京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

音して開く蓮の花

2024年07月22日 | 日々の暮らしの中で
   朝露に
   音して開く白蓮は
   み仏の声
   御陀の声

ずうっと昔、昔に、寺の掲示板で見かけた。


寂聴さんは21歳のとき、夫の赴任地の北京で新婚生活を送っていた。宿舎に近い什刹海(シージャハイ)の湖畔に、夫と赤ん坊と三人で蓮の花をよく眺めに行ったという。
「蓮は開くとき、ポンと音を出しているんだよ」
「なにも聞こえない…」
「だろう? …でもこの辺りの老人たちは…」
「聞こえた! ほら、…ため息みたいな声」
「そんなはずないよ、蓮に声なんかないよ」

今卒寿になって、と寂聴さんの話は続く。
浄土の蓮の花は車輪のように大きく白や赤、青、黄と華やかで、それぞれの色の光を放っているとお経ではいう。
〈もしかしたら、その花の開くとき、それぞれの霊妙な音を発するのではないでしょうか〉(『花のいのち』「蓮の声」)。


冷泉貴美子さんもやっぱり〈花は夏の朝早く、ポンと開き夜閉じます〉と、連載コラム『四季の言の葉』で書かれていた。

誰しも一度聴いてみたいと思うのではないだろうか。
なかなか聞くことができなくて何度も足を運んでいるうちに、死のうと思い詰めた人間の心に生きる力が灯った。花が開くときにポンと妙音をたてるというのは「美しい噓」だった、と澤田ふじ子さんは短編を紡いだ(『花暦』収 「蓮見舟」)。


荷風は枯れて破れた葉が広がる風景が好きだったようだ。
ひからびた茎の上に破れた蓮の葉がゆらゆらと動く。葉の重さに堪えず、長い茎の真中から折れてしまったりもする。
〈揺れては融合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、燃し云はれぬ情趣を含んだ響きが伝へられる〉(『曇天』)

枯蓮の風景を思い描くとき、なんやら少し、一瞬なりと体温が下がった気がした。
涼し気に、涼しく過ごすには、なんなりと工夫しなくちゃ。

蓮を見たり思ったりしているとき、仏教圏の国に育ったわたしたちが生死について何も考えていないということはない。これにはうなづけるけれど、蓮見の舟に乗り合わせて極楽浄土へとばかりでも、涼しさを通り越してしまいそう…。

盆月も近い。

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2 コメント

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美しい嘘を (りりん)
2024-07-22 21:02:13
こんばんは

「美しい噓」という言葉がとても印象に残りました。
花開く音を聞きたいがために、朝早く足を運ぶ
それが「希望」に置き換わったのでしょうか。
盆月が近いせいか、先日、亡き尊祖母を想い、咳で苦しい背中を摩ってる、そんな罪滅ぼしを、寝る間際にしていました。
娘さんが柚木裕子作品が好き~とても親近感が沸きました(^^♪
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生きる力に  りりんさん (kei)
2024-07-23 12:13:14
こんにちは。
おっしゃるように「美しい嘘」は、
「小さくても心の中に灯し火をたき続けて」いくことになりました(笑)

亡き人がとりわけ近くに感じられるときかもしれませんよね。
私も祖母(父方)との同居でしたから、今頃になって「もっと…」など思い返すことも増えました。
悔いも、心残りも、生きてるうちにこの世で恩返しですね。

私は以前、「オールノット」の著者を柚月裕子さんと麻子さんとで間違えてしまいました。
娘は大丈夫(笑) 喜ばれました。
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