まず熊本の深刻な震災被害にお見舞い申し上げたい。いつまで続くか分からない余震に、不安な日々を過ごされていると思いますが、早くこの事態が収束に向かうよう願っています。
さて、この地震で感じるのは、マスコミの節操のなさだ。この地震を、反原発イデオロギーに利用しようという意図が丸見えで、紙面には、「なぜ川内原発を止めないのか」という文字が、社説や読者投稿欄などに踊る。これに対して原子力規制庁は、現状では止める必要がないという見解だが、当然のことだ。
今の原子力発電所は、超法規的な措置で、3.11以降、過剰なまでの安全対策を強いられている。これでもし大した理由なしに原子力を止めるような事態になれば、日本は本当に法治国家かと、世界の笑いものになるだろう。
地震は大きくは内陸性の地震と海洋性の地震の2つに区分できる。福島があのようになったのは津波の影響が大きい。そして津波が起こるのは主に海洋性の地震だ。そして今動いている発電所は、従来の地震対策のみならず、津波対策も行われている。
原子力の不安をあおるテレビニュースでも、同じニュースの中で、活断層が動いたことによる地割れから少し離れた場所では建物に被害が少ない様子を放映していた。原子力発電所は、固い岩盤の上に作られている。地震の揺れが危機的な状況をもたらすということは考えにくい。これは、東北大震災時の女川を見ればわかるだろうに、なぜかマスコミは福島のことしか報道しない。
原子力のことは何度も報道するのに、危険な状況の中で、復旧に努力している電力会社やその協力会社のことをどうしてもっと報道しないのだろう。マスコミは、自分の主張に沿ったものだけを報道しているだけではないのか。
そういえば、今日の地元紙の投書欄にあきれた記事が載っていた。地震のあと九州電力に「川内を止めろ」と電話したというのだ。何を考えているのか。熊本の地震では、身内の消息を知りたい人がたくさんいる。しかし、回線の容量はこのような緊急事態には対応しておらず、身内と連絡が取れないケースも多いだろう。不要な電話はなるべく控えて、電話回線を空けておくというのが当たり前ではないのか。
福島についてもまだまだの現状で、あまりこの件については書きたくなかったが、最近の状況があまりにもひどいのであえて記事を書いた次第である。
さて、この地震で感じるのは、マスコミの節操のなさだ。この地震を、反原発イデオロギーに利用しようという意図が丸見えで、紙面には、「なぜ川内原発を止めないのか」という文字が、社説や読者投稿欄などに踊る。これに対して原子力規制庁は、現状では止める必要がないという見解だが、当然のことだ。
今の原子力発電所は、超法規的な措置で、3.11以降、過剰なまでの安全対策を強いられている。これでもし大した理由なしに原子力を止めるような事態になれば、日本は本当に法治国家かと、世界の笑いものになるだろう。
地震は大きくは内陸性の地震と海洋性の地震の2つに区分できる。福島があのようになったのは津波の影響が大きい。そして津波が起こるのは主に海洋性の地震だ。そして今動いている発電所は、従来の地震対策のみならず、津波対策も行われている。
原子力の不安をあおるテレビニュースでも、同じニュースの中で、活断層が動いたことによる地割れから少し離れた場所では建物に被害が少ない様子を放映していた。原子力発電所は、固い岩盤の上に作られている。地震の揺れが危機的な状況をもたらすということは考えにくい。これは、東北大震災時の女川を見ればわかるだろうに、なぜかマスコミは福島のことしか報道しない。
原子力のことは何度も報道するのに、危険な状況の中で、復旧に努力している電力会社やその協力会社のことをどうしてもっと報道しないのだろう。マスコミは、自分の主張に沿ったものだけを報道しているだけではないのか。
そういえば、今日の地元紙の投書欄にあきれた記事が載っていた。地震のあと九州電力に「川内を止めろ」と電話したというのだ。何を考えているのか。熊本の地震では、身内の消息を知りたい人がたくさんいる。しかし、回線の容量はこのような緊急事態には対応しておらず、身内と連絡が取れないケースも多いだろう。不要な電話はなるべく控えて、電話回線を空けておくというのが当たり前ではないのか。
福島についてもまだまだの現状で、あまりこの件については書きたくなかったが、最近の状況があまりにもひどいのであえて記事を書いた次第である。