
八月はもうあと明日一日だけ、という日。「絵本で英会話」のベッキー先生が、九月はどんなイベントがありますかと問われ、自ら話題にされたのは9月9日の「重陽の節句」だった。
古く中国には、重陽の日に近くの小高い所に登って酒を飲み、茱萸を髪にさして邪気を払う習慣があったという。王維の「九月九日憶山中兄弟」の詩で習ったのが漢文の授業でだった。
酒に菊の花びらを浮かべて飲んだりもする、菊酒がある。それに、8日の晩に菊の花の上に綿をのせておいて、露がおりてしっとりした綿で翌朝に顔を拭いたりしていた。『紫式部日記』には「いとよう老い拭いすて給へ」の一言が印象的なエピソードが記されている。
この、菊の露の化粧水?の話まで英語で、時に日本語を織り交ぜることで生徒の反応を見ながら、語られるベッキー先生。
菊には長命の霊性があるようだ。周の王に仕えていた少年が誤って王の枕をまたいでしまった。その罰で人里離れた山中に配流されたが、悪意のないことを知った王は、その枕に仏徳讃える詩を書いて与えた。少年が、その文字を菊の葉に書き写すと、葉の露が霊薬となり、それを飲んでいた少年は700年を過ぎても若いままで生きていた…。
そんな内容の「枕慈童」の一端を紹介されて、9日の演目にあるので良ければぜひとのお誘いである。「永遠の美少年の長寿を寿ぐ」曲だとか、重陽の風習にふさわしい上演なのだろう。
なんと言っても、難解さでこれまで敬遠気味できた能の世界だ。二人で行ったから理解しやすいということもないのに、一人では…。「行ってみましょうか?」「あなたが行くならね」と、再びT子さんと約束成立。したかに思えたが、これが少し危うい…。

勇気を出して、ひと手先へ手を伸ばす。足を踏み込ます。気持ちを前に向かせる。これしか拓くことはないだろう。こんな魅力ある人との出会いに、びっくり仰天止まりではもったいない。人との出会いが新しい出会いを生んでいく。わかっている。わかってはいるが、やめとけば…って声も聞こえてしまうんだ…。
元気者jessieちゃんを代表するような写真!
やっぱりひと手先へ・・・これでバランスが取れて前に進む、だから落ちない・・・。
ぶらさがったままじっとしていたら、すぐに落ちてしまいます。
一歩踏み出して「しもうた、やらんとけばよかった」と思うか「あの時やっておけばよかったのに」と、踏み出さなかったことを悔やむか。
踏み出してから振り返って悔やむ方が遥かに悔やみ甲斐があるように思います。
それにしてもベッキー先生、素晴らしい方ですね。ご一緒に先の一歩を!
あれっ?あれっ?とびっくりされた先生。間違ったことを言ったのか?というふうに~。
随分深く勉強されてるのですね、もう驚くばかり!
質問の観点も、ひとの話を興味深く聴かれたうえでのこと感じられます。
知りたいと思ったら行動に移さなくてはですね。
知らないでいることは恥ずかしくなりそう、こんな素晴らしい出会いを機に少しは勇気を出してみましょう。
腕の力も大したものですね。
影の写真に??と思いましたが、
すぐ謎は解けました。
異郷にあって肉親を思う詩、昔、暗記させられました。
「独在異郷為異客、毎逢佳節倍思親。
遥知兄弟登高処、遍挿茱萸少一人。」
名古屋と暑さの競争でもしているのかと思われるほどでした。暑かったです。
手にマメを作り、皮がむけるほど毎日練習しているそうです。
この勢いに思わず笑いがこぼれますが、力強い姿に見飽きることがありません。
高校時代の古典や漢文の授業に出会えなかったら、きっと今の自分もないと思えます。
どことなく敷居の高い能です。
式部同様こんな霊薬が欲しいですね。
いつの時代も女性には憧れなんですね。
写真のからくり、うまいことやられました。
jessieちゃん、足の指先までピンと伸ばして頑張ってますね。
何かと億劫になるこの頃「行動は人格である」という言葉を噛みしめるようにしています。
ひと花咲かせて、もうひと花?(笑)
先生が何を話し出されるのかと聞いていますと、菊の露の話です。正直驚きました。
能を学びながらどこまで深く勉強されてるのでしょう、興味は尽きません。
うんてい、懸垂など私はできませんでした。
すごい勢いで頑張ってるようです。
「小さな好奇心と少しの勇気」ですね。
形から入って内へと深化した動と静?
必要最小限のような動きの中で、
「能は何者かが現れる、その何者かの思いが主題… 」などということをかつて教えていただいたことがあります。
と、まあ頭だけではなく、実際自分にそうした何かが感じられるものかですね。
これだけパワフルな子どもですから、他の違った神経にもスイッチが入るようにと願ってしまいます。