「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

【平成21年度予算案 分析⑨-3】 23区 予算案比較 東京新聞より(下)

2009-02-23 07:52:33 | 財務分析(予算・決算)
東京新聞による特集、(上)を掲載したので、(下)も一応、掲載します。

*****東京新聞2月22日*****

【23区の2009年度予算案】

<記者座談会>(下) 区長のPR力は? 『横並び』『淡々説明』は減少 

2009年2月22日

2日に行われた記者会見で、杉並区の山田宏区長は実際に電話を使って気象情報音声通報システムを実演した=杉並区役所で

写真

 東京23区予算案について担当記者の紙上座談会を20日に続き掲載する。ここ数年、予算案を分かりやすく説明しようと工夫を凝らす区が増えてきた。座談会の後編は、区長のPR力などをめぐり意見を交わした。

 司会 各区長の会見で感じたことは?

 松村 視覚的なPRを狙ってか、説明用パネルをもつ区長が増えた。港区なんかは、環境に力を入れていることをアピールするため武井雅昭区長は「港区」と記された間伐材製の縁台まで使っていた。

 比護 新宿区も、ひな壇の後ろにパネルを用意し中山弘子区長が学校の先生みたいにパネルを棒で指しながら丁寧に説明していた。練馬区は志村豊志郎区長の説明がやたら長かったが、目玉事業をマスコミに必死に売り込もうとする姿勢は伝わってきた。

 小川 杉並区の目玉はゲリラ豪雨などの大雨警報を電話で知らせるシステムの導入だが、山田宏区長が会見で電話を用意して、実演したり工夫もみられて良かった。山田区長は元衆院議員ということもあってパフォーマンス上手だ。

 小林 区長が「政治家」的か「役人」的かによって広報もずいぶん違う。日ごろの取材でも感じていることだが、都議出身の山崎孝明江東区長は予算発表に限らず新事業などについて、記者を集めて自ら説明することが多い。逆にともに区職員出身の多田正見江戸川区長と、青木勇葛飾区長は淡々と説明していた。表面的なパフォーマンスは嫌いなようだ。

 松村 ただ、同じ区職員出身の浜野健品川区長は予算会見について「以前と違って、近年は各区が独自事業を競い合うようになった」と感慨深く語っていた。二十三区は横並びになりがちなので、普段から競い合ってほしい。区によっては、普段の広報がお粗末すぎて、予算会見の豪華ぶりがばかげて見える。

 小川 それと、区長がパフォーマンス上手でも、サポートする区の役人がついて行けずちぐはぐになるケースも多い。さっき触れた山田区長(杉並区)の場合でいえば、パネルも使って分かりやすく説明しようとしているのにパネルも文字も小さくて、こちらには読みにくい。行政が作るものは、一枚に詰め込もうとするので、こういう失敗をする。

 司会 これはちょっと恥ずかしいなという区長はいなかった?

 松村 麻生太郎首相の間違いであれだけ話題になっているのに、「未曾有」を「みぞうう(・・・・)」と言っているようにしか聞こえない区長もいた。それよりも、会見で質問しても、回答を職員に丸投げする区長もいた。本当に区長が分かって発表しているのか、疑問に思った。

 越守 自分の担当する千代田、中央と文京は日本の中心部に位置するというのに、いずれの区長も配布資料を棒読みしていた。

 中里 逆にいえば、自分の言葉で説明する区長は印象に残る。経済危機の中で積極予算を組んだ区では、区長が予算への思いを語る言葉に説得力があった。

 松村 数字や細部は別として、区長たる者、予算への思いは自らの言葉で語ってほしいと今回の取材であらためて感じた。

 【座談会出席者】

 稲熊均(司会)、松村裕子、比護正史、越守丈太郎、小川慎一、中里宏、小林由比

*****以上*****

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四つ目のハードル

2009-02-22 15:12:38 | 築地を守る、築地市場現在地再整備
金曜日 環境建設委員会 質問
土曜日 早稲田大学国際政治学坪井教授のゼミ レポート提出
日曜日 中央区観光検定 受験
と、なんとか三つハードルを越え、
喫緊の最後のハードル、
豊洲土壌汚染と築地市場移転問題に関する文章のもう一息の“完成”に向け、
これから、とりかかります!

どうか、知恵と力がわきますように。。。

築地の仲卸の皆さんが、食の安全・安心を守るため、今日も、今も、がんばっていらっしゃいます。
負けては、いられません。
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アメリカ後の世界 THE POST-AMERICAN WORLD

2009-02-21 15:32:05 | 国政レベルでなすべきこと
 世界は今、近代に入って三度目のパラダイム転換期を迎えている。中世以前、そもそも国際社会という概念さえなく、全地球を統(す)べるような思潮や価値観は登場しなかった。15世紀に、まず、西洋の台頭という大きなうねりが現われ近代が始まった。キリスト教文化圏の思考体型や技術力、政治経済の理念などが、徐々に広がり、18世紀後半から、加速的に世界を席巻していった。それが、第一のシフトである。その流れの中で、産業革命を達成した大英帝国が覇権を握った。19世紀末には、旧宗主国である英国から米国が覇権を譲り受け、特にソ連崩壊以降は、唯一の超大国、ローマ帝国以来の最強国家として君臨した。これが第二のシフトである。
 そして、現在、進行しているのが第三のシフトである。既に、米国による一極支配体制は、綻(ほころ)びをみせてきている。ただし、変わって王座に就く力のある国は、存在しない。中国、インドは、成長途上の段階であり、世界を率いるような意欲も余裕も無い。わが国やドイツは、米国の庇護下で成長を遂げた国で、米国発の経済金融危機の影響をその震源地以上に受けている。欧州連合は、行動主体となるほどのまとまりがない。絶対王者の座は滑り落ちたが、相対的ランキングで、米国が王座である構図は、当面揺るがないだろう。「米国の凋落」ではなく、「その他すべての国の台頭」により、世界は、第三のシフトに入った。アメリカでも、脱アメリカでもなく、ポスト・アメリカの流れが始まったのである。
 第三のシフトにおいては、500年の間に広く行き渡った西洋的(キリスト教的)価値観も、近代化イコール西洋化という図式も、もはや絶対ではなく、すべての国々に、多軸思考に耐えうる柔軟な知と受容力が求められるようになった。
 現ニューズウィーク国際版編集長ファリード・ザカリア氏は、米国がとるべき道を6つ提案している。①統治とは選択であり、核拡散とテロ対策に有効な選択をすべきである。②自らの特殊権益を追求するのではなく、世界の結束に繋がるルールや慣例や価値の創出を目指すべきである。③ビスマルクが目指したように、主要国との最善の二国間関係を築き上げるべきである。④多種多様な組織と手法を通じて問題に取り組める有機的な国際システムを作り、和解と融通と順応の姿勢で臨むべきである。⑤軍事力増強のみではなく、創造的に、外交使節団、国家建設の知識集団、技術支援チームなど様々な手段でテロや脅威に臨むべきである。⑥米国は力だけでなく、理念によって世界を変革してきたことに立ち返り、正当性をもって国際社会の支持を得るべきである。
 今の米国にふりかかる問題や危機や抵抗は、かつてのナチス・ドイツやスターリンの拡張政策や核戦争といった巨大な脅威から比べ物にならない程度であり、しかも、世界は米国と足並みをそろえつつある。
 しかし、米国は、テロを100%防げることはできないが故に、恐怖や不安に呑み込まれている。テロ事件にどう対処するか。残念ながら今の雰囲気では、テロ攻撃を受けると、米国政府は逆上して、正統性のない報復攻撃と、移動やプライバシー、市民的自由に対する規制強化をかけ、膨大な経済的、政治的、道徳的コストを負うことになるであろう。復元力に目標をおいて備えるべきなのである。
 米大統領に黒人のオバマ氏が就任するという歴史的な出来事が起こった今だからこそ、内向きになるのではなく、米国が繁栄を成し遂げられてきたその「開放性」という原点に帰るべきであろう。「開放性」こそが、新しい経済時代への迅速かつ柔軟な対応を行うこと、変化と多様性をいとも簡単に制御すること、個人の自由と自律の範囲を大きく広げることを可能にし、ついには、米国をして人類初の世界国家にならしめることを可能にしたのである。
 では、私達日本はどうあるべきか。米国の庇護の時代から、まさに今、自立した国を歩む時が来たのだと思う。現在、米国よりも不況のどん底にあるが、米国依存の輸出中心の産業構造から抜け出し、環境分野、ナノ技術、勤勉性など日本の強みを活かしつつ、力強く立ち直って行きたい。航空分野、医療・薬品分野などの欧米頼みであった技術開発も率先して参入し、国力をつけねばならないだろう。利益至上・効率第一の「管理システム」から、和を尊ぶ「思いやりシステム」を産業・労働分野に取り入れ世界に発信することもできるのではなかろうか。そして、国連の常任理事国になれようがなれまいが、キリスト教的文化圏とイスラム教的文化圏の間に位置して両者の交流や親善を橋渡しする役割を担い、平和憲法を有する国として、世界平和に貢献するのである。
 日本が、このように真に自立した国となるためには、教育立国となることがまず大切である。教育への投資は惜しむことなく行うべきであり、地域・学校・家庭が一体となって、障がいのありなしに係らず、親の就労形態に係らず、異世代交流・異文化交流の下で、全ての子どもが共に学べる環境をまず作って行きたいものである。日本の再生は時間がかかるであろうが、十分可能であり、第三のシフト下において、日本の世界貢献の場は必ず来る。


参考文献:『アメリカ後の世界』 ファリード・ザカリア 著、楡井浩一 訳、徳間書店
(『THE POST-AMERICAN WORLD』 by Fareed Zakaria)


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土壌汚染地への移転、必ずや、白紙撤回できます。

2009-02-21 10:40:29 | 築地を守る、築地市場現在地再整備
 今日2/21、ニュースを読んで、各紙片隅ですが、東卸の理事長選挙の結果報道を目にするたびに、落ち込みの度合いが強まっていました。

 そんな中、ある方から、お電話をいただきました。

 貴重な数々のアイデアをいただきました。

 真実を伝えるために、まだまだ、できることがあると、しなければならないことがあると、気づかされました。

 本当に、本当に、このご指導は、ありがたかったです。

 そして、この問題は、本当に奥が深く、土壌汚染から食の安全・安心、市場で働く人の健康、築地市場と築地の街、日本の食文化、日本の一次産業を守るだけでなく、日本の国のあり方につながる重要問題であることを再認識いたしました。 

 この電話は、昨日の環境建設委員会の場での中央区長の「今でも築地市場移転に断固反対である。」という思いとともに、私の勇気につながりました。
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中央区は築地市場移転に断固反対です!! 2/20、環境建設委員会 報告 等

2009-02-21 06:29:27 | 政策・マニフェスト

2/20は、壁を感じた一日でした。

 ひとつは、東卸の理事長選挙、豊洲土壌汚染地への移転反対、築地市場現在地再整備を主張していた山崎治雄氏が五度目の理事長選挙の末、14対16で敗れました。

 もうひとつは、私が出席した環境建設委員会での、行政側の回答。まちづくり協議会に絡んで質問したのですが、私の考え方、すなわち、多くの住民の声を聞く場としてのまちづくり協議会のあり方と、大きくズレを感じました。

 壁を感じ、落ち込む反面、勇気をいただいた部分もありました。
 ひとつは、私たちの区長は、技術会議の最終報告を受け、石原都知事が2014年豊洲へ移転させると断言した今においても、築地市場移転に断固反対の回答をいただいたこと。
 もうひとつは、夜開催の中央区保健医療福祉計画推進委員会の専門部会のひとつ「第4回障害者専門部会」を傍聴してきました。その検討において、中央区保健医療福祉計画が、以前の検討案より、もう一歩進んだ案になったこと。


 まず、私が、環境建設委員会で、指摘提案したことを述べます。私に与えられた時間は、28分。

Ⅰまちづくり協議会
①本日の行政側からの報告はどれも、特に重要な案件です。街の声を聞くために、本日の15ある環境建設委員会での行政側の報告のうち、どれをまちづくり協議会に報告しますか?
 とくに、
4 資源持ち去り防止対策について
7 コミュニティバス導入実施計画(案)等について
10 環状第2号線橋りょうの景観意匠検討委員会における検討状況等について
15 中央区マンションの適正な管理を推進するための新たな取組について
は、報告すべきと考えますが、いかがですか?

行政側回答⇒いずれも、報告すべきものではない。


Ⅱ歌舞伎座の外観の保存について
①日本建築学会から要望書が出されているが、区からどのような回答をしたか

②第四回定例会で、歌舞伎座の保存について、区長は、「今後、詳細な検討の中で外観や意匠など、現状の面影を残す工夫を図るよう要請してまいりたいと考えております。」と述べられているが、都市計画原案、都市計画案と計画がすすんでいる段階で、どのような申し入れを行っているのか?

行政側回答⇒①②への明確な回答なし。かつて、歌舞伎座再生検討委員会で検討された。また、銀座デザイン協議会でも検討された。

*歌舞伎座再生検討委員会は、2005年開催であり、日本建築学会からの要望書は、2006年4月に出されており、当然、それを踏まえたうえでのものである。今後、私は、詳細な資料は、出されていない「歌舞伎座再生検討委員会」の検討内容及び銀座デザイン協議会での検討内容を再度調査し、予算特別委員会に臨む所存です。


Ⅲオリンピックムーブメントについて
まず、オリンピックムーブメントとして、事業を行う前に、東京都から、オリンピックファイルなど説明を受けることが先ではないか?

行政側回答⇒中央区議会でつくられた「オリンピック招致議連」のメンバーを集めて、東京都から説明を受けた。

小坂:中央区全体の施策であるのだから、中央区議会全員協議会のような場で、すべての議員をあつめて東京都から説明を受けるのが筋ではないでしょうかと主張しました。


Ⅳコミュニティバスについて
①いつ、スクールバス直行便の考えはできたのか?
行政側回答⇒パブリックコメントなどを受ける間の中で。

②パブリックコメントは、再度全般的な内容でとるのか?
行政側回答⇒再度全体的に受け付ける。

③パブリックコメントは、今回は、ルート案もきちんと区民に知らせて行うべきか?
行政側回答⇒有効な手段があれば、考える。

④バスが、以前計画の7台から、8台に所有台数が増えているが、経済性を考えれば、7台で実施すべきではないか?

行政側回答⇒8台の方が、試算によると、経済性が優れた結論が出た。すなわち、7台で、補助員を置くのと、8台で補助員がないのとで比較し、人件費分が安くなり、データが出た。

*会議では行政側の回答にそれ以上反論しなかったが、7台でかつ補助員がなければ、もっと経済性が上がるわけであり、そのやり方が可能であるのではないかと、考えている。8台はいらないのではないか?


Ⅴ築地市場移転問題について
①技術会議の報告、その後の知事の2014年豊洲への移転の発言を受けた後においても、区長の「築地市場移転断固反対」の考えに変わりはないと考えてよいか?

区長回答:断固反対に変わりはない。特に技術会議結論に疑念が残る。

②「新しい築地をつくる会」「築地市場地区を核とした活気とにぎわいづくり委員会」開催の計画はあるのか?

行政回答:東京都から説明を受けて対応する。

*時間切れで言えませんでしたが、東京都から説明を受けるのを待っていたら、築地を守れません。積極的に開催をし、街と協議していくべきです。




なお、行政側からの報告は、以下の15件。
1 平成20年度大気中のアスベスト濃度調査結果について

2 河川等の水生生物調査結果について

3 ごみの呼称変更について

4 資源持ち去り防止対策について

5 プラスチック製容器包装集積所回収のモラル実施状況および本格実施について

6 平成20年中の交通事故発生状況について

7 コミュニティバス導入実施計画(案)等について

8 清杉通り歩道部における自転車通行調査結果について

9 中央区におけるオリンピックムーブメント共同推進事業について

10 環状第2号線橋りょうの景観意匠検討委員会における検討状況等について

11 地下鉄駅におけるエレベーター設置について

12 平成20年度再開発事業等の取組状況

13 銀座地区まちづくり協議会の報告

14 区民住宅の入居収入基準等の変更について

15 中央区マンションの適正な管理を推進するための新たな取組について

以上。

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子育てをしやすいと思う東京都の街 ランキング

2009-02-21 06:00:00 | 子育て・子育ち

たまたま、ネットで、ヒットしました。

子育てをしやすいと思う東京都の街 ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/016/childcare_tokyocity/

おもしろいランキングです。

このランキングで、現在中央区は、14位。

子育てしやすい街を目指し、さらなる充実を求めて、3月予算特別委員会がんばります!!
小児科医として一番の目指すべきものの一つは、まさしく子育て・子育ちの環境が整っていることなのですから。


ランキングには、それを作る側の意図も反映されますので、絶対的なものではありませんが、参考までに結果を載せておきます。

ランキング結果(09年2月21日現在)
1位 世田谷区  
2位 杉並区 
3位 文京区
4位 江戸川区
5位目黒区
6位練馬区
7位品川区
8位23区外
9位港区
10位中野区
11位大田区
12位千代田区
13位江東区
14位中央区
15位板橋区
16位渋谷区
17位荒川区
18位葛飾区
19位豊島区
20位新宿区
21位足立区
22位北区
23位墨田区
24位台東区
 

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【平成21年度予算案 分析⑨-1】 23区 予算案比較 予算規模 東京新聞より 

2009-02-21 05:59:59 | 財務分析(予算・決算)
他区との予算案 予算規模で見た比較です。
東京新聞さんの記事には、感謝です。
(赤字、太字は小坂による。)

****以下、東京新聞から****

<総括>23区予算案 懐チェック 15区が前年度より増額 墨田、足立など6区 交付金、税収減も基金繰り入れ

2009年2月19日

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 百年に一度といわれる深刻な不況の中で、二十三区のうち十五区が新年度の一般会計予算編成で、前年度より増額の予算案を打ち出している。人口の増加に伴って住民税などの区税収入が伸びた区もあるが、歳入に大きなウエートを占める区税と特別区交付金がともに減少しながらも、歳出を積極的に増額する予算案を組んだ区さえある。

 本来なら区の税収になる固定資産税や法人税を、都が集めて分配する特別区交付金(都区財政調整交付金)については、ほとんどの区が減少する。区税収入も半数以上の十四区で減り、不景気で台所事情がより苦しくなる区が増えた。ところがこの両方とも減った区で予算案も減額したのは、目黒大田板橋の三区だけだった。

 港区中央区は、マンション建設による人口増で前年度を上回る税収を確保できる。特に港区は、税収増に加え、ため込んだ基金の中から二百八十四億円を取り崩す大盤振る舞いで、過去最高の千三百二十三億円の予算案を編成した。前年度比は、バブル期を上回る21・5%の大幅な伸びで、財政力の強さを見せつけた。

 区税も特別区交付金も減った九区の中で、墨田足立葛飾江戸川など六区は近年にない多額の基金を繰り入れて増額の予算案を組んだ。使い道も、学校改築や道路整備など投資的経費が目立つ

 荒川区は区税はプラスだったが、交付金が減る中で、やはり思い切った増額予算案を編成。西川太一郎区長は「緊急経済対策のため、あえて積極予算を組んだ」と説明する。

 日本総合研究所の藤波匠・主任研究員は、ほとんどの区で前年度並み以上の予算規模となったことに、「税収が伸びた時代に立てた投資計画を急にやめられないのだろう。潤沢な基金があり、他市町村とは体力が違う」とみる。総務省は「全国的にも不況下だから逆に景気対策として、基金の取り崩しや起債発行で増額予算を組む自治体が出るのでは」と推測する

 区長たちが心配するのはむしろ二〇一〇年度以降。杉並の山田宏区長は「不景気の区税収入への影響が出るのは一〇年度から」とみる。公共事業に積極投資する足立の近藤弥生区長は「新年度は基金で対応できるが、その後の見通しが厳しい」と懸念している。

****以上、*****

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【平成21年度予算案 分析⑨-2】 23区 予算案比較 東京新聞より(上)

2009-02-20 22:12:15 | 財務分析(予算・決算)
東京新聞が、23区の予算案を比較していたので、掲載します。区名は、太字。重要、赤。小坂コメント、⇒赤。

【東京】

23区予算案 記者座談会<上> 板橋区の病児病後児保育サービス  全国から問い合わせ

2009年2月20日

23区予算案の目玉事業を取り上げた本紙。読者の反響も大きかった

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 東京23区の予算案発表は先月22日の台東区に始まり、今月13日の新宿区で終わった。これら予算案は現在、各区の議会で審議されている。打ち出された事業や取り組みは区民のニーズに応えているか-。取材に当たった各区の担当記者が取材の裏話も交え、紙上座談会で議論した。

 司会 各区の目玉事業をどう評価する?

 比護 板橋区病児病後児保育サービスは保育園で子どもが急な発熱を起こした際、総合病院の看護師が保育園まで迎えに行き、病院で治療と保育をしてくれる制度。これまでちょっとした発熱でも仕事を休まざるを得なかった親にとっては精神的にも肉体的にも負担を軽減できる、ありがたい制度だ。
⇒中央区と私達小坂クリニックが、2001年(平成13年)から、すでに、病児保育を開設実施しているんですが。。。東京都の病児保育開設マニュアル作成にもご協力をさせていただきました。その後、小坂クリニックは、区の委託から独立しています。
 子どもが発病した場合、当院スタッフが、その保育園に駆けつけて、お迎えし、病児保育で預かるサービスも実施しています。
 全国に取材ということは、まだ、病児保育の知名度がいまいちなんですね。
 

 司会 本紙は一面アタマで報じたね。

 比護 全国から板橋区に問い合わせが寄せられたので、区の広報から「東京新聞はどれだけ広いエリアで出してんの」と聞かれた。本紙の報道後、テレビが全国で報じた影響なんだけどね。

 藤原 墨田区は良くも悪くも「スカイツリー関連事業」が目立った。東京マラソンの招致活動まで乗り出し、「観光都市」を本気で目指しているようだ。

 小林 江東区は、子どもの増加という他にない事情を抱える区として、認可保育園の整備を着々と進めるなど「やるべきことはやる」という姿勢が見えた。それと「地味」ですぐには効果も見えにくい環境分野でも積極的に取り組もうとする姿勢が伝わってきた。

 越守 逆に千代田区は日本のど真ん中ということもあるんだろうけど、「二十三区初」「都内初」といった冠をつけるのが、他区以上に好きなようだ。先進性を求める姿勢は買うが、施策の中身があった上で、初であれば立派なニュースとなるのになあと感じた。
⇒千代田区の知的・精神・身体の三つの障がいのある方の支援施設が、一つの場所で開設すると聞いています。今後、フォローして行きたいと思っています。この施策を作った千代田区は、高く評価できると思っています。

 小川 世田谷区は国のトライアル雇用制度に、区独自で補助金を上乗せする雇用創出対策を「都内初」と強調した。区はこの制度で、介護事業者に補助金を出して介護ヘルパーを増やそうと狙っているが、そもそも就職希望者が少ない分野。働き手にとって魅力ある制度でないので、記者仲間で「実効性ないよねえ」と話していたが、他紙で大きく報じていて思わずのけぞった。どうしても「初」モノに踊らされる。

 松村 品川区は二〇〇八年度に続き結婚サポート事業を予算化した。交流パーティーの参加申し込みが多かったから継続するというが、結婚した人がいるかどうか、成果の検証ができているとはいいがたい。一般ウケはするし、都会でも田舎並みのおせっかい事業を始めたと〇八年度は注目していたが、都会の金持ち区のぜいたくという批判も一理あるという気がする。
⇒先日、品川区及びNPOフローレンスが企画したワークライフバランスのシンポジウム参加しましたが、ワークライフバランス社会の実現に向け、中小事業所への支援は、品川区は一歩先んじているように感じました。
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/09595bda173362154c6b5abe2c0cf87e

 司会 厳しい指摘も多いけど、事業内容で評価の高い区は?

 中里 荒川区が乳幼児の細菌性髄膜炎を予防する「ヒブワクチン」の費用助成を盛り込んだ。重い障害が残る子どもが多いだけに、国に先駆ける姿勢は評価したい。台東区二十三区初の区立台東病院を四月に開院する。評価の高い区の順位をつけるのは難しいけど、子育て支援という意味で、板橋と荒川区、今後の高齢化への対応では台東区。この三区は、全体の中でも高い評価を与えて良いんじゃないかな。
⇒「ヒブワクチン」の費用助成は、中央区もついてます!!中央区の今回の予算案のもう一つの目玉、聖路加病院での区民優先の産科開設の記事に埋もれてしまったのでしょうか。

 【座談会出席者】稲熊均(司会)、中里宏、比護正史、藤原哲也、小林由比、越守丈太郎、小川慎一、松村裕子

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Always on the side of the egg

2009-02-19 11:01:31 | シチズンシップ教育

ブログhttp://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/8a7c2a8da963e06aa865b3eb3ccf861e
で取り上げましたが、
村上春樹氏の全文は、これかと思います。
⇒ http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

Last update - 22:56 17/02/2009

Always on the side of the egg        By Haruki Murakami

Tags: Israel News, Haruki Murakami

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

That is all I have to say to you.

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

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【歌舞伎座 UP DATE 3】守ろう!歌舞伎座

2009-02-19 08:31:40 | 街づくり

 昨日2/18、都市計画案説明会が開催されました。
 
 テーマの一つは歌舞伎座(東京都中央区銀座四丁目12番)。 再開発に伴い、歌舞伎座の外観も取り壊されます。
 外観の保存を求める声は、地元だけに止まらず、日本国中から、各界から届いています。
 以前もこのテーマをとりあげました。⇒http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/cd528c7945a0fa529040c7dda9d7a315

 私は、説明会出席者から、歌舞伎座の外観の保存について、意見がでるであろうから、それをお聞きしたいと思っていました。
 私以外の誰からも、席上では、意見はありませんでした。 

*外観は十分保存できるという建築家の意見が出ている。
 過去にも(平成18年(2006年)4月)、外観の保存に向けた要望書が、日本建築学会から出されている。
*なぜ、保存できないのか。
*区は保存できるように、支援すべきである。
*保存できないというのであれば、その根拠となる専門家による見解を提示するべきである。

 これらが、お伺いしたい点でした。

 なお、中央区議会昨年の第四回定例会 本会議でも、歌舞伎座の外観の保存に対しては、審議されています。
 区長からも、「今後、詳細な検討の中で外観や意匠など、現状の面影を残す工夫を図るよう要請する」と回答がありました。

 当然、地元区議のひとりとして、全力を尽くす所存ではありますが、区長からの要請もまた、通じることを期待いたすところです。

 日本建築学会、日本都市計画学会など専門の先生方の学会や、この件で詳しい先生方にご相談もしたいと考えます。

社団法人 日本都市計画学会http://wwwsoc.nii.ac.jp/cpij/
社団法人 日本建築学会http://www.aij.or.jp/aijhomej.htm

*****日本建築学会の要望書 転載****
http://www.aij.or.jp/scripts/request/document/060419-3.pdf

2006 年4 月18 日

東京都中央区長 矢田美英 殿
株式会社歌舞伎座
代表取締役社長 大谷信義 殿

                     社団法人 日本建築学会
                     会 長 村上 周三

                          歌舞伎座の保存に関する要望書

 拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 日頃より、本会の活動につきましては多大なご協力を賜り、厚くお礼を申し上げます。
 去る2005 年11 月17 日の各紙朝刊において、中央区銀座四丁目に建つ歌舞伎座の建替えが計画されているとの新聞発表がありました。御承知のように、この建物は木造の初代歌舞伎座(1889 年竣工)が1921 年10 月に焼失したのを受け、新たに「不燃構造で和風意匠を持つ劇場建築」として1924(大正13)年12 月に竣工した建物であり、1945 年5 月の空襲では被災したものの、1950(昭和25)年12 月には復旧と設備の増強を意図した戦災復興工事を終了し、現在まで伝統芸能である歌舞伎の殿堂として多くの市民に親しまれてきた建物です。
 また、2002 年2 月には国の登録有形文化財に登録されましたように、その文化的価値の高さが既に評価されている建物でもあります。建物の設計者は、当初が当時東京美術学校(現・東京芸術大学)の教授であった岡田信一郎(1883~1932)で、戦災復興工事では同じく当時東京芸術大学の教授であった吉田五十八(1894~1974)が意匠設計を担当しました。
 歌舞伎座は「不燃構造の和風意匠」によって造られたため、大正時代から現在に至るまで近代化し続けてきた銀座の都市景観において、日本の伝統芸能である歌舞伎の伝統・文化を広く市民に伝えることに成功し、それゆえ銀座を代表するランドマークとして長く親しまれてきました。すなわち、歌舞伎座の建築史的価値はこの「不燃構造の和風意匠」にこそあり、別紙「見解」にて詳しく示します通り、そこには上記二人の建築家の創意が十分に発揮されています。
 復興工事から55 年が経過しており、大都市の劇場建築としては時代と共に機能面において不備が生じ、耐震化の必要も懸念される事情は理解できます。しかし、わずか4 年前に国の登録有形文化財に認められたばかりの文化遺産でありますし、その伝統的な意匠の価値が今後も近代化してゆく銀座の都市景観において更に重要性を増してくるのではないかと思われます。貴下におかれましては、この貴重な建物の持つ高い文化的意義と歴史的価値についてあらためてご理解いただき、このかけがえのない文化遺産の価値を最大限に考慮した保存改修を行っていただけますよう、また、それが困難な場合でも上記二人の建築家のすぐれた伝統的意匠を継承した建築計画がなされますよう、格別のご配慮を賜りたくお願い申し上げる次第であります。
 なお、本会はこの建物の保存に関して、できうる限り協力させていただく所存であることを申し添えます。

敬具


*****続き****

                                                          2006 年4 月18 日
                  歌舞伎座についての見解

                                                         社団法人 日本建築学会
                                                         建築歴史・意匠委員会
                                                         委員長 吉 田 鋼 市

 東京都中央区銀座四丁目12 番15 号に建つ歌舞伎座は、木造の初代歌舞伎(1889 年竣工)が漏電による出火で1921 年10 月30 日に焼失したのを受け、新たに「不燃構造で和風意匠を持つ劇場建築」として設計され、1922 年6 月2 日に起工し、途中で関東大震災による工事中断(1923 年9 月1 日~1924 年3 月15 日)を挟みながら1924(大正13)年12 月15 日に竣工した建物である。当初の建物は、当時東京美術学校(現・東京芸術大学)教授であった岡田信一郎(1883~1932)が設計を担当し、施工は株式会社大林組が請け負った。同建物はその後、1945 年5 月25 日の空襲によって被災したが1949 年12 月には復興工事に着工し、1950年12 月30 日に竣工した。この復興工事では、意匠設計をこれも当時東京芸術大学教授であった吉田五十八(1894~1974)が担当し、施工は清水建設株式会社が請け負った。この建物
の最大の特徴は、不燃構造で和風意匠を用いて設計された点にある。そして現存建物の設計者としては、このような経緯から見て、岡田信一郎と吉田五十八の二人を挙げるべきと考えられる。
 上記建物はこのような複雑な経緯を持つため、まずここでは当初建物の概要と戦災復興工事における改修内容を比較・検討し、岡田信一郎と吉田五十八の和風デザインが現存建物にどのような形で見られるかという点を明らかにし、その上でこの建物の建築史的価値について述べることとする。

1. 当初建物の特徴と戦災復興工事の内容

1-1. 当初建物の特徴について(出典:『建築雑誌』1925 年3 月号)
竣工当時の歌舞伎座の構造形式は、鉄骨鉄筋コンクリート造の地下1 階・地上4 階建てで、小屋組を鉄骨造、屋根スラブを鉄筋コンクリート造とした不燃構造であった。床面積は、敷地面積の2,133.5 坪に対して建築面積が約1,062 坪、延床面積が約2,894 坪で、平面計画では、敷地北側を走る晴海通りに面して中央に正面玄関および玄関ホールを設け、反対側(南側)に舞台を配し、その間に客席を広く確保している。劇場内部は近代的な劇場建築としての機能を満たすように、客席は椅子式で床に傾斜を付けた形式が取られ、花道を撤去すれば現代劇や映画館としても対応できるように設計された。客席は2 階・3 階にも設けられ、4 階には天井桟敷の「一幕見席」が設けられた。近代設備としては、電気照明の他に劇場空間に蒸気暖房設備が導入された。
 建物の意匠的特徴としては、特に外観意匠において不燃構造の建物を伝統的な和風意匠でまとめ上げた点が特筆される。具体的なモチーフとしては、本瓦葺きの入母屋屋根や車寄せの唐破風、壁面に見られる柱型と長押、軒裏の組物といった江戸時代以前の寺院・城郭に見られる伝統的な意匠が建物の外観に適用された。この意匠表現は特に晴海通り側のファサードにおいて歌舞伎の賑やかさ・豪華さと格式を表現するのに成功している。すなわち、中央の劇場部分に入母屋の大屋根を架けて大きな妻面を見せるとともに、正面中央に唐破風の車寄せを配することで建物の正面性をまず強調し、更に左右相称に配された両脇の階段室の壁面をやや前にせり出し、その上に架けた入母屋屋根の妻を正面に向けることで、建物のファサードに豪華さと安定感をもたらすことに成功している。加えて一階部分に庇を廻して水平感を持ち込むことで、立面のタチの高いプロポーションを和らげることにも成功している。
 一方、内部空間では丸い柱型や虹梁風の梁型などの細部に和風意匠が用いられており、劇場の天井には芝居小屋に伝統的に見られる格天井が用いられた。

1-2. 戦災復興工事における改修内容(出典:歌舞伎座出版部『歌舞伎座』1951 年)
 戦災復興工事の総工事費は、合計2 億5824 万3522 円であった。この復興工事では建物の復旧だけでなく、最新式の設備(舞台装置、冷暖房、音響、照明設備)の導入が図られ、設備工事に多額の予算が注ぎ込まれた。設備設計は木村武一が担当した。
 建物の意匠については、設計を担当した吉田五十八がこの復興工事での改修内容として以下の点を挙げている。
1) 観客席と舞台の屋根については、当初の大屋根を復原せず、陸屋根に変更した。
2) 正面外観はほとんど以前のまま補修した(大屋根の破風以外)。
3) 構造体は既存の躯体を補強し、その結果、当初より座席の柱が太くなり、廊下の天井が低くなった。
4) 客席の天井を当初の格天井から変更し、新たに舞台から一幕見席(天井桟敷)まで通した尾州桧の「吹寄棹縁天井」として、そこに間接照明を設置した。
5) 玄関ホールのインテリアを変更し、当初の白を基調としたものから濃朱の丸柱などの「日本味豊かな色彩」(吉田)へと変更し、天井を下げて間接照明とした。
以上のことから、まず現存建物の外観意匠、特に軒下のファサードと正面両脇の入母屋屋根については岡田信一郎の設計が現存建物まで保存されてきたこと、吉田は客席・舞台部分の屋根を陸屋根に改修したのに伴い、正面の破風を取って両脇の入母屋屋根を棟で繋ぐように屋根を作り替え、新たに従来にはなかった軽快さを建物のファサードに加えたことなどがわかる。一方、室内意匠については、構造補強と設備の増強に伴い、吉田によって新たに設計されたものが現存建物の基本となっていると見て良い。

2. 現存建物の建築史的価値について
 現存建物の建築史的価値は、以下に述べるように外観意匠については岡田信一郎の設計した和風意匠という点において、また室内意匠については吉田五十八の設計した和風意匠という点において、その重要性を指摘することができる。

2-1. 岡田信一郎の設計した不燃構造・和風意匠の最初の作品としての重要性
 歌舞伎座のもつ建築史的価値としてまず第一に挙げるべきは、この建物が岡田信一郎の設計した不燃構造・和風意匠の最初の作品であり、その主たる表現である外観の和風意匠が復興工事おいて吉田五十八によって保存され、現存建物まで継承されてきたという点である。
 岡田信一郎は、明治生命館(1934)などの優れた古典主義建築を設計するとともに、一方では1924 年から1934 年にかけて鎌倉国宝館(1927)や虎屋(1932)など、不燃構造で和風意匠の建物を複数設計した。不燃構造で和風意匠の建物を設計することは、大正時代の日本の建築家にとって新しいテーマの一つであり、岡田もそのテーマに取り組んだ一人であったが、歌舞伎座はその最初の作品であり、岡田の伝統観や「和風」に対する考え方を知る上で極めて重要な建物といえる。岡田は歌舞伎座での和風意匠の用い方について、「奈良時代の典雅壮麗な趣と桃山時代の豪宕妍爛な味とを一処に」し、また「各デテールは各時代の長所を採り入れて、一つの時代様式に拘泥しない」ことを述べており、複数の様式を折衷して全体をまとめ上げることを意図していたと考えられる。具体的には、破風や虹梁のデザインにおいて豪壮な桃山時代を意識したと見られ、一方では庇やテラス部分には鎌倉時代以降に用いられた挿肘木のデザインを用いており、そうした点などに岡田の設計意図を窺うことができる。

2-2. 吉田五十八の和風意匠をインテリアに適用した劇場建築としての重要性
 一方、現存建物の室内意匠にはもう一人の設計者である吉田五十八が得意とした和風意匠の扱い方を見ることができる。特に客席の吹寄棹縁天井については、同時に間接照明を仕込んでデザインした点が注目され、これは吉田が「新興数寄屋」と称して独自に創出した和風のデザイン手法を劇場空間に応用したものと見ることができる。また、吉田の伝統理解は壁仕上げや塗装などの内装にも反映していると考えられ、吉田は玄関ホールについて「色彩は日本味豊かな古代色を基調と致し」(吉田)て濃朱の柱を用いたと述べ、また劇場の壁面については「日本的文様」(吉田)を用いたと述べている。
 なお、吉田は劇場部分と舞台部分の大屋根を陸屋根に替えたことについて、「近代感覚と藤原桃山時代の優雅な味とを持たしたつもり」と述べているが、陸屋根を用いて和風を軽快に表現するのは吉田の得意とする手法であり、日本芸術院会館(1958)や五島美術館(1960)などがその事例として良く知られている。

****以上、*****

****2/18開催の中央区都市計画案説明会案内(歌舞伎座に係る部分やポイントは、赤字 小坂による)****

区決定案件

公告・縦覧する都市計画(案)


1東京都市計画地区計画日本橋・東京駅前地区地区計画の変更
<地区計画区域>
  日本橋本石町一丁目~四丁目、日本橋室町一丁目~四丁目、
  日本橋本町一丁目~四丁目、日本橋一丁目~三丁目、
  八重洲一丁目~二丁目および京橋一丁目~三丁目各地内
<変更内容>
  地区計画の目標、区域の整備・開発及び保全に関する方針を、東京駅前の八重洲・京橋周辺を対象として追記します。また、京橋二丁目2、3番において開発事業により計画される歩道状空地や貫通通路を地区施設に位置づけます。

2東京都市計画地区計画銀座地区地区計画の変更
<地区計画区域>
  銀座一丁目~八丁目各地内
<変更内容>
  銀座四丁目12番において開発事業により計画される地下広場を地区施設に位置づけます。
⇒小坂注釈:歌舞伎座再開発の計画の部分はここです。

3東京都市計画第一種市街地再開発事業の決定
<名称>
  京橋二丁目西地区第一種市街地再開発事業
<対象区域>
   京橋二丁目地内
 (京橋二丁目2、3番で行われる開発事業について市街地再開発事業の決定を行います。)


4東京都市計画江戸橋特定街区の決定
<対象区域>
  日本橋一丁目19番
 (日本橋一丁目19番で行われる開発事業について特定街区の決定を行います。) 

縦覧期間及び意見書の提出期間(上記1~4共通)
 平成21年2月18日(水曜日)~平成21年3月4日(水曜日) (閉庁日を除く)
 午前9時~午後5時


縦覧場所及び意見書の提出先
 上記1~3の都市計画:区役所5階都市整備部地域整備課
 上記4の都市計画:区役所5階都市整備部都市計画課

 中央区民および利害関係人は意見書を提出することができます。


説明会の開催
 上記1~4の都市計画(案)についての説明会を開催します。ご参加ください。
※説明会は、東京都市計画江戸橋特定街区の決定、東京都市計画地区計画日本橋・東京駅前地区地区計画の変更および東京都市計画第一種市街地再開発事業の決定、東京都市計画地区計画銀座地区地区計画の変更の順番で説明する予定です。

日時 平成21年2月18日(水曜日) 午後6時30分から
    なお、議事が終了次第、閉会いたします。
会場 区役所8階大会議室

※詳しくはお問い合わせください。



都決定案件
東京都決定案件である都市計画(案)が東京都において公告・縦覧されますので、本区でも同時に縦覧いたします。

公告・縦覧する都市計画(案)

1東京都市計画都市再生特別地区の変更
(京橋二丁目3地区、銀座四丁目12地区

縦覧期間
 平成21年2月18日(水曜日)~平成21年3月4日(水曜日) (閉庁日を除く)
 午前9時~午後5時


縦覧場所
区役所5階都市整備部地域整備課


東京都においては、都市整備局都市づくり政策部都市計画課(都庁第二本庁舎21階)にて縦覧することができ、意見書を提出することができます。
※詳しくは東京都へお問い合わせください。(電話(代表)03-5321-1111 内線30241)
⇒小坂注釈:東京都への意見書提出期限は、3月4日必着です。


【問合せ先】
都市計画課都市計画主査
電話 03-3546-5468 ファクス 03-3546-9551

地域整備課まちづくり推進主査
電話 03-3546-5447 ファクス 03-3546-9551

*****案内以上*****

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【歌舞伎座 UP DATE 2】歌舞伎座建替え記事 補足 

2009-02-19 07:51:58 | 街づくり
全面建替えの記事を転載しておきます。

****朝日新聞より*****
http://www.asahi.com/showbiz/stage/kabuki/TKY200810200389.html

歌舞伎座、2010年4月で閉場 全面建て替えへ

2008年10月20日

 

写真建て替えが決まった歌舞伎座=20日、東京都中央区、小宮路勝撮影

 日本を代表する歌舞伎専門の劇場「歌舞伎座」(東京都中央区銀座4丁目)が10年4月の公演を最後に、全面的に建て替えられることになった。松竹が20日発表した。老朽化に伴うもので、新劇場は13年中にもビルと劇場の複合施設として誕生する。戦後、60年近く歩んできた名建築が姿を消すことで、保存を求める声も上がっている。

 工事中の代替劇場は、東京・新橋演舞場を中心に大阪松竹座、京都・南座などが担うという。

 1889年に誕生した歌舞伎座は、漏電による焼失や関東大震災などの影響で増改築を重ねたが、第2次大戦の東京空襲で焼け野原の銀座に外郭だけ残されたため、50年に新築された。日本俳優協会の中村芝翫(しかん)会長は「私にとって家のような劇場だったので寂しい。お客様の便利さも踏まえつつ、今の歌舞伎座のにおいをとどめた新劇場を期待したい」と話す。

 現在の建物は02年、国の登録有形文化財になった。松竹は05年に「07年着工、10年再開場」の計画予定を発表。これまで現状保存案なども検討されたが、「バリアフリーの不備、耐震の問題から現状維持は難しい」(安孫子正専務)と全面建て替えを選択したという。

 建て替えを巡っては、観客から建物保存を求める声が上がっているほか、日本建築学会が06年4月、「歌舞伎座の保存に関する要望書」を提出。山崎鯛介・千葉工業大准教授(日本近代建築史)は「登録有形文化財になって数年で取り壊しの判断をする点は説明不足ではないか」と話している

 歌舞伎座では09年1月~10年4月の16カ月間、“歌舞伎座さよなら公演”を予定している。劇場でのアンケートなどで観客からも希望演目を募集する。

******記事転載おわり*****

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東京都へのお願い、どうか情報を出してください。

2009-02-18 21:54:13 | 築地を守る、築地市場現在地再整備

 技術会議の速記原稿を東京都に情報公開請求をしていました。
(情報公開請求内容等⇒http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/6f093ee8c2f5a10d8430a9109d767efe )

 本日2/18、なんらかの回答をいただけるということでしたが、得た回答が、とても残念でした。

 私は、全部の会議、12回分の速記録を請求しておりましたが、東京都の回答は、私の請求は、第一回の会議の速記録のみの請求であるということでした。
 昨年末あたりから、しつこく、“全部の会議”の速記録をお願いしており、それは、何度も確認していたはずなのに、いきなり、“第一回分のみ”と言われました。
 私の書類の不備があったのなら、昨年からお願いしてきたときに、なぜ、指摘くださらないのでしょうか。

 では、その第一回の速記録を本日いただけるのかとなると、それも「出せない。」ということでした。

 どこか消す作業をしているが、それが終っていないということであり、では、出来た部分だけでもと、お願いしましたが、それもダメでした。

 東京都はなぜ、頑なに技術会議の情報を隠すのか、理解できません。
 実際に技術会議で話された内容と、会議録で公開している文面の間の乖離が大きいので隠すのでしょうか?


 会議録は、昨日お知らせしたように、公開されました。とはいえ、第1回から第10回までであり、第11回、第12回はまだであります。
 最終報告が出終わっているわけであり、早急に公開すべきです。
 都議会も本日から始まったわけであり、これは本当に早急にすべきです。
 本当をいうと速記録も、今回の都議会に間に合わせていただきたいと思っています。
 
 私も公開された全会議録を読みましたが、問題が多いと思います。

 まず、委員名があきらかにされず、すべて、(委員)となっています。どの委員の発言か不明です。発言委員名はあきらかにすべきです。

 もう一つ、気になることは、これは、もう少し読み込んで判断すべきだと思いますが、果たして、この技術会議で、土壌汚染処理の細かなやり方や採用技術が決められたかどうかということの疑いです。どこか、別の組織があり、そこで青写真が作られ、それを技術会議の場で、委員が、承認したのではないかという疑いです。
 それが悪いというのではなく、そのような別の組織があるのであれば、東京都はそれを明らかにすべきだということです。
 これは、現段階では、あくまで、会議録の文脈や行間から読み取った憶測なので、この場でとりあえず、止めておいていただければ幸いです。
 そのように感じた理由は、委員が、あまりにも専門家会議の内容を知らなくて、知らないということは、主体的に考える姿勢がないということで、ということは、別の組織が主体的に考えたことを出してきているという想像ができるのです。

 今後、会議録を分析しての技術会議の問題点を指摘させていただきます。
 

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【平成21年度予算案 分析⑧】ワークライフバランス社会の実現

2009-02-18 11:55:37 | 財務分析(予算・決算)

 2/17、下記のシンポジウムが開催され、参加してきました。

****案内抜粋(文言、一部改変)*****
 「何がワークライフバランスだ。不況でそれどころじゃない!!」という声が聞こえる中、NPOフローレンス及び品川区がワークライフバランスシンポジウムを開催いたしました。
 日本がワークライフバランス化の方向に進むのか、それとも従来型の正社員・男性・長時間労働の働き方のみが奨励される社会に逆戻りするのか、 という踊り場にある今、積極的な提言と現場からの解決策を徹底的に議論されました。

 2月17日(火)
 品川区産業振興課・東京商工会議所品川支部共催セミナー
  ~中小企業ワークライフバランスシンポジウム~
         不況を超える!中小企業のワークライフバランス戦略
 
  http://k.d.combzmail.jp/t/9t43/80zmvsv0xe43nj3ry1

****抜粋終わり****

 前段の事例発表は聴けず、途中シンポジウムからの参加となりましたが、そこで得た情報を元に、感じたことや自分の考えを述べます。

*行政側では、ワークライフバランスは、商工観光関連部署、子育て支援関連部署、男女共同参画関連部署と部署がまたがり、縦割り行政の障害がある。

*行政側としては、ワークライフバランスが、中小事業所の活性化に繋がることを目指すことの一つとしている。

*中小事業所が取り組むきっかけ作りを提供できればよい。

*きっかけ作りの一つは、従業員の満足度調査(ES調査)である。

*中小事業所が取り組むかどうかは、最終的には、社長の意向による。(社長のやる気)

*国や行政の施策の一つは、取組みの優良企業の表彰。

*ある事業所社長からは、補助などはいらない。フェアーな競争環境を整えてくれさえすればよい。正直者が馬鹿を見る世の中ではいけない。
 いらない規制をなくし、社会保険に入るなど遵法の徹底をするべきであると意見された。

*経済産業省は今後、ワークライフバランスの実践マニュアルを作成し、リーフレットの形で一万部配布をする予定。
 そこでは、ワークライフバランスの優秀な取組みも掲載する。

*マニュアルでは、具体例の掲示で終らず、個々の事業所で、具体的にどう活用するかまで、踏み込んでほしい。

*経営の危機的状況である今であるからこそ、ワークライフバランスの取組みが、危機を脱することに奏功すればよいと考える。

*ワークライフバランスにより、働き方が変わり、自分が変わる。そのような国民運動へつながるとよい。

*ある社労士からは、ワークライフバランスという前に、労働基準法、育児休業に関する法律、これら法律を守ることからはじめるべきであり、これらが、守られれば、ワークライフバランスは達成できると指摘があった。
 従業員満足度調査も、従業員が、これら法律をしってうけるのと、しらないでうけるのとでは、おのずから結果が異なってくる。

以上、

 中央区では、来年度予算で、ワークライフバランスに関し、以下が予算化されています。
****21年度中央区予算、ワークライフバランス関連欄抜粋****
(6) その他の主要事業
「男女共同参画社会の実現」

新規◎ワーク・ライフ・バランス推進企業の認定 5,000千円
 仕事と家庭の両立支援や男女ともに働きやすい職場の実現に向けた取り組みを実施する中小企業・事業所を認定・公表し、啓発を図るとともに、認定に向け取り組む企業に対しアドバイザーを派遣し助言や情報提供を行う。
  * 対象企業 常時雇用する従業員数が300人以下の区内事業所

新規◎ワーク・ライフ・バランス認定企業に対する商工業融資における優遇利率の適用《再掲25頁》 -千円
 ワーク・ライフ・バランス認定企業に対して、商工業融資における優遇利率を適用する。

新規◎育児中の保護者社会参加応援事業 300千円
 育児に多くの時間を費やしている父母に対し、女性センターにおいて社会参加の機会と交流の場を提供する。
  * 対 象 者 1歳以上の未就学児(保育園、幼稚園入園前)の保護者
  * 実施内容 講義および講義内容を基にディスカッション
         女性センター内で交流などを行う自由活動

新規◎女性センター「ブーケ21」ホームページの開設 1,954千円
  男女共同参画の普及啓発と情報発信のため、ホームページを開設する。
  * 掲載情報
   ・ 区の男女共同参画情報
      女性センター「ブーケ21」の施設利用情報
      男女共同参画講演会等の参加者募集
   ・ 男女共同参画活動団体の情報
   ・ 国や都などの関係団体の情報 等

****抜粋終わり****
  
 シンポジウムも参考に、私の考えを述べます。

 ワークライフバランスというと「仕事」と「家庭(&個人の生活や趣味)」という二項のバランスに目が行きがちな表現であるが、その意味するところは、もっと広い。私も、二項のバランスだけではなく、少なくとも、「仕事」と「家庭(&個人の生活や趣味)」そして「地域社会活動」のトライアングルがまず、イメージされるような広がりが施策の展開にあってほしいと願う。(ある意味、ハンナ・アレントがいう人間の活動として「labor」「 work」「 actibity」の3つがあるという考え方と近いと思っています。)
 理想を述べることを許していただけるなら、日本のすべての事業所において、労働基準法で謳われている内容が遵守され、皆が社会保険制度に加入して労働するような社会になるだけで、「ワークライフバランス」の目指す目標は達成されると考える。わざわざ、「ワークライフバランス」の施策など導入することなしに、大多数が達成されるのではないだろうか。
 社会保険庁の体制整備、中小零細企業の環境整備、日本・世界の経済状況の立ち直りがあっての実現となり、理想の実現には、かなりの時間がかかる。また、一部過重労働が必要な現場の改善にも時間がかかるであろう。
 現実の問題として、中央区もこの度、ワークライフバランスに関連して、予算がつけられている。有効な実施に当たっては、庁内の関連部署との連携を密にすることが当然のこととして、如何に、中小零細の事業所に取り組んでいただくか、かなりハードルが高い。予算はとったが、いくつの事業所とくに、商店街などの中小零細事業所が実践されるだろうか。
 取り組むきっかけ作りには、単に講演会開催だけでなく、もうひと工夫が必要かもしれない。
 民生費部門・教育費部門等における、子育て支援環境の整備とともに、ワークライフバランスの施策の目標が達成されるようにしていきたい。
 すべての施策に通じるが、最終的には、意識改革(意識変容)を如何に起こすかが鍵である。

以上、

 予算特別委員会では、もうひと工夫まで、踏み込めればと思います。
 皆さん、アイデアをよろしくお願い申し上げます。

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都議会の日程

2009-02-18 10:24:59 | ブログ目次 / イベント情報・会議日程

豊洲土壌汚染と築地市場移転問題の件は、都政とも密接に関連しますので、
東京都議会の日程を掲載します。

   平成21年第1回都議会定例会日程

   代表質問(本会議)  2月24日(火)

   一般質問(本会議)    25日(水)、26日(木)
 
   常任委員会      3月 2日(月)、 3日(火)

   中途議決(本会議)     5日(木)

   予算特別委員会
     総括質疑       11日(水)~13日(金)

   常任委員会        16日(月)~19日(木)
 
   予算特別委員会
     しめくくり総括質疑  24日(火)
     討論・採決      25日(水)
 
   閉会(本会議)      27日(金)


   ↓日程のページ
   http://www.gikai.metro.tokyo.jp/schedule/first.htm

以上、

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間伐材の有効利用

2009-02-18 08:44:00 | 地球環境問題

 間伐材を、もっと利用できるのではないか、いろいろ提案をしています。  

 このたび、本日2/18の日経新聞東京面で取り上げられておりますが、中央区東日本橋の「清杉通り」で間伐材を使った歩道整備の実験が始まりました。(3月下旬まで)。実施主体は、「日本橋みゆき通り道路実験協議会」。

*歩道の舗装材として間伐材の活用 中央区の森をもつ檜原村など多摩地区の森林から伐採した木材のチップを、ブロック、コンクリートと混合した三種類の舗装材を長さ8m、幅2mで敷く

*交差点に間伐材で作ったベンチを設置  


3月下旬まで実験し、
*歩きやすさ、施行後の安全性や強度、補修のしやすさを検証し、導入の是非を判断。   


様々なところで、間伐材を用いるアイデアが広がっていけばよいと考えます。  
間伐材を用いるアイデアを、どんどんお寄せ下さい!  


ちなみに、来年度の中央区の予算案では、
****予算案抜粋****
檜原村間伐材の有効利用(公園などでのフェンス、花壇枠組み等)
*「中央区の森」の新たな展開 間伐材の活用 1473千円
 中央区の森事業によって間伐された木材を活用する
 )炭火焼きを行い、区内デイキャンプ場などで活用する
 )東京都内工場でボードに加工し、床材・家具等の材料として一般に流通させる。
 )奥多摩の工場でボードに加工し、本区の街路樹の支柱などに活用する。
 )コースターや鍋敷きなどの啓発品を作成し、イベント等で活用する。
*****抜粋終わり*****

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