「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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S39完成台風の砦 富士山頂の巨大気象レーダー、その技術力と魂が、今の気象庁に生きているのか?SPEEDI

2011-08-29 23:00:00 | 築地を守る、築地市場現在地再整備
9000人が関わって成し遂げた富士山頂の巨大気象レーダー設置の偉業。
昭和38年(1963年)8月1日、富士山頂で地鎮祭が執り行われ、工期は2年で、昭和39年(1964年)に完成。

私は、見ておりませんが、NHKの『プロジェクトX』第1回にも取り上げられたとのこと。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2818/x/1.html

いまは、富士吉田市の記念館に移設保存されています。
http://www.fujiyoshida.net/forms/menugrouptop/menugrouptop.aspx?menugroup_id=139

人工衛星にとって替わられるまでの35年間、800km圏の気象情報をカバーし、まさに台風の砦でありました。
そのプロジェクト総責任者は、気象庁の藤原寛人測器課課長(その後、作家としての故・新田次郎氏、その著『富士山頂』にも詳細記載)

この技術力や魂が今も生きているなら、気象庁は日本の放射能汚染の広がりを一目瞭然にできないものでしょうか。

また、SPEEDIが原発事故当初機能しなかったことの汚名を、当時の気象庁の方々はとてもとても悔しく思っているのではないでしょうか。

もうひとつ言うなら、
レーダードームは、最大風速100mにも耐えることできるようにできていました。
今までの観測で、富士山頂の最大風速は、69mが記録されています。
昭和39年から、余裕度を入れた考え方が採用されていました。


参考ブログ
http://www.tanken.com/fuji.html
毎日新聞http://showa.mainichi.jp/news/1964/09/post-1710.html
地学雑誌http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf111-5/p780-782.pdf#search='富士山頂気象レーダー'
コメント
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