
起きるには早すぎる午前3時。まだ眠ってから3時間と経っていないのだから困ったものです。
読みかけの『活版印刷三日月堂 庭のアルバム』の最後を読み通した。八木重吉の第二詩集『貧しき信徒』から十編余の詩(タイトルだけも)が登場してきた。
「冬」
木に眼が生って人を見ている
一行だけの詩だが、読んで、なんかわかるなあと思っていたのが、時間が時間だけに今思うとおかしい。
午後から「歎異抄」のお話を聞かせていただくつもりでいたので、その前にちょっと目を通しておきたいと開いた本に吉野秀雄の話が出てくる。歌人であり良寛の研究者として知られるが、「歎異抄」に深く傾倒してメッセージを発し続けた人でもあった。
吉野氏は43歳の年に妻を病気で亡くしている。
病む妻の足頚にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし
重吉の死後、彼の妻だった登美子さんは吉野氏の妻となる。夜中の八木重吉とここでつながるのだった。
講師は奈良の吉野にある寺のご住職。「歎異抄」は誰が編んだか(唯円の名はここで出てくるわけだが)、〈異を歎く〉というところからお話は始まった。唯円坊のお墓は同じく吉野の龍興寺さんにあるのだとか。親鸞と唯円、私の最初の出会いは中学か高校時代の課題図書で読まされた『出家とその弟子』(倉田百三)だった。
小さな偶然が重なったように見出された不思議。偶然と感じる発見もまた楽しいことだが、そう言えばさっき、「不思議」とは言葉では思えないこと、とかお話だったような。だから何?と言われてもだけれど…。
(樹齢400年といわれる銀杏の「眼」は… 2/24)
今日は、何故かしきりに啄木のことを想う日でした。彼は明治45年27歳で逝きました。
八木重吉は昭和2年、これまた享年30歳で世を去っています。歌を詠み、或いは
詩をつくり、命を燃焼して時代を駆け抜けて行ったのですねぇ。(涙です)
私は啄木は勿論のこと、八木も吉野も好きです。あの人も、この人もなんて言いますと、
材木屋さんと言われそうで、一応、世間では啄木愛好家ということになっています。
八木重吉の詩作は、亡くなる前6年ほどの間です。でもそれは1600にも及びます。
あの、ひらがなの多いやさしい詩は心を打ちますね。
けしきが あかるくなってきた
母をつれて てくてくあるきたくなった
母はきっと 重吉よ重吉よと いくどでもはなしかけるだろう
重吉の奥さんの登美子さんは、重吉が亡くなった時23歳でした。さらにまた2人の子をも
亡くしました。40歳頃に、吉野家に入ったのだと思います。とてもご苦労なさった方です。
八木重吉は肺病でした。吉野秀雄も胸を病みました。登美子さんにはクリスチャンの重吉の
影響を受けていたからこそ耐えられたのかと。
吉野秀雄は65歳で亡くなりましたが、死の3年前に「死はほんとうにおそろしい。」などと、
書いています。前妻の、はつこ夫人は来世はないと言われていました。秀雄の歌に
死ぬ妹が無しとなげきし彼の岸を我しぞ信ず汝とあがため
や、
称名に安心はなしゆれやまぬかなしき心促せば申す
があります。
まあ、この辺りが彼の死生観だったのだろうと。その後、歎異抄との出合いがあったのかと。
それ(弥陀の誓願不思議)を信じなくては生きてはいられぬ・・・」とも書いています。
ゴメンナサイ。つい、長々と。私のカウンセリングや啄木の話の中で、つい脱線してはこのような
話しになることがあります。それにしても、登美子夫人は素晴らしい男性二人の妻であったの
ですね。越後出身のとても美しい方だったとか。
お後がよろしいようで。失礼致しました。
そして、yo-サンからの、熱のこもったお話を賜りました~。何かに導かれるよう…。
かなりご高齢と思われる方が多いところで、「歎異抄」を編んだのは誰かというお話は、
あまり楽しいものではありませんでした。
「弥陀の誓願不思議」「私は人に語れるような信仰を身につけていない。
しかし、いつしか何がしかの信心をさずかっているのかもしれない」
懊悩の中で会得した氏の思いを、私が引くのもおこがましいのですが、気持ちを重ねることができますような。
いいわけかしら…。ありがとうございました。
3時はまだ経験していません。
翌日に差しさわりがおありだったでしょう?
翌日でなくて当日でした。
八木重吉さんは知っています。
以前、何かの折に画像を見て
中原中也に似ていたと記憶しています。
「歎異抄」亡夫の蔵書にありますが
読めません。
いつかは読んでみたいと思います。
「病む妻の足頚にぎり昼寝する末の子みれば死なしめがたし」
胸痛みます。
ぐっすり寝たような感覚で目は覚めるのですが、早すぎますよね。
いろいろなことを考えてしまいますので、それよりはと本を読んだりします。
夕食後にはうとうと…です。
無宗教という人は多いですが、その割に仏教関係の本はよく売れるそうです。
「歎異抄」も、今ではずいぶんとたくさんの解釈本?が出版されていますね。
それだけ人気があるということのようです。
私は10年ほど前になりますか、一冊を求めました。
ただ、読んで理解するとも言えなくて、お話を聞く機会をいただきながらです。
歌の光景が目に浮かびますし、思いが伝わるだけになおさら切ないですね。
丈夫な方だったようです。