さて、メインのグジャラート。
デリーでツアーご一行様11名と合流して、朝4時半にホテルを出発、飛行機でアーメダバードへ。
モスク、ハヴェーリーなど市内観光の後、ガンディー・アシュラム。じつに質素な部屋にあの有名な紬車があったりして、ずいぶん昔に見た映画など思い出しながら見学。
アーメダバードでの個人的ハイライトはキャリコ博物館。ここは織物専門の博物館で、定時のガイド付き見学のみ、写真撮影一切不可と厳しい。織物を保護するため館内の照明も薄暗いが、中はまさにお宝の山。気も遠くなるほど細かい刺繍やら染色やら、昔の権力者の威光の表れというべきか。ここで絣、特にダブル・イカットと呼ばれる縦糸、横糸の両方を縛る複雑な絣の発祥地はグジャラートだと教わる。イカットはインドネシアが有名だが、あれはある王様が結婚式のために特別な布地をとグジャラートから職人を呼び寄せ、それで伝わったのだそうだ。インドネシアがインド文化圏だということ、一昨年ボロブドゥールに行くまで意識していませんでした。なるほど。日本の絣はどういう経路で広まったのだろうか。
昼食後は郊外のアダラジの階段井戸へ。階段井戸には惚れ込んでしまったので、これについては別項で詳述。
その後ポシナへ向かうが、途中現地ガイドさんの自宅に急遽立ち寄り。ぞろぞろと家庭見学をさせていただく。英語の先生をしているというとても愛想のいい奥様、台所がきれいに整頓されているのが印象的でした。
2日目はグジャラート州北部、ポシナ周辺の村めぐり。ホテルのオーナーのマハラジャ自らガイドをして、さすが村の人たちからはそれらしい対応をされていた。マハラジャも最近は邸宅の維持、ビジネスなど何かと大変らしい。
この近辺で有名なのがテラコッタの馬の祭壇。願い事があると新しい馬とココナッツ、ジャグリーをささげてお祈りする。我々も真似事をさせていただいたが、果たして効能やいかに。
3日目。はじめにアンバジのヒンドゥー寺院へ。ずいぶん大きな寺で参拝客がいっぱい。参道に土産物屋が並ぶさまは浅草寺みたい。
パタンで一軒だけ残るというパトラ織り(ダブル・イカット)の工房を見学した後、ラーニーキヴァーヴの階段井戸、さらにモデラーのスーリヤ寺院へ。すばらしすぎるのでこれも後述。
小カッチ湿原の観光拠点、ダサダのロッジに宿泊。
4日目の朝は小カッチ湿原に動物を見に行くためジープに分乗。日焼け対策とはいえ、皆さん怪しすぎます。
水辺ではペリカン、フラミンゴ、カモなどが少しいただけで今日は不作。
動物の方はアジアノロバ
ブルーブル(カモシカの一種)が見られてこれはラッキー。
乾燥しきった湿原の奥には塩田が作られ、塩の山ができていた。ここで好きなだけ塩を持って行っていいと言われ、みんな大興奮。動物を見たときより盛り上がる。
珍客の襲来に袋詰め作業員の皆さんにも喜んでいただいたようです。
午後は周辺の村めぐり。独特の衣装を着けた各部族についてはまた後で。
5日目はダサダからブジへ長距離移動。
途中の路上では遊牧民ラヴァリ族の移動とすれちがう。
らくだに家財道具一式、子供を乗せての移動。どのくらいの距離動くのだろうか。
6日目、ブジ周辺の村めぐり。このあたりは何年か前の大地震でひどい被害を受けたところで、そのため村ごと新しい場所に移されたところもあるようだ。家の外壁に民俗画が描かれているはず、と楽しみにしていたが、古い家が壊れてしまったので絵のある家は見かけなかった。外壁を飾る余裕ができるまで、まだ何年もかかるのだろう。
7日目はドーラビーラの遺跡まで大カッチ湿原の中を長距離移動。雨季には海になるという湿原はまっ平らで何もない。
5000年前の町の跡というドーラビーラも乾燥しきった小山。貯水槽などが掘り出されているが、正直、知識と想像力のない人間にこの類の遺跡はとてもつらい。ここに来たくてツアーに参加した、という人もいるからむげにはできないが、このためにあの長距離は・・・。
遺跡見学後はさらに長い距離を走って、サイラのホテルにたどり着いたのは11時。ところがこの時間まで歓迎のための踊り手さんたちが待っていて、これは見てあげないわけにはいかない。
夜中の中庭でカレーを食べながら踊りを見ると、あちらもさっさと帰っていった。
8日目。チャンパネールへの移動の途中、結婚式に遭遇。「ここでお昼いただきましょうか」との添乗員の一言でツアー全員にわかに客になる。大テントの中でお盆にいろいろ盛ってもらう。大変な人の数で、インドの結婚式はまさに人生一度の大イベント。
さらに途中、たくさんのサリーが木にくくりつけられた祠に遭遇。願い事がかなうとお礼にサリーを結ぶんだそうな。
チャンパネールはごく最近世界遺産に登録されたとかで日本では知名度がないが、8世紀ごろからの建築物が広い範囲に散らばっていて見ごたえがある。
16世紀のモスクにもきれいな装飾がされていてよかったが
ちょうど地元の中学生の大団体が見学に来ていて、はじめ行儀のよかった子供たちも次第に珍しい外国人に大興奮。写真撮ってだの、名前は何だのと大騒ぎになってしまった。静かにしろと声を張り上げていた先生、あまりにも言うことを聞かないものだから最後にはムチを振り上げて生徒をひっばたいた。
しつけはこれぐらいしなきゃねー、と日本人拍手。
9日目は宿泊地のジャンブゴダを出てカヴァントの月曜市へ。この近辺の様々な部族が買い物に来ているのでいろいろな衣装や装身具が見られる。実にカラフル。
チョーダ・ウダイプルという村ではふんどしを買いに1キロほど歩く。ふんどしと言ってもきれいな手織りの綿織物で、長さもテーブルセンターにちょうどよい。「日本に帰ってからならどのように使われても結構ですが、この近辺ではくれぐれも首に巻いたりしないように」だって。
観光の最後はピトーラ壁画のある家。ラトワ族独特のこの風習、部屋のすべての壁が馬を中心とした壁画に覆われている。
絵の中には馬だけでなくほかの動物や神様、日常の風景、バスや電車まで描かれていて、そのヘタウマさ加減が楽しくて見飽きない。サハラの砂漠などに残る大昔の岩絵と内容、意味合いなど大差ないのかもしれない。
最後の宿泊地は久しぶりの都会、バローダ。スーパーマーケットで最後の買い物をしてグジャラートの観光終了。
最終日はバローダからムンバイ、デリーと飛んで東京へ。
飛行機の関係でムンバイからまたツアーを離れ一人旅。
デリー行きの便まで5時間も乗継があるのでプリンス・オブ・ウェールズ博物館に行くことにする。渋滞がひどいからやめた方がいいと言われたのだが。
空港からタクシーに乗るとなるほど聞きしに勝る渋滞。ムンバイの市内まで1時間半以上かかってしまった。しかも博物館を知っているはずの運転手、場所がわからないらしく次々通行人にたずねる。すると指し示す方向がどうもそれぞれ違うよう。ようやく博物館にたどり着くと滞在できる時間は15分しかない。お目当てだった細密画の部屋だけ何とか見て、後ろ髪引かれる思いでまた空港へ。なんとか適当な余裕を持ってチェックインすると、なんとデリー行きの便は2時間遅れ。
インドは最後までインドだった。