりと言うか、まったく知らないでいました。

夫なども「誰じゃ、それ。」とか言っていたのですが、私は知らないで大河を見るのも面白いかもと思ってそのまま。それにどうせ始まればカチャカチャと気になった事を検索するに決まっているからです。

ところがopが始まると、夫殿がいきなり

「この人は・・・・」と始まって、彼の業績をいっきに語りはじめ(何やら先日から熱心に読んでいたと思ったら)、そのミニミニ講座で、とうとう私は、たぶん綺麗だったと思われるopの映像がほとんど頭に入りませんでした。

たぶん、このくだりを読んで大笑いしている方もいらっしゃると思います(笑)

まあ、お蔭様で、なんか~、まったく知らない人ではなくなりました !!

今回の主役の吉沢亮さんは、「キングダム」から好きになりました。こんな美しい人がいるのかと思いましたが、なんとその頃朝ドラで毎朝見ていたのですよね。まったく気が付かず。役者さんは役によって、こんなに違うのかとしみじみと思ったものです。

私にとって美しい男、吉沢亮さんには期待しています。

彼があのレベルの人なので、子役もつるんとした可愛らしい子が来ましたね。

豪農のみんなに大事にされ育っている栄一と言う感じがしましたね。

本当に可愛らしくて、父との絡み母との会話にもほのぼのとしたり、しみじみとしたりしました。

しかしあれには驚かされましたね。いきなり蚕たちが立ち上がり栄一の前で踊るシーンです。

私は思わず、地震のせいで途中で視聴が止まったままになってしまった「ヲタクに恋は難しい」を思い出し、頭の中が「昨日の続き」という錯覚に陥りました。

なぜ、そんな事をしたと首を傾げたくなったりもしたのですが、あれは子供目線の、子供から見た世界を表していたのでしょうか。

楽しくて、思わず声をあげて笑ってしまいました。首を傾げつつ、笑う。人間なんて、そんな矛盾を絡んでいると言うものでしょう。

「お蚕様」と様をつけてあがめるような事を言い、実は・・・・・・って、その先は言わないのが花ですね。

 

そして、このドラマのもうひとりの主役、徳川慶喜の草薙さんも楽しみですね。

この人の名前が大河でバーンと名前が載って、感慨深いファンの方々、または応援し続けた方には感慨深いものがあると言うような内容のツイートを見かけました。なるほどと思いました。彼の実力を思えば、途中でのアクシデントで遠回りしたかもしれませんが、いつかは辿り着く道であったと思います。むしろ、どんなに内容が良くても、食わず嫌いの人に「ジャニタレのドラマ」と言われなくて良いのかも知れませんよね。

私はOPはほとんど見ていなかったのに(見ていても目にちゃんと入らなかった)、実は名前がバーンと言う所で、草薙さんとは違う所が印象が深かったのです。それは武田耕雲斎の津田寛治さん。お一人の名前でバーンでしたので、なんか感慨深いものがありました。

高島秋帆は玉木宏だし、要潤、小池徹平、高良健吾も出るし、堤真一に岸谷五朗、大谷亮平、渡辺いっけいと中年の(m(__)m)イケメン集団も好きな人たちばかりです。(突然、敬称略、すみません。)

なんだ、このミーハーブログは !! ←自分の心の声(^_^;)

だけどなんだか、過去にイケメン集めてヒロインがおにぎりを作っている幕末のドラマが、大河クラスタの方々のトラウマになっていて、なにげに同じ香りがすると、心配されている向きがあるのです。

私は、ドラマの舞台になった萩などを訪問したこともあって、あのドラマ前半と終盤は好きでしたね。だけどキャストが良くてもシナリオ次第で、俳優さんが生きたり死んだりするので、俳優さんがキラキラできるシナリオだと良いなと、心からそう思います。

内容の感想をまったく書いていないようですが、今回は人物紹介の回のように感じました。それでもかなり面白く描けていて、あっという間の1時間でした。

とりあえず七郎麻呂は一橋家の養子になり、次期将軍の可能性に一歩近づきました。

そして栄一は、母から

「あんたがうれしいだけじゃなくて、みんながうれしいのが一番なんだで。」という大切な言葉を頂きました。

また、牢獄の中の秋帆と出会い

「このままではこの国は終わる。
誰かが守らなくてはな。この国は。」という彼に、

「俺が守ってやるべぇ。」と可愛らしく言う栄一。

未来の目標が出来ました。

 

※ ここ二年ほど、大河の感想をかなりお休み無しで感想を書いてきましたが、数年前から、大河感想は気まぐれにと言う感じで書こうと思っています。

凄く好きだった「平清盛」なども初回と最終回のみでしたし、「おんな城址直虎」などは一番感激し、涙にくれた回は感想無しでした。

「青天を衝け」の初回は、凄く楽しくて面白かったのですが、何せ「麒麟がくる」で疲れてしまったので、今回の大河感想は、基本はパスする予定です。m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「近未来二番館」の再開のお知らせと1月に見た映画

2021-02-13 21:14:28 | 映画

2007年から映画の感想だけの映画ブログを気まぐれに運営していましたが、いろいろあって、やっていられないなと放置していたら、いつの間にか編集画面に入れなくなっていました。面倒くさいので、更に放置。なんだかんだと2年も空いてしまいました。

数日前、1月の映画のまとめでも書こうかなと思った時、ふとそちらのブログを思い出し、また再開する事にしました。(ちゃんと編集画面にも入れましたし。)

それで1月に見た映画の感想を全部書いたら、もうクタクタ。

いつまで又続くか分からない事ですが、とりあえずやってみようかなと思っています。

以下、タイトルは皆リンクしています。

映画館で見た作品は、

「また、あなたとブッククラブで」を見てきました。」

「さんかく窓の外側は夜」

 

テレビでまたはAmazonprimeで見た作品は、(感想は皆「近未来二番館」に書きました。)

「ペット・セメタリ―(2019)」

仮面病棟

「マザーレス・ブルックリン」

「タクシー運転手~約束は海を越えて」

「二つの『宇宙戦争』」

「野生の呼び声」

「監視者たち」

 

1月に見た映画はこの10作品です。(追記:最初に9作品と書きましたが、後から漏れていたものを思い出し、1作品増えました。)

☆☆☆☆と、星を四つ付けるとすれば、私は「タクシー運転手」と「野生の呼び声」に付けるでしょう。また

☆☆☆★(3,5)を付けるとしたら「さんかく窓の外側は夜」と「マザーレス・ブルックリン」に付けます。

と言うわけで、「近未来二番館」もよろしくお願いいたします。

気の向いた時には、お立ち寄りください。

 

(邦画は2作品、洋画及び韓国映画は8作品でした。)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さんかく窓の外側は夜」

2021-02-11 17:35:35 | 映画

本日2回目の投稿です。ひとつ前の投稿は「相棒19 第15話「薔薇と髭の不運」」です。

1月28日に鑑賞。

昨年暮れに「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」

を見た時に、映画館でいろいろな予告編が流れて、次はこの作品にしようと決めていました。やっぱり予告編は大事ですよね。

だけど公開日から数日たって、映画サイトの星の数の評判を見ると、意外と低くて驚きました。時には、その評価によって行くのを止めようと思う時もありますが、たいがいは見てから自分で決めようと思います。またはその評価に左右されたくないので、公開日初日に近い時に行くことも多いかも知れません。今回は見に行く前に、その評価を見てしまったので、ちょっと気持ちはグラリと来ましたが、私は元々こういう話は好きなのです。

それに主演が岡田将生と志尊淳とくれば、目の保養にも良いと言うものでしょう。(笑)

因みに、今その映画サイトの星の評価は上がっています。

姉妹に、この映画を見て来たと言ったら、どうだったのかと聞かれたので

「原作はBL入ってるらしいよ。とっても面白かったよ。何よりホラーでもあるのに、ひとりでも見に行けるレベルの怖さで、そこも良かったな。しかも最後に息子に霊を見る力があると告白されたお母さんが『×××』と言って、ジーンときたな。」と言いました。

姉妹たちが反応したのは「BL」の部分 !!

と言いましても、映画では描かれていません。

原作を買えと言われましたが、今、貧乏だから買えないと思います(^_^;)

ただこれは映画版の小説はありますね。

ほんの少々のネタバレ感想は画像の下に書くことにして、その前にちょっとテンションが上がったのは、ドラマ版の「太陽は動かない」でも出て来たロケ地が、この映画にも出てきたことなんです。

宇都宮に行った時に、気になって通りすがりに写した場所。廃墟っぷりが素晴らしくて、いろいろと使われているみたいですね。

最初の頃、星の数が少なかったのは、ホラー部分の映像がイマイチだったからかも知れないと思いました。後は除霊エピソードが少なくいのもその理由の一つではないかと思いました。

私的には続編希望ですね。

 

 

以下はネタバレしています。

 

呪いで人を殺しても、それの罪を問えません。そうすると、この物語では皆大量殺人をしていても、誰も捕まる事もなく、せいぜいあの教祖ですら、執行妨害程度なのかとモヤリました。

冷川(岡田)の力は半端なく、実は大量殺人の理由は彼が作ってしまったと言う秘密があったわけですが、それを利用としたただの凡庸な男の方が、実は怖い存在だったと言うわけですね。

また信じないと言う力を発揮する半澤に滝藤賢一。あの状況で「信じない」と言う力が発揮できるのはただものではないと、私は思います。

ホラー映画のお約束と言うか、次に続くような雰囲気を醸し出す・・・・。

非浦(平手友梨奈)は呪い返しにあってしまったみたいなのですが、どうなるのでしょうか。だけど彼女は、分かっていて多くの人を殺してきたので、スルーと言うのもどうなのかしらと思っていたので、仕方がない部分なのでしょうか。

そう言えば北川景子が、驚くようなチョイ役で出ています。なんでこんなに働くのだと、ちょっとそこにも気を取られてしまったのでした。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒19 第15話「薔薇と髭の不運」

2021-02-11 10:19:17 | ドラマ(相棒)

2月10日は「相棒」がお休みでしたね。

私、ちょっとそれさえも知らなかったんです。ずっと「相棒」の感想を書いてきた者なので、それはそれで、「ちょっとな」と思いました。同じように自分が贔屓にしている俳優さんの事も、書いて応援と言う事も(「食べて応援」みたいですね^^)最近は全くしていないし、あちらこちらに気持ちが飛んで(別な言い方で言うと、「気もそぞろ」と言うか)、いろいろと「ちょっとな」と言う感じです。

 

それはともかく、「相棒」がないのかと思ったら、今晩はつまらないなとは思ったのですが、先週の感想が書いてなかったので「ちょうど良かった」などとも思ってしまいました。

と言うわけで、先週の「薔薇と髭の不運」の感想です。

またもヒロコママ登場。

しかもヒロコママのヒロコママ度が格段と上がっていたように感じました。(なんのこっちゃ。)

前回のヒロコママが出てきたのは、「相棒18 第18話「薔薇と髭との間に」」

ライターさんは今回と同じで児玉頼子さんでした。だいたい、個性的なキャラは生み出した人が続けて書いているような気がします。ダークサイドの人たちですが、南井にしても遠峯小夜子にしても。だけどこのヒロコママを生み出した人は、岩下悠子さん(シーズン6「マリリンを探せ」)だったのですよね。ここ数年、もう「相棒」は卒業しているのかなと思っているのですが、何を書いているのかと思ったら「科捜研の女」の方で書いていた事も分かりました。思わず、「あの人は今」をやっているみたいですが、はっきり言って、こんな事ばっかりやってるので、感想を書こうと思っても、なかなか書き終わらないんです。

ただ、こういうキャラの引継ぎみたいなのって、企画会議で誰かが言うのかなとか、後テレビ前で自分が生み出したキャラが独り歩きして羽ばたいているのを見て、ライターさんはどう思うのかなと思ってみたり・・・・・・・。

ちっとも本編の感想に行かなかったりするわけですが、あと一つだけ、言いたい事が・・・・・。

このヒロコママ、なんか友だちにそっくりで !

昔は思った事が無かったのですが、今回の彼女(彼)は、本当にそっくり。それで「このママ、あの人に似ていると思わない ?」と言うと「本当だね。なんか似てるな。」と夫殿を巻き込んでしまいました^^

だからなんかヒロコママのいちいちの動きがおかしくて、ずっとニヤニヤしてました。だけどだからなのか、彼女(彼)が、真実が分かって涙にくれているシーンで、思わずもらい泣きしそうに・・・・・・って、それは嘘ですが、凄くしみじみとしてしまったのは本当です。ヒロコは本当にマルロの事を応援し、ずっと好きでいたのですよね。

「変えられないものもいろいろあるけれど、自分の生き方だけは変えられる。」

だけどマルロは速見を追いかけて探りを入れるために、彼女の店に来ていたので、その言葉に耳を貸す余裕はなかったのでしたね。

このマルロと言う人はよほど運がない人だと思うのです。あそこでクズ速水が目を覚まさなければ窃盗犯で済んだものを。速水に「クズ」と言う冠を付けたのは、本当にクズと思うような男だったからです。目の前の人の、これまでの人生を全否定するかのようなさげすみ方は許せませんよね。(それに今流行りで、私もいつか利用したいなと思っている、お食事の宅配の人たちに対して、失礼なお話になっていないかと、ちょっと心配してしまいましたよ。)

だからと言って殺しちゃダメなんですよね。何とはなしにクズばかりが出ていた回のような気がします。その中での出雲とヒロコの会話はホッと出来るものがありました。

「無駄にイケメン」とヒロコに言われている冠城の「刑事部長に相談する」で事件の情報を聞き出すのも面白く感じましたし、イタミンが「顔怖い~、よくそんな怖い顔が出来るわね。私、出来ない。」とヒロコに言われているのも、おかしかったです。

「ビーカン」とは裏帳簿。勉強になりましたね。

だけどやはり最後の黄色いバラの花を、出雲に届けに来たヒロコは可愛いなと思いました。やはりあの薔薇は出雲に届けて欲しいですね。

黄色いバラの花ことばは「友情」、そして「嫉妬」だそうです。

アリバイ崩しなど、けっこう面白かったです。

だけど聞いた話では、ゲイバーのママは女性にも優しいらしいですよ。

あんな風に露骨に「オカチメンコ」なんて言わないと思うのですが、そこはゲイバーのママさんたちに聞いてみたい所です。それに考えてみたら、関係のない話ですがここは他のゲイのホステスさんのいないバーなんですね。綺麗なゲイのホステスさん、入れて欲しいです。

そしてまたヒロコママには出てもらいたいです。

(今日は家に引きこもっている予定です。それで、複数更新したいと持っているのですが、そう言っていつも2個ぐらいで終わってしまう事が多いのですが、どうかしら。)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる 最終回「本能寺の変」

2021-02-08 02:13:01 | ドラマ (大河)

朝、顔を洗っていた時、ふと

「ああ、今日、『麒麟がくる』の最終回だな。」と思いました。するとなんだかドキドキとしました。

ワクワクと言うよりも、やっぱりドキドキ。

だって終わってしまうのですよ。

一緒に大変な時間を過ごしてきた、仲間のようなドラマが。

動悸もすると言うものでしょう。

内容がどうのとか言うよりも、もうその別れが寂しいのです。

これが噂の「ロス」と言うものなのかも知れませんね。

 

まるで「指輪物語」のホビット庄のような、なんだか美し過ぎて現実味の無かった明智の庄が、初回に映し出され、紛れ込んできた菊丸とそして京で助けた駒と三人で、じゃれたような会話をしていた、その昔。

未来には、それぞれの道があのようにあったとは。

短いようで人生は長いなと、思いました。

 

と言うわけで、最終回の感想です。

けっきょく、この物語は信長と光秀の愛の物語だったのだなと、私は思ってしまいました。

本能寺のあの場所で、傍にいるけれどその姿が見えない場所で、信長が滅んでいくのをじっと待っている光秀。いったいどんな気持ちでいたことでしょう。

信長は本能寺を見つめながら、自分と信長の過去をじっと反芻していました。

出会った時、桶狭間の戦いから勝って戻って来た時、「大きな国」の夢を二人で笑いながら語り合った時。

「どうしてそうなった。」とよく信長は言いましたが、私は本能寺でもこのセリフが出てしまうのではないかと予想などしていました。

ところがとんでもない事でした。

この信長はそんな男ではなかったのでしたね。

まったく恥ずかしい限りです。

「十兵衛か。十兵衛ならば、是非もなし。」

今までで、この「是非もなし」に一番説得力のようなものを感じました。

(いつもセリフは曖昧なのですが、今回は後で録画でセリフチェックしておきますね。)

この時の染谷信長、素晴らしかったですね。

このキャスティングに、私は拍手を送りたくなりました。

 

その後

「光秀は天下を取りました。」とナレが入った時、思わず私は夫殿に言いました。

「光秀の天海説あるじゃん。私、それを支持したい。これもそっちでやって貰いたい。」

「それは無理じゃん。」と、夫。

だけど、私、その時誰々はと言うナレが入った時、家康は次の何々の為に三河に戻ったと言ったじゃないですか。「何々」の部分は、「準備」だったか「行動」だったか何か。

光秀の想いを受け取った家康だったわけですから、もしかしたらみたいな気持ちになってしまったのです。それはまさしく願望と言うやつですね。

ナレで

「予想外に早く戻った秀吉と戦い、光秀は負けた。」と、凄くクールな言葉が続きました。

だけどそのクールさが、かえって凄く良かったのです。そうだ、ただ戦に負けただけなんだ。惨めに討たれたわけではないのだと思えたからです。

ところがテロップに、「三年後」と出た時、夫婦で思わず「あれっ?」ってなりました。

「あっ、もしかしたら、ママが言っていた説 ?」と夫。

 

都ではみんな起きた事など、何もなかったかのような、そしてかつてあった事は、みな他人事みたいな顔をして世間話をしていました。帝も東庵も。

駒は義昭の元を訪れて、光秀生存説を語ります。

「また会おうぞ。」と言って二人は別れますが、私はこの物語の前半を見ていた頃、最終回でこんな風に、光秀の事を語り合うのは、駒と菊丸とでなのかと思っていたのです。まさかまさかの展開です。

あの駒が将軍と光秀の話をするなんて。

駒はもう、大名たちのお茶会に顔を出す女実業家なのですものね。

菊丸だって、今頃は光秀の傍で仕えているかもしれません。って、私の中では光秀生存説が絶対と思いたい気持ちになっていました。

 

それから駒は街中で光秀を見かけ追いかけて行きます。必死になって追いかけて行き誰もいない街外れに来てしまいます。だけど駒は何かを確信したように、ひとり頷くのでした。

私もあの本能寺から帰る時に、伊呂波太夫を通して光秀が駒に約束した「麒麟を呼ぶ。」は、信長を倒し天下を取ったからではなかったのだと思いました。

だけどやっぱり、それは願望 ?

そうじゃないと私は思いました。なぜなら最後に馬に乗って駆け抜けていく光秀は、駒が見た服装だったから。そんな根拠かと言う所ですが、ラストはみんなの想いのイメージではなく、本当に生存説で、このドラマは締めくくったのだと思いたいです。

私たちが知っている光秀の最後のイメージって、雨の中、竹藪のような場所で、名もなき足軽に横腹を刺され、惨めに馬から落ち、無念の思いの中で絶命するみたいなものではなかったですか。でもそれだって、主君殺しの光秀に相応しい物語を誰かが作ったのではないかと思うのです。

確かにあまり無い終わり方かもしれませんが、私は「ああ、良かったナぁ。」と心からそう思いました。

2020年と2021年の今まで、スタッフの皆様とキャストの皆様、ありがとうございました。本当に、日曜日が来るのが楽しみでした。

そして、今までこのブログの感想を読み続けてくださった皆様、ありがとうございました。感謝いたします。

 

いつか思い出すのでしょうか。コロナで大変だった時、麒麟がいたねって。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画版「ENDLESS SHOCK」を見てきました。

2021-02-06 01:27:35 | 観劇・コンサート日記

あれはいつだったのか、もう数年も前だったと思いますが、「ENDLESS SHOCK」のチケットを申し込んだことがあったのです。箸にも棒にも引っかかりませんでした。また来年もチャレンジしようと思ったのですが、この舞台は、「もっともチケット入手が困難な舞台」とも言われていて、チケット狂想曲を奏でる事に疲れていた私は、たった一回のチャレンジで諦めてしまったのでした。

それが映画館で見る事が出来ると分かったのが、2月1日からの公開なのに、ギリギリの1月31日でした。

手帳を開いて、この日しかないと2月4日にイソイソと行く事にしました。

Show must go on (ショー・マスト・ゴー・オン=何があってもshowを続けなければいけない)」をテーマに、ニューヨークのオフ・ブロードウェイでショーに出演する若者たちが、ブロードウェイでの成功を夢見て挫折を乗り越え羽ばたく姿を描いた作品。」

ウィキペディアより。

そのウィキ様の説明を読んでみると、この舞台は、まさにこのテーマそのものの舞台なのだと感じてしまったのでした。

劇場施設の故障があったり、事故によりけが人が出た事もあったり、2011年の震災の時には、やむなく休演にしないわけにはいかなかったりと、大変な20年だったのだと分かりました。

そして今は、コロナ禍。

堂本光一さんは凄い人なんだなと、しみじみと思いました。私の頭の中ではいつまでたっても、美しい銀狼のまま(分かります?)。だけど彼は、この物語の中の「コウイチ」の如く、溢れる才能と舞台愛で、完璧に近い舞台を作り続ける人だったのだなと、新たに認識させていただきました。

確かに昔、この舞台に興味を持ったのは、階段落ちとか空中浮遊とか、そのような派手な演出に惹かれたのは確かです。だけど本当に「見たいな」と思ったのは、この舞台に密着したドキュメントを見たからなんです。

ああ、そう言えば・・・・と、検索しました。

今の時代って、本当に便利ですよね。昔だったら、自分の記憶とか記録しか頼りにできなかったのに、今は調べたらわかるのですから。

それは・・・・。

つまり、それは2012年のドキュメントだったのかしら。

その中で、スタッフに支えられて楽屋に引きずられるように戻る彼の姿が映されていて驚きました。

「命を削るように」と森光子さんが言ったとか。まさにそんな感じ。

ジーンとしました。

 

あっ、待てよ・・・・と、またここまで書いて、考える私。2012年の前後なら、何処かに感想とか書いていないかなと、自分のブログ検索してみました。

ブログにはなかったのですが、ツイッターのログの方にありました。

ところが !!

「『堂本光一 すべてはステージのために~究極のエンターテインメント「SHOCK」~』再放送なう。 #nhk

「「堂本光一 すべてはステージのために」は見ごたえあったな。最後にテレビに向って拍手しそうになったよ。 #nhk

「私の中では藤原竜也と堂本光一には共通点があって、彼も凄く好きな人なのだ。銀狼の時から凄く好き。」

タイトルが違う ?

いいえ、タイトルどころではなく、日付が違っていました。私が見て、そしてツイッターに書き込んだのは、2010年11月6日(土)。(^_^;)(^_^;)(^_^;)

だけど上に張ったDVDのレビューにも、私が感じたようなことが書き込まれていたので、見たものとは違っていても、そのままにしておきますね。

つまり彼はずっと同じ姿勢を貫いていると言う事なのですね。

しかし、『私の中では藤原竜也と堂本光一には共通点があって、』って、それは何~ ?

思わず過去の私に問いかけてしまった私。たぶんそれは仕事に対しての姿勢かも知れませんね。

 

彼の想いが、舞台全体に貫かれているように感じました。ストーリーに関係なく、最後に思わず涙が滲みました。

あの階段落ちのシーンを、彼はずっとやり続けて来たのかと思うと、それはそれで凄いなと思いますが、私的にはあの空中浮遊に心打たれました。あまりにも美しくて、そして天使のように自由自在。本当に飛んでいるようで、夢に出て来てくれないかなと思うくらいでした。

でも一番魅入ってしまったのは、やはりダンスかも知れません。

もうこれでもかと言うくらいのサービスの良さ。

この舞台のオファーが来たら、役者さんは嬉しいと思いますが、それだけでは務まらないなと思いました。何せ要求されることが多数ですよね。歌って踊れて、それも半端の無い数をです。特に幼馴染役の人などはコウイチと同じく、大太鼓を打ててパーカッションをセッションして、ダンスも和も洋もですからね。そして殺陣もやり、お芝居の部分も、愛しながら憎むと言う、かなり複雑な心情を吐露して行かねばならず、又シェークスピアのセリフも覚え演じると・・・・・。

これって、お芝居の中のコウイチと同じく、堂本光一さんがアイデアを出しみんなを引っ張って行っているのではないかと思います。何せ、脚本・演出とも彼がやっているのですから。

その幼馴染役を上田竜也さんが演じていますが、とっても良かったです。

この映画を見に行った後、友人と会ったのですが、そこでこれを見て来たと言ったら、

「ジャニーズ、チェックしてなかったからなぁ、知らなかったわ。」と言われました。

いや、私だって「ジャニーズ」をチェックした事なんかないですよ。

ドラマを見て、そこに出てきた人の名前を覚えるくらいで、誰がどのグループの人なのか全く知りませんし。

しかし、こんないろいろと記録を塗り替えている舞台でも、ジャニーズの舞台と言われてしまうものなのかと、ちょっとだけ思ってしまいました。

だけどまあ、上田竜也さんってどんな人なのかと検索して、彼がKAT-TUNのメンバーである事は、しっかりと覚えました。ついでながら、そこからいろいろとネットの波に乗り、いろいろと検索してしまいました。

昨日より、かなりジャニーズに詳しくなった私です (笑)。

 

それはさておき、映画の終わりに光一さんの挨拶があって、

「エンドレス・ショックは舞台です。いつか機会があったら、是非舞台でご覧ください。」と言っていたので、いつかまた生の舞台を見たいものだと強く思ったのでした。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「落ち込こむくらいなら掃除しろ!」

2021-02-04 01:55:59 | 1年の目標とまとめ・遣りたい事リスト

子供の頃から、1年の終わりには、「今年のマイ十大ニュース」とか書き出し、一年のまとめをし、そしてだいたい来年の目当てを決めていたような気がします。その目標と言うか目当てと言うのは、あまり具体性もなく大したこともなかったような気がするのですが、よく考えてみると、今もほとんど変わらないような気がします。(ある意味、情けないなぁ)

そんな習慣もあって、ブロガーの多くの皆様と同じように、このブログにても一年の終わりに一年のまとめなどを書くことも多かったと思います。そして、又翌年に1月には同じように目標などを書き込んでいました。と言いましても、私の場合は、ブログに書き込むのは、自分の野心(あるならば)に食い込んだ部分は、やんわりとぼやけた事だけ載せ、後は愉しみな遊びの計画が主になっていると思います。

だけど新年の1月には、それどころでなく書けない事もあり、そういう時は新年度の4月、また節分の本当の意味を知ってから、だいたいその頃に、新しい一年を踏み出すと言う意味で、一年の目標または目当てなどを決めてきました。

ところが昨年の分が見つかりません。どうしたのかと思っていたら、手帳に書きこんでいました。

なんたってコロナ禍の今、何も具体的には書けない事なのかも知れません。

しかも手帳に書きこんだことを読み返してみると、恥ずかしくてブログには公開できないものが多数。やはり公開しないと思うと、堂々と本音で書くのだなと思いました。

遣りたい事リストは、こんな時代だからこそ、具体性を欠いてしまいますが、大まかなテーマは決めてありました。

「攻めていく」。

これは何かを責めて攻略していくと言うわけではなくて、いつもやっている事の比重変化をさせようと思っていると言う事を、短い言葉でまとめたものなんです。

あくまでも私の感覚ですが、友人に話すと意外と同じ感覚なのだと感じました。

つまり映画やドラマや絵画を「見る」と言うのは受動の脳を使っているような気がするのです。それに反して「読む」「書く」もしくは「描く」は能動の脳によるものだと思うのです。

ただこれは、違うのではと思われたかもしれませんね。なぜなら、受験期の頃、「読む」は受動と言われていました。能動の行為と言うのは、「暗記」「思考」ですよね。

だけど安定した読書習慣を手放してしまった者にとっては、なかなかそうは言えない事なのです。

後はこのテーマに沿って、目標を立てれば良いので簡単だと思います。

 

なんだか考え事などをしていたら、またも深夜になってしまったので、書ける範疇のものでも具体的リストなどは、次の機会にと言う事にします。

 

ところで私、最近わずかばかりの時間のバイトも、行けば楽しくて自分には凄くあっていると思うのですが、なんだか時々億劫だなと怠け心がムクムクとする時があったのです。

そんな事を思っていた所に2月のシフト表が来たのですが、眩暈がしました。これはとても「お仕事をしています。」と言うには憚れる時間数しかないのです。

またもう一つ、月に一度か二度ある、学校での補助のお仕事は、このコロナで長くお休みになっていました。1月は公にお休みでも12月は自主的に休んでいました。コロナの事を思っての事でしが、ちょっとある事に失望して、これ以上それらを見ていたら、きっと彼らに対して批判する側に回ってしまうかもしれず、潮時かもと思い始めていました。ところが、自分で辞めなくても、来年度からその仕事はなくなってしまう事が分かったのです。

天邪鬼と言えば、その通りのような気もしますが、なんだか私、少々落ち込むような気持ちになりました。しかし凄く曖昧な言葉ですね。「落ち込むような気持ち」って。実際には落ち込んでなかったものですから。落ち込む一歩手前と言うか。

いやいや、本当に落ち込みそうになったのです。

だって「出口はこちら」ってな感じがするじゃないですか。

もうリタイアした人って言う感じもするじゃないですか。

友だちは「死ぬまで働く。」なんて事を言うのですよ。

私は死ぬまで働こうなんて思ったことはなかったのですが、なんたってずっと働いて来たので、「仕事を辞める」と言う自分がよく分からないのですね。今は完全にお仕事がなくなったわけではないのですが、はっきり言って戸惑います。心も暗くなりそうです。

 

でも!!

こういう時には「掃除!!」ですね。

「ね」と言って、なんだか強引ですが、経験のある方多数だと思います。壁にぶつかった時には掃除。霧の中に迷い込んだような時には掃除。淀んだエネルギーが放出されて、すっきりするから良いのかも知れませんね。

と言うわけで、二つ目のテーマは

「落ち込むくらいなら掃除しろ!」に決まりました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる 第四十三回「闇に光る樹」

2021-02-02 00:46:24 | ドラマ (大河)

どくろの杯は出てこなかったのに、首の塩漬けは出てきてしまいました。

 

光秀は信長にてんこ盛りで言いたい事があったはず。だけどそれを立場的に仕方がなく、飲み込んだのだと思います。波多野兄弟に、命の安堵する旨はお願いしてあるので安心して安土へ旅立たれよと、光秀は笑顔で送り出し感謝もされていたと言うのに、「生きたまま、よく送り届けた。」と言うようなことを言われてしまっては、人としての面目も丸つぶれだと思います。この波多野秀治については→こちらにて

ただ首の塩漬けは、信長の善意。丹波攻略は本当に苦労したのですね。だから磔にしたのち、首をとっても、ちゃんと苦労した者たちに見せてあげようと思っていたのです。その前の光秀の言葉を知らなければ、その時代の慣習と私たちも思うはずです。

どうして光秀の言葉は信長に届かないのでしょうか。

信長は丹波を攻略した光秀たちをよくやったと褒めて、機嫌良さそうでした。

褒められるのが大好きな信長は、褒めてあげれば人が喜ぶと思っているかのようでした。

だから光秀にも官位を貰ってあげると嬉しそうに言いました。

そのようなものを貰うような者ではないと光秀が言い、その辞退する理由に信長も右大臣の役職を辞退したではないかと更に言うと、信長はきまり悪そうに帝からもらったものだからだと言うのでした。

東宮が帝になった後に貰うのなら辞退はしない・・・。

光秀もそれを東宮が譲位された後に貰えば良いと、さらに天皇の譲位、又東宮の二条への移動などに介入する胸を強く言い、その任を光秀に任せるのでした。

しぶしぶと藤孝と共に、東宮に二条にお移りになる事をお願いに行くのでしたが、東宮に

「二条の庭で蹴鞠を蹴り続けろと言うのか。」と、あんなに信長を慕っていたのに、彼も何やら違う口ぶりになっていました。

「信長はせわしないおのこよの」とかすかに笑いながらも、もう彼は単なる無邪気な少年ではなくなっていたと言う事なのかも知れません。

これはやはり、違う、間違えていると、光秀は思い信長に進言しようとしますが、藤孝に必死に止められて思いとどまるのでした。

 

このドラマでは、なんだかヒールな雰囲気の秀吉でしたが、今回はちょっと違う描かれ方をしていたなと思いました。

毛利攻めが進まない事を責められて、京で女漁りなどしている場合ではないと、信長に言われると、「すべてバレテおる。」と笑って躱(かわ)し、それでも「近頃の殿は、何か焦っておられるようじゃ。」と藤孝に気持ちを伝えるのでした。

秀吉はじっと見ている、流れを。

 

今回のハイライトは、なんといっても帰蝶との再会だと思うのです。

帰蝶に今の信長と自分の進むべき道を相談したかった・・・・・・。

なぜなら帰蝶は、今は居ない道三と通じる道であったから。

と、言うよりも、帰蝶自体が道三譲りの覚めた目で物事を見、冷めた頭で物事を決断できる人だったからなのでしょう。

その前に駒に語られた、光秀の闇に光る樹を切り倒している男の悪夢の話と言い、なんだか今年の大河は格調が高いなぁと、私は感じてしまいました。

なんだか帰蝶のセリフと言い、大木を切り倒している光秀の映像と言い、私は惚れ惚れとして魅入ってしまいました。

天の月まで届くような大木を上っている男がいる。その上っている男は信長様である。月に行った者はみな帰らない。それを止めたくて、男(自分)は木を切っている。だけどその木を切り倒せば、男は落ちて死ぬのだ。分かっているのに木を切っている・・・・・。

なんか胸に迫ってくるものを感じました。

ところがこの時とんでもない事ですが、なんだかこの前の「相棒」の「死神はまだか」と同じだなと、私はちょっと思ってしまったのでした。愛する師匠の名誉を守るために弟子一同で殺してしまったお話。

光秀は本当に信長の事を大切に思っているのだろうなー。

だけど片方のお話には受け入られないものを感じ、片方には胸に迫るものを感じたと言うのはなぜなのか・・・。

それは片方には、胸を貫くような「美」と言うものがあるからかも知れないと、私は感じました。

 

また人は、自分の人生の砂時計の残りの砂の量を、密かに五感で感じるものなのでしょうか。信長の焦りとは何なのか。

帰蝶が語る、バタバタとしていた父と兄と言う言葉。

ジタバタだったかしら。

来週最終回は、絶対に録画して二回は見ようと思います。

だけど今回は記憶の中に残った事だけで、感想を書いているので、細かい所が間違えていても許してください。

 

「父、道三だったら毒を盛る。」

この時脳裏に、道三が歌を歌いながらあの娘婿に毒を盛ったシーンが思い起こされませんでしたか。あのシーンは、凄く丁寧で恐ろしかったけれど、ゆえにこんな所で説得力が出てきました。

そう言った帰蝶の瞳はキラキラと涙で濡れていました。帰蝶にとって信長はかけがえのない人なのですから。

今の信長を作ったのは、道三と光秀だと帰蝶は言いました。

なぜ帰蝶は、父と私と光秀だと言わなかったのか。それは信長に嫁がせたのが道三だったからです。いわば道三と帰蝶は同じという事だと思います。実際に具体的に信長を助け支えてきたのは帰蝶でしたから。

「夕方になるとすべてがぼんやりとしか見えぬ。バタバタとはしたくないものだが、そうもいかぬかもしれぬ。」・・・・・のような事を言っていたと思うのです。

(本当はこのセリフ、いつも不正確なのですが、特に自信がありません。「そうはいかない」は私が付け加えちゃった?)

一番煌めいた時を過ぎて、人は静かに退場していきたいもの。だけど最後まで足掻きながら生きていくのは、美しくはないかも知れませんが決して悪い事ではないと思うのです。

帰蝶の大きな瞳から、美しい涙がこぼれたことが印象的でしたね。

 

そしてもう一つのハイライトは、武田に勝って、家康を持て成す饗応のシーン。

長くなってしまったので、簡単に書きますね。

国の美しい治め方を習う家康。短い期間でありましたが、光秀は丹波の国をよく治めたようですね。紀行も含めて見て、やはり福知山城などに行ってみたいと思いました。

信長を信用しきれていない家康は、饗応役を光秀に頼みます。二人の仲の良さを見て、明らかに妬んでいるようにしか見えなかった信長でしたね。

言いがかりを付けて(二の膳も一遍に出せとか何チャラ)、一同の前で手を出す信長。この回から唐突に森蘭丸が登場しました。蘭丸は居ないなと思っていたので、それはそれで嬉しかったのですが、嫌な感じの役で、なんか気の毒。しかもその饗応シーンで、光秀に漫画のようにポイッと投げ飛ばされてしまいます。一瞬のシーンだったのですが、あまり無いようなシーンだったので、その後の信長と光秀の鬼の形相シーンが凄まじくて凄かったのですが、私の脳内では、そのポイッとシーンが繰り返され、ちょっと笑ってしまいました。

唐突と言えば、次週の最終回になんと黒田官兵衛(濱田岳)が出るのですね。

たった一回の濱田岳・・・・・ああ、なんか勿体ないような気がします。

と、内容がだんだんと軽くなってきたので、最後に「@kurukurufine」さんのツイートから知り得たことを。

meijiが出している中づり広告。「受験生に聞きました。一番好きな語呂合わせは。」でね、

「いちごパンツで本能寺」

これ凄い !!

1582年、ついに次週は本能寺 !!

楽しみだけど、早くも寂しい~!!!

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする