日頃お世話になっている弁護士チームに同行し、福島県沿岸部へ。
まず、目に入ったのは、「がんばっぺ いわき」の文字。
5/4 午前9時過ぎいわき市市街地に入ったが、大きく崩れているものは、見かけなかった。
まちゆくひとを見ても普通の生活が繰り広げいる印象をうけた。
現地の弁護士さんのお話によると、さまざまに経済への影響、地域社会の崩壊が生じ、危機感の中で、皆がんばっていらっしゃる。
現段階では、「法的救済のスキーム」はまだ描けないと本音をもらしていらっしゃった。
例えば、
ゴルフ場が停止。そこで働くひとたちの解雇の状況。
飲屋街への出て行く人の減少。タクシー乗車減少。
原発の下請け構造から、一次、二次雇用はまだよいが、三次、四次雇用となると被ばく制限量を超えると下請けが切られてしまうこと。
かつて「常磐もの」といわれる海の幸がとれた漁港は、漁船の被害、港の被害(冷凍施設、加工施設、卸売施設、仲卸施設などインフラ被害)原発による汚染、風評被害により、魚を例えとったとしても売れない状況。
原発近くでは、
30km範囲でもすでに、家や店のシャッターは閉められ、市民は避難し、人がいないように見受けられた。
「J village」が福島原発の前線基地となっていた。その付近の20km地点へ。
20km地点では、立ち入り禁止の掲示。
ガイガーカウンターが指したのは、1.22マイクロシーベルト/時。
その後、福島の沿岸部を茨城県まで南下。
沿岸部からの被害の広がり度合いは差異があるし、地形によっては、被害が少ない沿岸部もあったが、いずれの沿岸部のまちも津波被害が広がっていた。
川に沿った部分は、沿岸部から深くまで被害が入り込んでいた。
それら被災地復興を支援するボランティアを見かけたのは、連休であったがまばらであった。
医療面では、避難所生活で、定期処方薬が切れるが、継続の処方薬の入手にお困りの声を耳にし、アドバイス。
原発問題が終息し、再度ふるさとにもどれるのか、もどれないのか、それによりひとの行動も大きく変わる。
そのことも不確定なむずかしい状況が続く。