このような黒塗り情報が、最初から開示されて議論されていれば、もともと無茶な話であった豊洲移転に迷走することなく、当初から築地市場の再生で結論が出されたはずです。
情報を出さないことの理由の本質が、わかる事例です。
******朝日新聞(2016.12.01)*****************************
豊洲買いたい、都の説得劇 用地売買交渉、黒塗り部分を開示
2016年12月1日05時00分
東京都の豊洲市場(江東区)の用地購入や土壌汚染対策工事をめぐり、所有者だった東京ガスと都との交渉記録が情報公開請求に対して開示されたことが分かった。これまで大部分が黒塗りだったが、情報公開を進める小池百合子知事の方針で、一部の固有名詞を除いて明らかにされた。都が築地市場(中央区)の豊洲移転にこだわった経緯が具体的に見えてきた。▼1面参照
開示されたのは、1998~2005年と11年の交渉記録など。約140枚の文書で、同社と都の計31回の交渉内容が記録されている。土地売却や追加の土壌汚染対策工事に消極的だった東京ガス側に対し、都が説得を続ける様子が分かる。共産党都議団の請求に都が応じた。
豊洲市場用地をめぐる交渉記録文書は、これまで都議会などで資料要求や情報公開請求がされてきたが、大部分が黒塗りだった。しかし、「移転を決めた石原慎太郎知事時代の責任を調べる」とする小池氏の方針を受けて、都が東京ガス側と協議し、同社側の固有名詞を除いてほぼ開示された。
■渋る東ガス「負担は」 副知事「水面下で」
「土地を売る気はない」。1998年9月21日の記録に東ガス担当者の発言が残されている。当時、都は移転を念頭に豊洲の東ガス所有地を調査。東ガスへの説明なしに進めていたため、都の部長ら2人が本社を訪ね、謝罪していた。
東ガスは当時、所有地での再開発を計画。99年11月には福永正通副知事が訪ね、その後も「豊洲の先端部を含む地域が最適地」と頼み続けた。「先端部」は今、豊洲市場の主な建物が立つ地区だ。東ガスは「先端部は譲れない。東側であれば検討する」と繰り返し、交渉は平行線をたどっていた。
2000年10月4日、石原氏の最側近、浜渦武生副知事が同社を訪ねた。
浜渦氏「無茶(むちゃ)な話とは思うが、1200万都民の台所への協力をお願いする」
東ガス「基本的には協力するが、経営判断できる条件が示されていない。土地価格や開発者負担金を示してほしい」
浜渦氏「そのことは、水面下でやりましょう」
「(秘)」と記された開示記録には、浜渦氏が都職員に対し、「株主に損をさせない仕組みづくり」「『公共事業に協力する』という社是に沿った移転受け入れの格好をとる」などと、東ガスに配慮した決着を指示したと記されている。
この後、東ガスが土壌汚染を公表した翌月の01年2月、浜渦氏と伊藤春野・東ガス副社長名で、移転の諸条件について協議を始める「覚書」を作成。同7月には、都と東ガスで「基本合意」に至った。
■土壌汚染対策の範囲、攻防
03~05年、都と東ガスの11回の交渉記録が残る。土壌汚染対策を巡る激しいやりとりが明らかになった。
都「(東ガス工場の)操業由来の部分は全部処理するとの理解だが違うのか」
東ガス「全部処理するのは難しいと言ってきたし、都もそれで了解しているはずだ。売却時には土壌汚染が残るということだ」
03年4月3日、都庁であった交渉では、汚染除去工事をめぐる認識の食い違いがあらわになった。東ガス側は01年の基本合意に基づき、「都の環境確保条例を満たす対策のみをする」との見解を示した。
東ガスに追加対策を望む都は「汚染土壌を処理しないまま売買すれば、都も東京ガスも社会的責任を将来にわたって言われる」(03年10月30日)と説明した。都は03年12月、除去工事の費用負担を求める東ガス側に「議会での説明がもたない」と返答。その後、汚染除去の箇所数について見直し作業をした。同月、東ガス側が、工場があった地面より2メートル以上深い土壌について「(環境基準の)10倍以下の汚染が残ってもよいか」と尋ねると、都は「東京ガスの判断だ。市場施設建設では、その下は掘り起こす可能性はない」と応じた。
その後、08年に環境基準を大幅に超えるベンゼンが見つかり、都は大規模な汚染対策工事を実施した。
<市場移転の経緯> 老朽化した築地市場(中央区)の移転先に豊洲が浮上したのは、1998年。東京都が東京ガスの工場跡地に目を付けた。当時はまだ、大規模な土壌汚染は知られていなかった。99年に石原慎太郎知事が就任すると移転への動きが加速した。
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http://digital.asahi.com/articles/ASJCZ546PJCZUTIL021.html
豊洲用地、渋る東京ガスを説得 都側「無茶な話だが…」
2016年12月1日05時05分
東京都の豊洲市場(江東区)の用地購入や土壌汚染対策工事をめぐり、所有者だった東京ガスと都との交渉記録が情報公開請求に対して開示されたことが分かった。これまで大部分が黒塗りだったが、情報公開を進める小池百合子知事の方針で、一部の固有名詞を除いて明らかにされた。都が築地市場(中央区)の豊洲移転にこだわった経緯が具体的に見えてきた。
開示されたのは、1998~2005年と11年の交渉記録など。約140枚の文書で、同社と都の計31回の交渉内容が記録されている。土地売却や追加の土壌汚染対策工事に消極的だった東京ガス側に対し、都が説得を続ける様子が分かる。共産党都議団の請求に都が応じた。
豊洲市場用地をめぐる交渉記録文書は、これまで都議会などで資料要求や情報公開請求がされてきたが、大部分が黒塗りだった。しかし、「移転を決めた石原慎太郎知事時代の責任を調べる」とする小池氏の方針を受けて、都が東京ガス側と協議し、同社側の固有名詞を除いてほぼ開示された。まだ非開示の文書もあり、交渉の全容が判明したとは言えない。
豊洲への移転決定の経緯について、当時の知事だった石原氏は小池氏の質問に「(当時の資料を)全て公開し、何が行われたかご覧いただくしかない」などと回答。小池氏は資料の調査を続ける方針を示している。
「土地を売る気はない」。1998年9月21日の記録に東ガス担当者の発言が残されている。当時、都は築地での再整備を中断し、移転を念頭に豊洲の東ガス所有地を調査。東ガスへの説明なしに進めていたため、都の部長ら2人が本社を訪ね、謝罪していた。
東ガスは当時、所有地での再開発を計画していた。99年11月には福永正通副知事が訪ね、その後も「検討の結果、豊洲の先端部を含む地域が最適地」と頼み続けた。「先端部」は今、豊洲市場の主な建物が立つ地区だ。東ガスは「先端部は譲れない。東側であれば検討する」と繰り返し、交渉は平行線をたどっていた。
2000年10月4日、石原氏の最側近、浜渦武生副知事が交渉役になって同社を訪ねた時は、東ガス側の態度に変化があった。
浜渦氏「無茶(むちゃ)な話とは思うが、1200万都民の台所への協力をお願いする」
東ガス「基本的には協力するが、経営判断できる条件が示されていない。土地価格や開発者負担金を示してほしい」
浜渦氏「そのことは、水面下でやりましょう」
「(秘)」と記された開示記録には、浜渦氏が都職員に対し、「株主に損をさせない仕組みづくり」「『公共事業に協力する』という社是に沿った移転受け入れの格好をとる」などと、東ガスに配慮した決着を指示したと記されている。
この後、東ガスが土壌汚染を公表した翌月の01年2月、浜渦氏と伊藤春野・東ガス副社長名で、移転の諸条件について協議を始める「覚書」を作成。同7月には、都と東ガスで「基本合意」に至った。
■土壌対策めぐり激しいやりとり
03~05年、都と東ガスの11回の交渉記録が残る。土壌汚染対策を巡る激しいやりとりが明らかになった。
都「(東ガス工場の)操業由来の部分は全部処理するとの理解だが違うのか」
東ガス「全部処理するのは難しいと言ってきたし、都もそれで了解しているはずだ。売却時には土壌汚染が残るということだ」
03年4月3日、都庁であった交渉では、汚染除去工事をめぐる認識の食い違いがあらわになった。東ガス側は01年の基本合意に基づき、「都の環境確保条例を満たす対策のみをする」との見解を示した。
一方、東ガスに追加の対策を望む都は「汚染土壌を処理しないまま売買すれば、都も東京ガスも社会的責任を将来にわたって言われる」(03年10月30日)と説明した。東ガスは「処理計画は条例に適合する。(追加対策が必要な理由は)用途が市場だからで、費用は都が負担すべきだ」と反発している。しかし、都は「金額面での支援はできない」との姿勢は崩さなかった。
都は03年12月、再び除去工事の費用負担を求める東ガス側に「議会での説明がもたない」と返答。その後、汚染除去の箇所数について見直し作業をした。
同月、東ガス側が、工場があった地面より2メートル以上深い土壌について「(環境基準の)10倍以下の汚染が残ってもよいか」と尋ねると、都は「東京ガスの判断だ。市場施設建設では、その下は掘り起こす可能性はない」と応じた。
その後、08年に環境基準を大幅に超えるベンゼンが見つかり、都は大規模な汚染対策工事を実施した。都は10年度に東ガス側に土地購入代金計535億円を支払った。
情報を出さないことの理由の本質が、わかる事例です。
******朝日新聞(2016.12.01)*****************************
豊洲買いたい、都の説得劇 用地売買交渉、黒塗り部分を開示
2016年12月1日05時00分
東京都の豊洲市場(江東区)の用地購入や土壌汚染対策工事をめぐり、所有者だった東京ガスと都との交渉記録が情報公開請求に対して開示されたことが分かった。これまで大部分が黒塗りだったが、情報公開を進める小池百合子知事の方針で、一部の固有名詞を除いて明らかにされた。都が築地市場(中央区)の豊洲移転にこだわった経緯が具体的に見えてきた。▼1面参照
開示されたのは、1998~2005年と11年の交渉記録など。約140枚の文書で、同社と都の計31回の交渉内容が記録されている。土地売却や追加の土壌汚染対策工事に消極的だった東京ガス側に対し、都が説得を続ける様子が分かる。共産党都議団の請求に都が応じた。
豊洲市場用地をめぐる交渉記録文書は、これまで都議会などで資料要求や情報公開請求がされてきたが、大部分が黒塗りだった。しかし、「移転を決めた石原慎太郎知事時代の責任を調べる」とする小池氏の方針を受けて、都が東京ガス側と協議し、同社側の固有名詞を除いてほぼ開示された。
■渋る東ガス「負担は」 副知事「水面下で」
「土地を売る気はない」。1998年9月21日の記録に東ガス担当者の発言が残されている。当時、都は移転を念頭に豊洲の東ガス所有地を調査。東ガスへの説明なしに進めていたため、都の部長ら2人が本社を訪ね、謝罪していた。
東ガスは当時、所有地での再開発を計画。99年11月には福永正通副知事が訪ね、その後も「豊洲の先端部を含む地域が最適地」と頼み続けた。「先端部」は今、豊洲市場の主な建物が立つ地区だ。東ガスは「先端部は譲れない。東側であれば検討する」と繰り返し、交渉は平行線をたどっていた。
2000年10月4日、石原氏の最側近、浜渦武生副知事が同社を訪ねた。
浜渦氏「無茶(むちゃ)な話とは思うが、1200万都民の台所への協力をお願いする」
東ガス「基本的には協力するが、経営判断できる条件が示されていない。土地価格や開発者負担金を示してほしい」
浜渦氏「そのことは、水面下でやりましょう」
「(秘)」と記された開示記録には、浜渦氏が都職員に対し、「株主に損をさせない仕組みづくり」「『公共事業に協力する』という社是に沿った移転受け入れの格好をとる」などと、東ガスに配慮した決着を指示したと記されている。
この後、東ガスが土壌汚染を公表した翌月の01年2月、浜渦氏と伊藤春野・東ガス副社長名で、移転の諸条件について協議を始める「覚書」を作成。同7月には、都と東ガスで「基本合意」に至った。
■土壌汚染対策の範囲、攻防
03~05年、都と東ガスの11回の交渉記録が残る。土壌汚染対策を巡る激しいやりとりが明らかになった。
都「(東ガス工場の)操業由来の部分は全部処理するとの理解だが違うのか」
東ガス「全部処理するのは難しいと言ってきたし、都もそれで了解しているはずだ。売却時には土壌汚染が残るということだ」
03年4月3日、都庁であった交渉では、汚染除去工事をめぐる認識の食い違いがあらわになった。東ガス側は01年の基本合意に基づき、「都の環境確保条例を満たす対策のみをする」との見解を示した。
東ガスに追加対策を望む都は「汚染土壌を処理しないまま売買すれば、都も東京ガスも社会的責任を将来にわたって言われる」(03年10月30日)と説明した。都は03年12月、除去工事の費用負担を求める東ガス側に「議会での説明がもたない」と返答。その後、汚染除去の箇所数について見直し作業をした。同月、東ガス側が、工場があった地面より2メートル以上深い土壌について「(環境基準の)10倍以下の汚染が残ってもよいか」と尋ねると、都は「東京ガスの判断だ。市場施設建設では、その下は掘り起こす可能性はない」と応じた。
その後、08年に環境基準を大幅に超えるベンゼンが見つかり、都は大規模な汚染対策工事を実施した。
<市場移転の経緯> 老朽化した築地市場(中央区)の移転先に豊洲が浮上したのは、1998年。東京都が東京ガスの工場跡地に目を付けた。当時はまだ、大規模な土壌汚染は知られていなかった。99年に石原慎太郎知事が就任すると移転への動きが加速した。
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http://digital.asahi.com/articles/ASJCZ546PJCZUTIL021.html
豊洲用地、渋る東京ガスを説得 都側「無茶な話だが…」
2016年12月1日05時05分
東京都の豊洲市場(江東区)の用地購入や土壌汚染対策工事をめぐり、所有者だった東京ガスと都との交渉記録が情報公開請求に対して開示されたことが分かった。これまで大部分が黒塗りだったが、情報公開を進める小池百合子知事の方針で、一部の固有名詞を除いて明らかにされた。都が築地市場(中央区)の豊洲移転にこだわった経緯が具体的に見えてきた。
開示されたのは、1998~2005年と11年の交渉記録など。約140枚の文書で、同社と都の計31回の交渉内容が記録されている。土地売却や追加の土壌汚染対策工事に消極的だった東京ガス側に対し、都が説得を続ける様子が分かる。共産党都議団の請求に都が応じた。
豊洲市場用地をめぐる交渉記録文書は、これまで都議会などで資料要求や情報公開請求がされてきたが、大部分が黒塗りだった。しかし、「移転を決めた石原慎太郎知事時代の責任を調べる」とする小池氏の方針を受けて、都が東京ガス側と協議し、同社側の固有名詞を除いてほぼ開示された。まだ非開示の文書もあり、交渉の全容が判明したとは言えない。
豊洲への移転決定の経緯について、当時の知事だった石原氏は小池氏の質問に「(当時の資料を)全て公開し、何が行われたかご覧いただくしかない」などと回答。小池氏は資料の調査を続ける方針を示している。
「土地を売る気はない」。1998年9月21日の記録に東ガス担当者の発言が残されている。当時、都は築地での再整備を中断し、移転を念頭に豊洲の東ガス所有地を調査。東ガスへの説明なしに進めていたため、都の部長ら2人が本社を訪ね、謝罪していた。
東ガスは当時、所有地での再開発を計画していた。99年11月には福永正通副知事が訪ね、その後も「検討の結果、豊洲の先端部を含む地域が最適地」と頼み続けた。「先端部」は今、豊洲市場の主な建物が立つ地区だ。東ガスは「先端部は譲れない。東側であれば検討する」と繰り返し、交渉は平行線をたどっていた。
2000年10月4日、石原氏の最側近、浜渦武生副知事が交渉役になって同社を訪ねた時は、東ガス側の態度に変化があった。
浜渦氏「無茶(むちゃ)な話とは思うが、1200万都民の台所への協力をお願いする」
東ガス「基本的には協力するが、経営判断できる条件が示されていない。土地価格や開発者負担金を示してほしい」
浜渦氏「そのことは、水面下でやりましょう」
「(秘)」と記された開示記録には、浜渦氏が都職員に対し、「株主に損をさせない仕組みづくり」「『公共事業に協力する』という社是に沿った移転受け入れの格好をとる」などと、東ガスに配慮した決着を指示したと記されている。
この後、東ガスが土壌汚染を公表した翌月の01年2月、浜渦氏と伊藤春野・東ガス副社長名で、移転の諸条件について協議を始める「覚書」を作成。同7月には、都と東ガスで「基本合意」に至った。
■土壌対策めぐり激しいやりとり
03~05年、都と東ガスの11回の交渉記録が残る。土壌汚染対策を巡る激しいやりとりが明らかになった。
都「(東ガス工場の)操業由来の部分は全部処理するとの理解だが違うのか」
東ガス「全部処理するのは難しいと言ってきたし、都もそれで了解しているはずだ。売却時には土壌汚染が残るということだ」
03年4月3日、都庁であった交渉では、汚染除去工事をめぐる認識の食い違いがあらわになった。東ガス側は01年の基本合意に基づき、「都の環境確保条例を満たす対策のみをする」との見解を示した。
一方、東ガスに追加の対策を望む都は「汚染土壌を処理しないまま売買すれば、都も東京ガスも社会的責任を将来にわたって言われる」(03年10月30日)と説明した。東ガスは「処理計画は条例に適合する。(追加対策が必要な理由は)用途が市場だからで、費用は都が負担すべきだ」と反発している。しかし、都は「金額面での支援はできない」との姿勢は崩さなかった。
都は03年12月、再び除去工事の費用負担を求める東ガス側に「議会での説明がもたない」と返答。その後、汚染除去の箇所数について見直し作業をした。
同月、東ガス側が、工場があった地面より2メートル以上深い土壌について「(環境基準の)10倍以下の汚染が残ってもよいか」と尋ねると、都は「東京ガスの判断だ。市場施設建設では、その下は掘り起こす可能性はない」と応じた。
その後、08年に環境基準を大幅に超えるベンゼンが見つかり、都は大規模な汚染対策工事を実施した。都は10年度に東ガス側に土地購入代金計535億円を支払った。