京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

日常

2024年12月13日 | 日々の暮らしの中で
厳しくなってきた寒さの中で色を凝らしているけれど、近づいてみれば葉先は色褪せが始まっている。
それでも、「日おもてにあればはなやかな冬紅葉」(日野草城)。


この秋は紅葉の観光名所を訪ねることは一度もなかったけれど、何度か大津方面へと国道1号線で逢坂越えをしたので、沿道の人の手が入らない木々が目の醒めるような色づきを見せてくれるのを楽しんだ。

感動的だった。車の流れもあって止まって写真を撮るなんてことができるはずもなく、だがそれがいいのかもしれない。脳裏に、まなうらによみがえる。

その1号線沿いに、もとは橋本関雪の別荘だったと聞くが、「走井 月心寺」と記した軒行灯が下がった庵のような小さな構えの門がある。
中の様子はうかがい知れなく、苔むした瓦屋根がのぞけ、うっそうとした木立、高みに積もった落ち葉に無住なのかと思うのだが、それらの樹々の紅葉もまたすばらしいものだった。
NHK朝の連続ドラマとの縁があるらしい月心寺。

何度か通うたびに色づきの変化があり、秋から冬への移行を感じてきた。
人の一生もどこか似通うものがある。

今日はかつての文章仲間6人が集えて会食の機会を得た。琵琶湖を見下ろし、鈴鹿の山並みを遠望したりするロケーションに、寛いだひとときを過ごした。
作品に触れるたびに向田邦子原作のドラマを彷彿させた大先輩がいたが、施設で亡くなられたのを知った。
どたばたと賑やかな取り込みごと多発の日常を、人間関係の葛藤も含めてよく書かれていた。

日常は書き残しておかないと消えてしまうものだとよく思ったものだった。
写真もよそ行きの写真よりも、ごちゃごちゃした日常の写真が断然面白いと永田紅さんが書いていた。時間がたった後に、懐かしく愛おしく価値を持つのは日常のこまごまの何でもない情景だと…。

これからは文章を通じてその姿を偲ぶしかない。

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