Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

コーカサス周遊 2 バクー旧市街

2015-05-14 18:16:52 | コーカサス
4月30日

空港からバスで市内に向かううち空が次第に明るくなった。

本日のお泊りは旧市街の城壁内にある Atropat Hotel。
 
小さくて豪華でもないけれど静かだ。

ホテルに到着したのが朝7時、すぐに部屋に入れたがこれはS社のツアー、午前中は休養なんてことはない。
「異存がなければ8時50分に集合して観光に出発します」との添乗員の声に反対の声は一つもない。

そこで英語ガイドのおじさんに先導されて、まず向かったのはホテルから徒歩5分の「乙女の塔」。
 
12世紀の見張り塔で本来は屋上に上がって旧市街を見渡せるそうなのだが、最近ここから落ちた観光客がいたので屋上は封鎖中とのこと。
すぐ隣にあるのはバクーの第一次石油ブーム(19世紀末~20世紀初め)の際の石油成金のお屋敷だそうで
 
城壁のすぐ外側にはこんな重厚な建物がいくつもある。

 乙女の塔の前からは、おお、これが見たかった、バクーのシンボル的フレームタワーが見える。
バスに乗って次に向かうのはこのタワーの真下と言うことで
 着いてみると高台にある190mのガラス張りのビルは圧巻。
3棟ある建物はホテル、オフィス、マンションになっているそうだが、不思議な形で使いにくくはないだろうか。

このビルのお向かいには殉教者の小路と呼ばれる墓地があって、1990年のソ連軍の侵攻による犠牲者、1991年~1994年のナゴルノカラバフ紛争の犠牲者が葬られている。
ここでガイドさん、「写真なんて撮ってないでまずは私の話を聞きなさい」とおっしゃるのでツアー一同、日本ではあまりなじみのないアゼルバイジャンの近現代史に神妙に耳を傾ける。おかげでこの辺りの写真を撮りそこなったが、アゼリー(アゼルバイジャン人)のロシアへの恨みの強さは良くわかった。

ガイド氏の講義を聞き終わって墓地から先へ進むと、高台の公園からはカスピ海が一望できる。

第二次石油ブームで景気のいいこの国のこと、町中に新しいビルを建設している様子もよくわかる。

フレームタワーの前にモスクが見えるのはイスラム教国らしいが、公園にいっぱい来ていた女子高校生たちはポーズを取ったり自撮りをしたりおおはしゃぎ。
 
日本人は珍しいと見えて「一緒に写真に入って」とまた大騒ぎ。
眉もまつ毛も真っ黒なアゼリーはトルコ人やイラン人よりも濃厚な顔立ちで、イラン人同様に人懐っこい。

カスピ海を眺めた後はまた旧市街へ。
  
城壁には3つの炎をかたどったバクーの紋章が見えるが、炎と言うより心臓か白菜みたい。

城壁のすぐそばにあるのは16世紀以前にこの辺りを治めていたシルヴァン朝の王宮、シルヴァン・シャー・サラユ。
 
と言っても地味な建物で内部は博物館になっているが
  
ドーム天井のきれいな模様がよく見ると映像の投影で絵柄が変わったり、見せ方はかなり工夫されている。

 ここで旧市街の全体像を把握して街歩きへ。

 
一番大きな門は13世紀のシャマフ門。

建物はどれもきれいに修復されているが、木製のベランダが突き出ている造りはオスマントルコの影響だろうか。
 
猫が覗く窓があったり、旧市街歩きは楽しいが、道が狭くて入り組んでいるので
 パトカーもこんなにかわいい。

 
朝には開いていなかったお土産屋さんも店を広げていて
 
木彫りのザクロがよくできている。

 
お昼になってコーカサス最初の食事は地下のレストランで。
 
サラダ類に塩辛いフェタのようなチーズと生のハーブ類が必ず出されるのがこちらのお約束らしく、
 
結構大きな鱒はカスピ海で獲れたものだろうか、おいしくいただいて〆は甘いサクランボのジャムとトルコ風のチャイ。
アゼルバイジャンの南でもお茶が作られているそうだが、アゼリーとトルコは兄弟のような近さで言葉もそのままでも通じるそうで、食文化もかなり近そうだ。


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コメント (2)
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