かって英国には、2人のジャックの伝説があった。切り裂きジャックとバネ足ジャックである。切り裂きジャック伝説は、実際に起きた殺人事件が元になって生まれているが、バネ足ジャックの方は、もう一つ信憑性がはっきりしないようだ。バネ足ジャックというネーミング自体が少々チープな観もあり、まさか本当にこんな都市伝説があったとは思わなかったのだが、実際にヴィクトリア朝英国では、人々の間に流布していたらしい。日本で言えば、口裂け女のような存在だろうか。
「バネ足ジャックと時空の罠」(マーク・ホダー/金子司 訳:創元海外SF叢書)は、このバネ足ジャックをモチーフにしたSF小説だ。実在した著名人たちが、奇想天外な設定のアナザーワールドで暴れまる。この作品を一言で表せば、まさに「怪作」といったところだろう。
主人公は、探検家のリチャード・バートン。実在した人物で、19世紀イギリスを代表する探検家である。彼は、かって、弟のように親しかったスピーク(彼も実在した人物だ)と、ナイル川の水源をめぐる問題で対立していた。ところが、討論会での直接対決を前に、スピークが自殺を図ってしまう。彼の息のあるうちに和解を図ろうとしたバートンは、スピークが搬送されたというロンドンに向かった。
ところが、バートンは、ロンドンで、バネ仕掛けの竹馬に乗った、怪物のような男に襲われる。その姿は、まるでおとぎ話に出てくるバネ足ジャックだ。バートンにはその怪人にまったく見覚えはないというのに、彼は、、
「おれをほうっておけ」と言う。このバネ足ジャックは、かってヴィクトリア女王が暗殺された(あくまでこの小説での設定です)現場でも目撃されていた。彼は、以前に何人もの若い女性を襲うという事件も起こしていたのだが、その姿は、20年以上も前に目撃された時から変わっていないようだ。いったい、バネ足ジャックとは何者なのか。そしてなぜバートンは襲われたのか。これが本作の第一の謎だ。
ロンドンでは奇妙な事件が発生していた。人狼の一団が煙突掃除人の少年たちを誘拐するという事件が頻発していた。瀕死のスピークも、不気味なアルビノの男と人狼たちに連れ去れたという。なぜ人狼などというものが出現したのか。彼らは何を目的に、そのような事件を引き起こしているのかということが第二の謎となる。
本文の最初に奇想天外な設定と書いたが、作品の舞台となっているのが、どんなに奇妙奇天烈な世界か、少し説明しておこう。この世界では、技術者集団というものがあり、その中のに大派閥である工学者たちと優性学者たちが競うようにヘンテコな機械や動物を創りだしている。例えば、蒸気馬が二輪馬車を牽引したり回転翼式飛行椅子が空を飛んだり、インコが人の言葉を伝令したり、巨大白鳥が人の乗った凧を引いて空を飛んだりといった具合だ。
極めつけは、敵の幹部たち。なんと、あのダーウィンやナイチンゲールといった面々でなのであるが、ダーウィンは、いとこのゴルトンの脳を移植して、2つの脳を持つ巨大頭の怪人として描かれている。ナイチンゲールも、看護婦なのに、人間の脳を動物に移植するというような実験を繰り返しているマッドサイエンティストで、クリミアの天使の面影などはどこにもない。その他、敵幹部には、機械の体に脳を移植された(999じゃないよw)、高名な技術者のブルネルや、オラウータンに脳を移植されたペレスフォードといったような奴らもいる。念のために言っておくが、この作品は未来が舞台ではない。あくまで19世紀という設定である。それでは、どうしてこのような奇妙な世界になってしまったのか。実はこれが第三の謎なのだ。
これらの謎は、根っこのところでは繋がっているのだが、謎解きのヒントとなるのが、タイトルにある「時空の罠」という言葉だ。本作は、詰まる所、一種のタイムパラドックスものとでも言ってよいのだろうか。パラドックスを避けるために、作者の頭には、おそらく量子力学における多世界解釈というものがあったのではないかとも推測される。そもそもは、バネ足ジャックと呼ばれる男が、自分の家系の名誉を回復しようと始めたことなのだったが、彼が何かやろうとする度に、どんどんと問題がこじれて、因果関係すらよく分からなくなってしまう。残酷な場面もあるのだが、このハチャメチャぶりはなんとも面白い。奔放な想像力が、まるで暴走でもしているような摩訶不思議な世界観。一度お試しあれ。
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