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葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。
この山道に行きし人あり
釈迢空(折口信夫 1887-1953)の歌集『海やまのあひだ』の巻頭の一首。
深い紫紅色の花房が無惨にねじれて踏みしだかれている。この山道に自分より先に入っていった人がいる。どんな人か。
先んじられたことを口惜しがっているのではなく、私と同じことをたくらみ、それを実行した人がいるということに胸がときめいているのである。
杉本秀太郎氏はこのような意を読んでおられる。歌意は平明ではない、と言われる歌だが。
今日は迢空忌。
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「折口信夫」の名を知るきっかけとなった『折口学への招待 民俗文学への入門』は、高校を卒業して大学入学までの間に読んでおくよう古典の授業を通しての恩師から紹介された幾冊かのうちの一冊だった。
あとに続きたい。先生のような古典の授業をしたい。日本文学、それも中古文学を専攻したい、と自分の進む道をすでに思い描いていた。
日本文学の根底にある民俗学的方法なるものへの案内として、提示して下されたのだろう。
本がというより、恩師との大切な思い出の一つということで大事に手元に残している。
師とは長くハガキや手紙でやり取りさせていただいて、筆跡を、漢字とひらがなのバランスなど文字の表情とでもいおうか、よく真似をした。
民俗探訪のためにと足を使って分け入ることもなく、研究成果をいただく机上の学問だったけれど、学び、知るにつけ作品を読むうえで深みが増す。それはそれで楽しいものだった。
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ここ最近、大昔の学びを振り返る機会に恵まれて、懐かしい自分をそこに見出している。刺激が、自分をつつく。触発されて残っているちょっとの関心が、気持ちを動かすのだ。何年振りかというほどに『身毒丸』を読み返し、「次」を考えている。
これは幸いなことね。
ともし火が消えないうちにと縁をも生かす。生かさないなんてもったいないでしょ。
窓の外、冷ややな空気の中に澄んだ虫の声。