京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

なぜ?の答えはふと

2024年12月11日 | 日々の暮らしの中で
「貞応3年(1223)12月11日 運慶没す」

『荒仏師 運慶』(梓澤要)の最後の一行はこう終わっていたので、手持ちの歳時記にメモを残しておいた(旧暦では1月3日にあたるという)。
それが目に留まったというわけだが、東大寺南大門の仁王像、阿形像と吽形像の配置が向かい合う形になっていることが読後ずっと引っ掛かりを残していた。
何か特別な理由があるのだろうか。


重源上人は運慶の言葉を聞いて目を剝いて怒鳴り散らした。
「なに? 仁王像を向かい合わせるだと? そのために、門を造り直せだと?
痴れ者め! いまさら何を言うか。そんなことができると思うてか」


運慶はいつになく強引に上人の手を引いて外へ連れ出して言う。
 ー ご覧ください。参道を進んでくると、仁王像はいやでも目に入ります。最初は遠く、徐々に近くなって、門の前まで来て見上げる。これでは見る人は衝撃を感じませぬ。間近に来て不思議な像だと驚くより先に、目が慣れてしまいます。

前方の壁をふさいで見えぬようにしておいて、門をくぐる際にはじめて、
「向かい合った阿形と吽形が両側から睨み下ろしている。いやでも驚きます。巨大さにあっと声を上げ、奇怪な姿に圧倒されるでしょう」

 

(向かって左側に阿形像、右側に吽形像)

門は侵入せんとする魔や邪悪なるものを阻止する装置であり、仁王は戦士である。同時に、われら人間の心の煩悩や穢れもうち払う。そのためにはぎりぎりまで引き寄せておいて、一気に出現し、一瞬にして打ち倒す。その方が効果的だ。

じっと門をにらんで黙りこくっていた上人、
「あいわかった。すぐに門を造り直させる」と宣言した。
そのあと、運慶は吽形像の眼球の視線をより下向きに修正した。

といった具合で描かれていた。
大河ドラマでも時代考証をなさっている倉本和宏氏は、日文研退官記念講演で力説された。
「歴史を語るのに、歴史文学を根拠にしてはならない」と、資料の扱いの大切さを説かれた。
そうですよね。ただ、小説とわかっていながらそうかもしれない、なるほどなるほどと共感してしまう。とは言っても、本当はどうなんだろうと疑問は抱いている。思うだけなのだが。

「なぜ?をいっぱい持っておくと、答えはふといつかやって来るものだ」。ある講座を受講の折にアドバイスをいただいている。
来るまで待とう…。

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