本日9/19の朝日新聞の天声人語。
***転載***(赤字や下線は、小坂が重要と思う箇所につけた。)
会社の中や仲間内で「あの人は政治的だ」と言う場合、それはまず、ほめ言葉ではない。駆け引きがうまく、色々と立ち回り、損得をてんびんに掛けて……。うっかり信用できないイメージが言葉にこもる▼その言葉の元だけあって、政治はやはり政治的である。自民・公明の両党が、来月3日に衆院を解散し、26日に総選挙を行う日程で合意したそうだ。新政権の支持率が「ご祝儀相場」で浮上するのを頼んで、勝負に出る腹づもりという▼おりしも米国発の金融危機で、日本の経済には暗雲が垂れ込める。せめて補正予算を通してから、という声は巷(ちまた)に多い。早期解散に異存はなくても、新首相の賞味期限ばかり心配されると、「国民はしょせん票か」と情けなくなる▼軍事について、ナポレオンの言ったことを思い出す。〈あらゆるチャンスをよく計算し、次に、偶然というものを、ほとんど数学的に、正確に考慮に入れる〉。それが肝要だと『ナポレオン言行録』(岩波文庫)にある。選挙にも当てはまる言葉だろう▼福田首相は「チャンスを計算」し、きわめて政治的に、政権を投げ出した。だがその後、政権維持のシナリオは「偶然」の波に洗われている。汚染米、金融ショック、さらに昨日は、年金問題が新たな火を噴いた▼いずれも深刻だが、政府・与党内で「正確に考慮」されているのだろうか。国民は冷め、首相のもくろんだ「わくわくするような総裁選」では、もはやない。シナリオを書き直すぐらいの余裕がないと、皮算用の「ご祝儀相場」も怪しくなろう。
****転載終わり****
私が、日々、残念に思うことのひとつ。
この日本という国では、「政治」ということばが、上記コラムにあるように、否定的なニュアンスで捉えられていること。
なぜ、そうなったのか?
日本の政治に、“政治家”が少なく、票を意識した“政治屋”が多いからだろうか。
国民の声を受け止め、期待に応える政治をできないからだろうか。
本日の天声人語の根底にながれる論調は、「今、本当に衆院解散総選挙の時期であるかどうかきちんと見極めろ、せめて補正予算は通すべきであろう」ということがあると思う。
昨日、深い見識でいつもご指導いただいている同じ会派友愛中央の高橋伸治区議(現、区議会副議長)も、補正予算すべきである旨のことをのべていらっしゃった。
私も高橋区議に言われてみて、まさにその通りと思った。
新総理が、どうか判断を誤ることのないように、期待させていただきたい。