京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

年末に一つ、

2017年12月19日 | 講座・講演

昨年までの『奥のほそ道』に続き、「『徒然草』その真実」の講義を担当してくださる光田和伸先生は、短歌をご専門とされます。今日は、連歌がどのような文化を作ったか。兼好はそれをどう受け入れたか、といった視点からお話がありました。

もともと「片歌」の倍のものだった「短歌」。心通わすために、一つを半分ずつ受け持つことが日本の文化だった、とお話です。言葉の意味をずらし、解釈を変えて、一緒に歌う。連歌の楽しさ面白さを説かれる先生は終始にこやかでした。
ただ、兼好は連歌を文芸として評価していなかった。時代の新しいものに目は向かず、「なぜ流行るのだろう」と考えることがなかったあたりに、兼好の限界があると思う。(兼好の死後10年ほどで現代の文化の原型ともなる室町文化が花開くわけですが)兼好は新文化が誕生することの予感も持ってはいない。――と。

武家文化が強くなり、上方の奥行きのる表現に疎かった東人が素直に読んでしまったことなどもあって、無常観の文学という強い思い込みがある『徒然草』。ですが、「一つずつでは見えないが、恋愛体験の告白と思える段が互いに支え合ったときに、恋の面影が現れる」「『徒然草』は、そんな連歌の手法を散文に応用した最初の例だった」とのお説。1月の休講後、いよいよ「書けない恋を書く」のテーマに入る。その前にと、今日はこの連歌の手法に触れて下さった、のか。何層にもなる兼好の考えの深さ…。やはり興味深い作品です。

(孫のTylerからうつったのか)少々風邪気味でしたが、昨日は京都での文章仲間からの誘いを受けて懇親会的な良い時間を過ごさせてもらいました。
考えあぐねていても一歩踏み出せず、自分のスタイルを貫けばいいことかな…と思うに至り、来年の春からという約束で加わることに決めたことがあります。年末の一つの思い切りに、少しばかり余韻を引きずっています。時間は作って、過ごそうと思うのです。

                            烏丸今出川にある同志社大学の校舎が夕日を受けて。

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4 コメント

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こんばんは (Rira)
2017-12-20 21:44:00
赤い夕日が校舎をそめぇて〜♬←歌ボラで。

短歌 連歌 兼好…興味深く読みました
兼好さんは、いにしえの和歌がお好きなようでした
徒然草…存命の喜び 日々に楽しまざらん は印象的です。
来年の2月からの講義、たのしみですねぇ
一歩踏み出す事を胸に決めたのですね。
時間がないで終わっては もったいないですものね。
風邪お大事に。。
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Unknown (yo-サン)
2017-12-20 22:39:03
師走、何かとご多用の中にも文芸ご精進のご様子感じ入ります。
私は徒然が好きで(兼好法師が好きかな)、本箱のいつでも取り出せるところに。
法師は恋文の代書をしたとも伝えられ、何となく楽しいイメージを持っています。
もちろん、草紙も方丈も徒然同様によく読みましたが。(今は昔のことです。)

いつも「苦吟してる」と仰る俳人の友に「句も歌も、そしてエッセイも皆、楽しみながら
おやりになったら」なんて
申しております。他人のことだと思って。かく言う私も近頃は遅筆も極まりて。(w)

お風邪を召されたのですね。ジキニン飲んでじきに治って下さいませ。
私は葛根湯が常備薬です。カゼの引き初めに効果がありますよ。
今宵はこれにて。どうぞお大事に。

P.S:烏丸今出川辺りも交通量が多いですねぇ。

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存命の喜び、Riraさん (kei)
2017-12-21 10:21:15
こんにちは。

これまで読み過ごしてきた視点での気づきをたくさん与えられて、難しいなあと思いながらも、
文学は時代の中にあるということを改めて思ったりしています。
Riraさんよくおっしゃってますね、「存命の喜び」。名言ですね。
これまでの延長線上にあることですから、少し不安はあっても参加してみようと…。
これと思ったら(自分の楽しみごとばかりですけど)何としても時間は作り出すほうなんです(笑)。
昨日は風邪薬に負けました。眠くて眠くて!


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楽しみながら、yo-サンさん (kei)
2017-12-21 11:05:47
「しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、」とは、一言芳談ですね。ご縁を増やしてしまいそうです。
隠者の本質、理想、あるべきとする厳しい道を否定はしない兼好さん。隠者でありながら自身は極端に走ることもなく。
この二つの中に自分がいることを自覚し、自分の生き方に修正を加えながら生きている姿にも触れています。
なので、「句も歌も、そしてエッセイも皆、楽しみながらおやりになったら」というご友人へのお言葉を、
脇からそっくりいただいてしまおうと思います。どうそ笑ってお許しを。

なるほどジキニン、ですね。早めのパブロン、もあります。
このあたりを過ぎますと、烏丸通も北へはすいてきます。
ここ、「宗教スクランブル交差点」と五木寛之氏が書いておられるのを思い出しました。
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