今日で八月も終わるという日、同好の仲間と師を囲んで、会食を楽しんだ。
34度台の厳しい残暑が続くが、いくらか台風の影響をうけていたのだろう、黒い雲が流れる帰り道だった。
「それがどうした」 この言葉を俳句の下に続けよと言う話になってドキリとさせられた。自分が書いた文章の最後に続けてみよ、と言われた思いだった。常々言われている「だからどうしたの?」という文章のつまらなさ、表題ですべてがわかってしまう愚かさ… 思い出すだけで耳が痛い。皆が知っていることは書くな、独りよがりの… まだまだある。
七年前、知恩院の石段を上るのに息が切れた師は、「あなたは五木さんより若いのに」と笑われたそうだ。ただ、あとになって思えばだが、五木寛之氏がそのころから『親鸞』を書くために緻密な取材を重ねられていたのだなと思っていたという。
ネットで大量の情報を集めることもある。だが、そうして集めた情報を使うためにではない。取材して聞き得たものでもない、いまだ知られずにある、情報と情報の隙間にあって知られざるものを文章に、作品に生かすためなのだと、ご自身の経験からも披露…。
聞き得えたことを利用して取材文に「挑戦させられた」かつて、顔が赤くなりそうだった。
「人生はつらい」「あ~、人生はほんとにつらい」と繰り返しながら、行きつけの飲み屋さんのママ亡き後の酒の整理に向かわれた。仲間と店の整理をしているのだとか。本日を持って閉店につき、「人生はつらい」と笑みを浮かべながら~。
生ぬるい環境より、意見を戦わすような場は多くあったほうがいい。ま、「戦わす」ほどでなくてもいいか~。