京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

3人6つの手をかざして

2025年02月14日 | 日々の暮らしの中で
何か寄り合うことがあれば炭をおこして二人に一つの火鉢を用意したものだったが、出番はぐっと減った昨今。
二人の間の火鉢自体が熱を放ち、手をかざし合いながら暖をとる光景もまた部屋を暖めるぬくもりがある。


薬缶がシュンシュン音を立てる大火鉢のぐるりで、3人6つの手をかざしおしゃべりにいとまがない。

もっとも、二人はそれぞれに一方通行で、気のすむまで自分のことをしゃべり続けるから話は膨らまない。いるんだよなあ、こういう人。わかっているので必然、一歩下がって聞いている。まあ、ようけようけ喋って気を晴らす。噛み合わない話も、そのこと自体をおかしく聞かせてもらうのだ。
ただ…。

昔から少しも変わらないまま歳だけは80歳になられた感じのTちゃん。
「keiさん、おとうちゃんがな死にそうなんよ」と言いだす。
自分の連れ合いを他人に「おとうちゃん」というのも若いときからだ。けど、今はそんなことより「死にそう」だというTさんの様態が気になる。

入院しているのだが、昨日も今日もTちゃんは孫のピンクの傘を杖代わりにして、どこへ行くのか家のぐるりを歩いている。
「わたしは今年なんと80になるんやわ、keiさん」 会うたびに口にするTちゃん。

どうやらさほど“おとうちゃん”に緊急性はなさそうなのかな。話し半分に聞いてはいるものの、ぞんざいに聞き流せないことだってある。
ぼーっとしていて疲れたような、なんとなく安らいだような…。気を遣うことの要らない心やすさがあるせいかもしれない。

五目豆を炊いた。うまく煮立てて食す楽しみ。

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