被災地に医療支援に入ったときのブログを振り返ります。
第一回 3月19日-3月21日石巻(医師2、薬剤師2)
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/3a1aeded8179de635bdeac3c82d74e61
ブログ『救われた命を、必ず守る。日本全国の開業医の出番だと思います。』
日本医師会から災害医療チーム(JMAT)の形で、石巻市へ派遣され、3月19日から医療活動を行ってきました。
小児科医師2名、薬剤師2名でチームを組んで、被災地の避難所を巡回致しました。
被災地に入るにあたっては、現地とのコーディネートをきちんととってから入ることが重要であると思います。
私たちは、中央区医師会→東京都医師会→日本医師会で、災害医療チームを登録し、石巻市の災害対策本部とつないでいただき、石巻市災害対策本部から、石巻市の河南地区の避難所支援の要請を受け、行動を開始ししました。
被災後約一週間。
避難所に電気が通り、水道がタンクでいきわたり始め、食料物資も届き始め(「朝おにぎり1つ、昼チョコ1こ、夜おにぎり1つ」から脱しつつある時期)、わずかに落ち着きをとり戻してきているところ。
避難所では避難されている方の1/3~1/5の方が医療相談支援をご希望され列をなしました。
こちらとしては、列をつくらぬよう工夫して対応を致しました。
1)事前に問診票記入→問診票:http://www.coe-cnas.jp/pdf/003.pdf
2)問診票提出の順番で受付し、いったん自分の場所に戻っていただく。次の番になると、お呼びし待機いただく。
3)受診後には、避難生活での気を付けるポイントをまとめたものを配布(厚生労働省作成)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014uzs-img/2r98520000014v1g.pdf
また、今から振り返れば、避難者が長期内服薬を処方されている場合、薬剤名・量を紙に各自書いて持参し、医療相談を受ける場合提示するようにしていただくとありがたいと思いました。巡回時内服薬確認に意外と時間がとられました。
<受診の状況>
3/20
K小学校 避難者85名 受診者27名32%
K高校 避難者220名 受診者45名20%
3/21
S小学校 避難者77名 受診者16名21%
H中学校 避難者144名 受診者34名24%
H小学校 避難者191名 受診者19名10%
N中学校 避難者21名 受診者3名14%
Tセンター 避難者100名 受診者23名23%
全合計 避難者838名 受診者167名 20%
ご相談内容は、不眠・ストレス、胃痛、高血圧や糖尿病、高脂血症、心臓血管病等の定期薬入手困難、胃腸炎や咳の風邪、便秘、花粉症、アトピー、外傷処置、家族・家・職場・かかりつけ医院が流された被害関連等(順不同)。
また、以下のような役割もございました。
1)今までの経過で見落とされていた大きな疾患を見つけ、受診への誘導。
例、
津波に流され負傷した手の傷(手の腱が見えるぐらいにえぐれている)を放置しているかたに受診を誘導
2)お話をお伺いすることで、不安の軽減。
3)少しの情報があれば解決があるのに、解決できなかったケースへの対応
例、
どこに耳鼻科があるかわからない。
大きな病院へのアクセスの方法がない→透析患者搬送の車に便乗する手配
4)福祉へつなげるケース
例、
外国人で妊娠中、その夫は津波で流されてしまいどうしてよいかわからない
5)定期内服薬を持参して避難できなかったため、そのまま内服をやめているケース
再度、受診を促し、定期内服することの指導
本人は、自覚がないが、血圧は、異常値を示していることを発見し、受診指導
6)感染症への早めの対応
<必要であった薬剤>
便秘薬、胃薬、不眠に対する薬剤、風邪薬とうがい薬、糖尿病/高血圧などの定期内服薬、花粉症、保湿剤、イソジン消毒液、ウェルパス消毒液、解熱剤、
被災地では、病院や医院が流され、患者が移送されたケースもあります。
幸いにして、被災を免れた医院も、電気、水道が復旧をしていなかったり、薬剤の供給が不足していたりして、十分な医療体制はできていない状況です。
今、被災地の救命救助活動は、新たなフェースに入ってきていると思います。
被災直後は、地震や津波、火事に直接被災し、負傷した方の救命活動。
高度なまた外科的な対応が求められたと思います。
よって、医師も大学病院や大きな病院のチームが、即戦力として医療活動に力を発揮されました。
今は、避難生活が長期化してきて、それにともなっての疾患への対応。
基本的には開業医が、日々外来診療で診ている病気への対応になってきています。
救われた命を必ず守っていくために、日本全国の開業医が、現地対策本部でコーディネートしていただいた被災地に、定期的かつ継続的に入っていき、避難者の医療支援に入る必要があると思います。
私たち、日本全国の開業医の出番です。
コーディネートを受けた被災地に、週末だけでもよいので、定期的に継続的にはいっていくべきと思います。
<今後、避難所の医療面で注意すべきこと>
1)エコノミークラス症候群、転倒
@mainichijpnews 東日本大震災:柔道整復師、高齢者にマッサージや体操指導 http://bit.ly/hSSZo5
上記のような取り組みがなされ始めたということですが、避難されている方は結構座りっぱなしであり、特にご高齢の方は足腰を弱くし転倒やエコノミークラス症候群などいらぬ合併症をおこさぬようにせねばなりません。
2)新生児の早めの個別施設への入所対応
私の回った避難所にも1ヶ月の児が少し鼻水症状あり。気がかかり。
@Asahi_Shakai NPOいわて子育てネットは被災した新生児と母親を受け入れ。期間は1カ月その後は希望者に盛岡市内アパート紹介。(019-652-8636)9~18時。
このような情報を有効活用していただきたい。
3)感染症
咳、下痢のひとが、増えてきていました。
マスクや手洗い、加湿が必要です。
下痢になっても、下痢食など対応できないため、なかなか難しい状況です。
4)こころのケア
医師がゆっくりと医療相談をするだけで楽になる方々が多くいらっしゃいます。たとえ十分な薬を処方できなくても。
@suzutomomi 被災地、ストレスがピークの方も。@kunihiro_o:「災害時こころのケアチーム」発足
5)障がいのある子たちへの対応
集団での生活がなじめない場合もあり、個別対応が求められます。
6)避難所でがんばっているひとの健康管理
避難所では、その運営を切り盛りするために家にも帰らずにがんばっているひとが必ずいらっしゃいます。その方々が、倒れないように健康管理をすることが絶対に必要です。
私たちの場合でも、某H中学校の校長先生、無理しすぎていらっしゃいました。とても心配です。
など。
*****************
第二回3月26日-3月27日石巻(医師3、事務2)
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/200291f502a01b4eecd8f9ba7943c4a0
ブログ『2度目の石巻市 医療支援で感じた課題』
2度目石巻医療支援で感じた現場(被災2週間目)課題。
緊急:
更なる医療支援(例えば、開業医が日曜だけでも現場拠点と連絡をつけた上で入ること⇒ニーズは必ずある)
し尿処理施設復旧
市民の足確保(バス再開)
こころのケア
食(ある程度行き渡り始めているが、十分でない地域の掘り起こしを!)
中期:
子ども達の教育の場確保、
ガソリン充足
雇用の場再建
住の場の再建
長期:
減災を念頭に入れた復興
など
第三回4月3日石巻(医師7、事務2)
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/fa21814a4a02ca3e210bb2563de8594a
『被災約3週後の石巻災害医療支援で感じたこと。』
被災約3週後の石巻医療支援で感じたことを、簡単に書きます。
復興に向けて果てしない道のりですが一歩ずつ着実に進んでいる街の様子を知るこ
とができました。
医療ニーズも刻一刻変化。
今は、
*心のケアと、
*避難所のとくに高齢者のADL(日常生活活動)機能を落とさないケアマネージャーも入れた取り組み、
*専門性を有する医療ニーズへの対応(糖尿病、もともとのリウマチ・整形外科的疾患、皮膚疾患など)
等もまた重要と感じました。
あと、この週末の石巻医療支援で感じたこととして、壊滅状態にあった街の開業医
の医院再開に向けたなんらかの支援が、今後早急にできないものだろうか?というこ
とです。
中核病院で診てきた患者さんがうまく街のいつもの「かかりつけ医」へと移行でき
ていけばよいと思います。
我々開業医がお手伝いできないものだろうかと考える次第です。
もうひとつ、今被災地医療の全体像を再度把握する時期であると思います。
*市レベルで各避難所(拠点避難所・在宅避難所の両方とも)の医療ニーズ把握を保
健師と共に行うこと、
*県・広域レベルで、各市レベルの医療状況把握し、災害医療支援チームの効率的割
振り、抜け落ちた地域がないようにすること、モデルとなる地域の情報共有と実践が
大切であると思います。
石巻でなされていた災害医療は、他地域のモデルになると敬服しています。
取り急ぎのご報告まで。
次回、4/10に災害医療支援に参加予定しております。
以上、
3週間を振り返ってのまとめ
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/0ef7cb5d2d147d4a6602f97601244cfd
ブログ『被災直後、1週後、2週後、3週後の各フェーズで見た災害医療ニーズなどの変化と課題』
被災直後は、開催中の中央区議会予算特別委員会の委員でもあったため、被災地入りはできませんでしたが、1週後、2週後、3週後と石巻への医療支援に継続的に入ってきました。
そこで感じたことを参考までに各フェーズごとに書きます。
医療者の視点から書いており、総合的、網羅的には書いていないことをご了解願います。
こちらでは福島原発事故関連の分析も他稿に譲ります。
0)被災直後(3・11-13)(被災地入りをできていませんので、詳しく述べません。)
段階:72時間の救命のフェーズ
状況:
地元、災害医療チームの被災地入り
首都圏状況:
防災拠点を開き、帰宅困難者の受け入れ
重要課題:
人命救助
72時間以内の救助
疾患面課題:
救命救急
外科疾患
1)被災約1週間(3/14-3/20)
段階:地域中核病院を中心とした医療活動(地域中核病院の野戦病院化)のフェーズ
状況:
余震続く
電気供給一部開始
保健師の地域巡回
大学病院、赤十字病院 災害医療支援チームの被災地入り
首都圏状況:
被災地への救援物資発送
被災地への救援物資受け付け
重要課題:
避難所の把握
社会的弱者への目配り
被災地を切り盛りするため献身的な努力をするかたの健康管理
病院機能の回復
行方不明者の情報共有
疾患面課題:
透析患者対応
定期内服薬のとりあえずのつなぎ
持病の悪化
保健医療福祉面課題:
行政―医師会―中核病院の連携の糸口を探る
医療―看護―薬剤師―歯科医師―栄養士―心のケアー多職種間の連携
被災地と支援する地域との連携の糸口を探る
新生児をもつ家族の受け入れ住宅の確保
インフラ課題:
電気供給の徐々に開始
幹線道路の緊急車両通過
2)被災約2週間(3/21-3/27)
段階:地域中核病院の野戦病院化から脱却し通常病院機能の取り戻しのフェーズ
状況:
避難所を把握し、巡回の機能化
定期薬処方可能へ
草の根支援が入り始める
一部ガス供給開始
首都圏状況:
関東圏で上水道で放射能物質検出
重要課題:
中核病院の野戦病院化からの脱却
深刻な物資不足
食糧不足、たんぱく質
衛生環境の改善
疾患面課題:
感染症の増加
医療ニーズの増大
深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)
医療保険福祉面課題:
継続的医療支援
行政との連携強化
医師会との連携強化
インフラ課題:
道路の開通、橋の開通
深刻なガソリン不足
し尿処理
3)被災約3週間(3/28-4/3)
段階:街の開業医の医院機能復活に向けた取り組みの開始のフェーズ
医療から介護その他、課題の広がりを見せてくるフェーズ
状況:
海側高速道路の開通、海側大橋の開通
米軍らによる被災地片付け
バス運行開始
支援物資としての自転車配給
被災地の衛生環境の改善、
避難生活者の役割分担により機能向上
宅配機能の復活、物流の飛躍的な改善
草の根支援が展開
医師が多く現地入り可能へ
行政からの職員派遣(例、鳥取県から30名の職員)
避難所の集約
首都圏状況:
中央区の防災拠点運営委員会の課題整理
被災地避難民の各都市の受け入れ
重要課題:
個々の開業医機能の復活と患者の中核病院から患者の移行
生活再建支援
医療や情報の行かない地域の拾い上げ、とくに在宅避難所
学校の再開
保険制度上の医療提供の整理
避難所の役割分担、要介護者
避難所の洗い直し
感染症入院場所確保
疾患面課題:
心のケア
介護予防
専門疾患対応(糖尿病、整形外科、皮膚疾患)
保健医療福祉面課題:
避難所の役割分担、機能分担
被災地間の連携、情報交換、
落としのない医療支援
インフラ課題:
物資が行渡りはじめる
一部信号復帰
ガソリン供給改善
交通渋滞の発生
以上、
第四回5月4日-5月5日いわき市、郡山市(医師1、弁護士3)
http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/43b12ce8b28f2136bbe326e9d14420be
ブログ『福島へ 災害医療支援と法的支援』
本来すべきでない時期に、選挙が執り行われました。
それも終わり、ようやくすべきことに本腰を入れることができるようになりました。
日本の復興への支援。
5/4と5に、弁護士3人と医師として私が参加し、4人で福島へ。
5/4に福島県~茨城県沿岸部そして郡山、5/5は郡山のビッグパレットへ。ビッグパレットでは、富岡町の皆様が避難されていました。
このたびの被災地支援で感じたことは、
ひとつには、「この問題の解決の難しさ」の再認識。
地震、津波、原発事故、そして風評被害。
補償するにも、さまざななケースがあります。
地域社会の崩壊へのとりうる処方箋が見つかりません。
放射線被ばくへの処方箋もまだありません。放射線被ばく量のみが一人歩きし、処方箋がなければ、現地が困惑し混乱することになります。
二つ目は、いままでの三度の石巻の災害医療支援でも感じたことでありますが、「政治の大切さ」。
「政治」がしっかり主導しておけば、原発事故がここまで大きくならなかったかもしれません。とても悔やまれます。
私が実際体験した医療現場でも、「政治」がしっかり主導すれば、災害医療支援の現場の医師が、いらぬことに力を削ぐことなく患者さんと向き合えたかもしれないと思います。政治が介入し、行政と現場医師をつなげていただければ、さらなる災害医療支援ができたのではないでしょうか。
例えば、し尿処理トイレの設置やし尿処理施設の復旧問題、避難施設での医療提供場所を「診療所」とするか「救護所」とするかの現場の希望に基づく認定、避難所や在宅避難での医療支援が必要な患者の把握、病院で得られた安否情報と行政の安否情報・行方不明者情報の情報共有、患者への医療提供体制の情報提供、原発事故による放射線被ばくから子ども達を守るための政策などで、政治家が行政と現場をつなげ、迅速な対応を行っていただきたかったと思います。
三つ目は、ボランティアをされている皆様の優しい思い。
だれもが、手弁当で、できる限りのことを、されています。中には、ご自身が被災者であるにも関わらず、ボランティアに献身されている方も多くいらっしゃいます。
プロレスラーも、劇団もできることをと被災地入りをされています。
私の場合、医療現場のボランティアのひとが多いのですが、その方々との交流を通して、彼らの「思い」に接し、多いに共感するとともに、明日への「希望」「勇気」を与えてくれることになりました。
これだけ優しい思いの方が、集っているのであるから、復興を成し遂げた暁には、必ずや日本は、優しい国になっていることでしょう。
被災地支援で、いつも感じることですが、ボランティアの現場で、“心洗われる気持ち”になります。
*********ブログ以上*****
被災から2ヶ月。
医療の支援も、被災地への自立に向けて、撤収もはじめているところもでていると新聞記事で見ました。
***朝日新聞(2011/5/11)****
被災地医療「自立」選ぶ 宮城・南三陸、支援チーム撤収
2011年5月11日15時0分http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105110213.html
津波で中心部が壊滅した宮城県南三陸町の各避難所で診療をしていた応援の医療チームが、13日で活動を終える。震災から2カ月、いまでも町内だけで5千人以上が避難生活を強いられているが、「いつまでも支援に頼れない」と、町はあえて自立の道を選んだ。
「医療については、これまでは夢の状態。いつまでも続かない」
同町医療統括本部の指揮を執る西沢匡史医師(38)は言う。「医療の自立」に向け、3月末にはすでに支援チームの撤退時期を検討していた。
勤務していた公立志津川病院は町唯一の病院だったが、津波にのまれた。当直明けで自宅にいた西沢医師は、聴診器もないまま、近くの避難所に続々と運ばれるけが人の処置に追われた。数日後、全国から続々と医療チームが駆けつけ、イスラエル軍が仮設診療所を建てた。支援のありがたさが身にしみた。
同病院は、イスラエルの仮設診療所を引き継ぎ、4月18日に外来診療を再開。20の支援チームが、各避難所に常駐し、被災者らのケアにあたった。だが、チームはいずれ撤退する。「夢は長く続くほど、覚めたときがつらい」
救急医療は震災から1カ月ほどで落ち着き、薬の供給は安定した。西沢医師は今月1日、避難所診療を段階的に縮小し、13日に撤収することを町民や支援のチームに通知。「自立再生への第一歩」と、町民に理解を求めた。
町内の各避難所と、志津川病院の仮設診療所は、9日から無料バスで結ばれた。避難所の一つ、志津川高校では、神戸市の医療チームが、校舎の一室で診療をしてきた。同校に避難する男性(50)は震災後、たびたび腹痛を患うようになり、診療所を2度訪れた。「近くに病院がないから、いなくなると不安ですね」とこぼす。
医師不足は震災前から深刻だった。町内の医師は、志津川病院に5人、開業医6人の計11人。西沢医師も、当直が月10回以上は当たり前だった。それが、被災した開業医が相次いで再建を断念するなどし、半減した。
今後は、同病院の仮設診療所と残った1医院だけで診療する。入院患者は、6月から隣の登米(とめ)市の「よねやま診療所」のベッドを借りて受け入れる予定だ。
「震災の惨状をみて、この町でやってみようという医師がいるかもしれない」。西沢医師は、町にとどまってくれる医師を求めている。(浅倉拓也)
******記事以上****
被災地の医療面での自立に向けた支援、この視点も入れながら、災害医療支援に取り組んでいければと思います。